
ガリラヤという地方の人々がささげものをしようとしたとき、どうやらその頃の総督に殺された、そうな。そんなニュースを、イエスに報告した人たちがいた。

とでも、聞きたかったんだろうか


「そのガリラヤ人たちがそのような災難を受けたから、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。」

そうではない。

わたしはあなたがたに言います。
あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。
また、シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの18人は、エルサレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。
そうではない。

わたしはあなたがたに言います。
あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」』
(新約聖書・ルカの福音書13章1節~5節)
つまり、
それは、人事(ひとごと)ではないのだ、ということらしい。

それは、2000年前のことだけではない。
今も。
同じように、人は生まれ、いつしか死んでいく。
(災害であろうと、病(やま)いであろうと、何にせよ)
同じように、滅(ほろ)んでいく。
そして、
『人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることがさだまっている』

『御子(みこ = イエス・キリスト)を信じる者はさばかれない』(ヨハネ3章18節)
と、聖書はいう。



曰く、
『それ 神は
その獨子(ひとりご)を賜(たま)ふほどに
世を愛(あい)し給(たま)へり、
すべて彼を信ずる者の亡(ほろ)びずして、
永遠(とこしへ)の生命(いのち)を得んためなり』
(新約聖書・ヨハネの福音書3章16節,文語訳)
と。
