ももすけの日記

きゃあと言ふ声あちこちで穴まどひ
ああ面白かったと言って死ねたらいいな

瓢箪から駒、ネットから枝豆^^

2005年10月19日 00時48分00秒 | 日記
以前、Pおねえさんからビーズの指輪をいただいたけど、今度は枝豆が出てきました*(音符)*

Cafeでのおともだち、Fちゃんとお話していてぼくのおかあさんが黒豆の枝豆が大好き、ということから送っていただいたのです*(レター)*

うふふ、これだからCafeはやめられないんだね~~*(ハート3つ)*

例によって、ぼくのおかあさんはたくさん注文しました。
お店のパートのおばさんたちに渡すと
「ほら~、また、奥さんのくせがー。いただくのは、でも、うれしいですよ(ニッコリ)」

お茶だって、たくさん注文すると送料無料になるとかだそうで、配っています*(汗)*

それでも一束1kgくらいあるので小家族では食べきれません*(ビール)*

枝豆ご飯もおいしいかな、てんぷらもいいかな~*(クローバー)*

丹波の篠山に行ってみようと思っています*(山)*



どきどきだった・・・

2005年10月16日 02時14分00秒 | 日記
2002年10月14日。

ぼくのおかあさんがこのOCN Cafeに紛れ込んで、まぁ、わたしの書いた文字がネットの上に乗るんだわ*(ハート)*と感嘆してから*(3)*年がたちました。

しばらくしてから、ぼくが代わりに日記を書いていますが、もう6歳になりました*(ラブリー)*
(「ももすけ掲示板」にぼくの写真を載せてもらいました)

しかし、おかあさんはCafeでの3年間を自分の年に数えていないようです*(クール)*

いろいろと思いをめぐらしたりしている今日この頃です。

ちょっと悲しい事もありますが、ほとんど楽しいもの珍しい事ばかりでした*(キラキラ)*

しかし、それらと引き換えに、どれだけの時間をなくしてしまったことでしょう*(注意)*

いつまでも”どきどき”を忘れないでいたいと思います*(ドキュン)*
おともだちにありがとう*(ハート6つ)*







わりかん!

2005年10月14日 13時04分00秒 | 日記
きょうもいいお天気*(晴れ)*

おねいちゃんはなんだかだと言いながらも、今のお仕事がんばっています*(チョキ)*

施設内の移動ということで、昨夜は今いる職場の送別会をしてもらったそうです*(ビール)*

送別会なんかしてもらえるの*(!?)*とぼくも喜んでいたのですが、結局は割り勘だったんですって*(びっくり1)*

あはは、おねいちゃんの移動にかこつけた飲み会だったんだね。

でも、おねいちゃんはにこにこしてかえったきたので、ぼくもおかあさんもにこにこ*(マル)*

遅くに帰ってきて、おかあさんとお話したりして2時くらいに寝たおねいちゃんでしたが、今朝、おかあさんが起きたころにはもう出勤して出かけていました。

それが普通かもしれない。
でも、その普通がぼくにはとてもうれしいことです*(ハート)*

ゴミを出すついでに、お庭の草をぽっぽと引き抜いていたおかあさんは、うっそうとしたハーブの陰に可愛いランタナの花が咲き出しているのを見つけました*(庭)*

あわてて、ランタナによく日が当たるようにまわりを刈り込んでやっていました*(はさみ)*

そして、あまりブラッシングもされていないでモップ状態のぼくは今、ペットショップでシャンプーをしてもらっています*(ラブリー)*




平和

2005年10月13日 16時43分00秒 | 日記
きのうはとってもいいお天気になったので、ほんとうにひさしぶりにおかあさんはテニスに出かけました*(テニス)*

平日のクラブはリタイヤーしたおじさん、いや、世間的にはおじいさん、おばあさんがとても元気でした*(晴れ)*

もう、忘年会の相談をしていました*(ビール)*

「12月8日くらいで、どう*(はてな)*」
「うぉ、開戦記念日だなー*(びっくり1)*」
「うわはっは~(明るい笑い)*(ハート6つ)*」
おかあさんに向かって
「あんたはそんなこと知らんやろー*(!?)*」

『教育勅語』以来、戦争のことをあれこれ考えていたおかあさんは複雑な笑顔で
「ふぁい~~*(曇)*」と答えていました。

ちょっと不思議な感覚。
その中には”陸軍幼年学校”をいつも口にする方もおられるのです。

まぁ、平和なことは結構なことでした~*(クローバー)*




知らなかった事

2005年10月11日 16時42分00秒 | 日記
また雨が降ってきました*(雨)*

暑い日には早く涼しくなるといいのにと思っていたのですが、秋になるとどうしてこう物悲しいのでしょう*(紅葉)*

夜が長くなってみんなが寝静まってから長湯をするのがおかあさんの楽しみです*(温泉)*

が、昨夜は沖縄戦争秘話・読谷村を見ていて、また、ショックを受けたのでした。

漠然と沖縄が日本本土の盾にされていたということは知っていました。


終戦後、読谷村の人たちは米軍上陸を控えてやんばるという森に逃亡するよう命じられます。

何十日も食べ物に苦労して、その間に栄養失調でたくさんの人が亡くなりました。

しかし、結果としては米軍に捕らえられ保護。
”鬼畜”と教えられてきた敵から食料を与えられるのです。

メリケン粉などを配っていた村の人々を隠れていた日本軍が襲ってきました。
われわれはお国のために食うものも無く戦っているのに、お前らはこんなにいいものを食っているのか、と。

スパイ容疑という名目で何本ものナイフで首を刺されて柱に吊られ、膝を日の丸だと刳り貫かれていた。。。

ぼくは、こう書くことさえ心が疼いてきます。

女子供は海辺に集められ手榴弾を投げつけられ、たくさん亡くなりました。
体中に弾を浴び、なんとか助かった4歳の女の子と8歳の男の子とお母さん。

夫の殺され様を見て、気がふれてしまった母親。そしてまもなく死んでしまいます。
4歳の妹は何も覚えていませんが、彼女が20歳になったとき兄は事の一部始終を話します。
たまっていたものがどっとあふれ、行き場がなくなってしまったのか、兄はその直後に心の病に。。

その兄は以来、ずっと施設に入っているそうです。
お母さんが精神に失調をきたした事や、体中に傷を負った醜さのために、幼い兄妹はいじめられるのでした。

なんで*(はてな)*同じ苦しみを味わってきた周りの人たちまでいじめたり偏見を持つのか、とこういうことにいつもぼくは不思議に思います。

もっと、もっと知らない事はいっぱいあるでしょう。
知ったからといっても、ぼくにはどうする力もありません*(涙)*

でも、もう、もう、戦争はおしまいにしてほしい*(びっくり2)*

世界中の人がみんなそう思っていても、ひとりひとりが、そう思っていても、どうして戦争を仕掛ける政治家がいるのだろう。。。