昼過ぎまでに原稿は8割方終了。残りはちと面倒な計算もしなければならないので今晩これから。
入江から電話があり、明日の博多取材が急遽決定。台風の影響を見極めて明朝、東京か羽田か。朝までにやらなきゃならんことがいくつかあるので、どう考えても寝られない……寝ていられない。
夕方から青山で、ファイブ・ディーの佐藤剛さんの取材。70年代後半から80年代にかけて甲斐バンドのマネージャーとして知られ……という大物プロデューサー。話しているだけで猛烈に切れる人なのがよくわかる(キレるじゃないですよ)。今日はあまり時間がなかったので多少端折りつつポイントを押さえて訊く。事前にインタビューを読み込んで、さらに実際に話を聞いて、やはり佐藤さんには草野さんとの共通点がいくつかあるように感じた。
60年代はすでに掘り返されまくっているけれども、やはり70年代はまだまだ掘り起こされなければいけないテーマがいくつもある。
終わって神楽坂の事務所で最新号を受け取る。BUGからSIONさんの新譜が届いていた。泣いた。
土本典昭『もうひとつのアフガニスタン カーブル日記1985年』、『私の死亡記事』(文藝春秋)購入。
入江から電話があり、明日の博多取材が急遽決定。台風の影響を見極めて明朝、東京か羽田か。朝までにやらなきゃならんことがいくつかあるので、どう考えても寝られない……寝ていられない。
夕方から青山で、ファイブ・ディーの佐藤剛さんの取材。70年代後半から80年代にかけて甲斐バンドのマネージャーとして知られ……という大物プロデューサー。話しているだけで猛烈に切れる人なのがよくわかる(キレるじゃないですよ)。今日はあまり時間がなかったので多少端折りつつポイントを押さえて訊く。事前にインタビューを読み込んで、さらに実際に話を聞いて、やはり佐藤さんには草野さんとの共通点がいくつかあるように感じた。
60年代はすでに掘り返されまくっているけれども、やはり70年代はまだまだ掘り起こされなければいけないテーマがいくつもある。
終わって神楽坂の事務所で最新号を受け取る。BUGからSIONさんの新譜が届いていた。泣いた。
土本典昭『もうひとつのアフガニスタン カーブル日記1985年』、『私の死亡記事』(文藝春秋)購入。