『彼女たちがベツレヘムに着くと、町中がふたりのことで騒ぎ出し、
女たちは、「まあ、ナオミ 1)ではありませんか。」と言った。
ナオミは彼女たちに言った。
「私をナオミと呼ばないで、マラ 2)と呼んでください。
全能者が私をひどい苦しみに会わせたのですから。
私は満ち足りて出て行きましたが、主(しゅ)は私を素手で返されました。・・・」』
(旧約聖書・ルツ記1章19-21節)
旧約聖書には、二つだけ、女性の名がつけられているものがある。
一つはエステル記、もう一つは上記のルツ記である。
ルツ記は、ユダのベツレヘムのある一家が、飢饉(ききん)を逃れて異国の地に住まうところから始まる。
そして、10年の間に、一家の主人は死に、二人の息子も死に、あとには、ナオミと、二人の息子がその地でそれぞれ娶(めと)った二人の嫁だけが残された。そのうちの一人がルツである。異国の地、モアブの娘である。
ナオミは、ベツレヘムに帰ることにした。
二人の嫁には家に帰るよう勧めたが、ルツはナオミとともに行こうと堅く決心しており、ナオミとルツはともに、ユダの地、ベツレヘムに着く。
****************
二人がベツレヘムに着くと、10年来だが、町の人々はナオミを覚えており、(ちょっとした)騒ぎになった。
このとき、ナオミは嘆いて、「マラ(苦しみ)と呼んでください」とも、
「全能者(=神さま)が、私を素手で帰した」(=私には、何もない)、とも言う。
それは、本当だっただろうか。
・・・事実は・・・、ルツがいた。
のちに、町の女たちから「七人の息子 3)にもまさるあなたの嫁」(ルツ記4章15節)と賞賛される、ルツがいた。
にもかかわらず、ナオミは、そのような思いであった。4)
(ベツレヘムに着いた後の二人については、箇所をお読みのとおり)
打ちひしがれている時(もしくは、自己憐憫にひたっているとき)、実は、
神様からの恵みがそこにあっても、気づかないことがあるのかもしれない。
このナオミのように。
―――私たちはどうでしょうか。
**************
ちなみに、イスラエルでは、系図はとても重視される。
福音書のひとつ、マタイの福音書ではイエス・キリストの系図が出てくるが、その中に、4人の女性の名が記されている。
その中の一人が、このルツであり、
後のイスラエルの2代目の王、ダビデの曽祖母(ひいおばあちゃん)となる。
・・・不思議な巡り合わせ(神様の御計らい)である。
(あるお話から。許可取得済み←と書くのは、今後省略)
【注】
1)ナオミ:「快い」意の語源「ナアム」の派生語。
2)マラ :「苦しむ」意の語源「マラル」の派生語。
3)七人の息子にもまさる:今の日本では、子どもを「作る」という意識の人が多い
ようだが(特に、都市部)、ここでは、子どもは「(神様からの)授かりもの」である。
子宝(特に息子)=神様のお恵み、であり、
「七人の息子にもまさる」という表現は、「とてもすばらしい」(最上級のほめ言葉?)
という意味ともいえる。
4)このとき、ルツがどのような思いでそれを聞いていたか、記されてはいない。
異邦人のルツが、それも、モアブ 5)の娘であるルツがユダの地に来るのは、
覚悟がいっただろうに。
5)モアブ:モアブの祖先は、イスラエルの祖先アブラハムの甥のロトと、
その娘との間の子である。つまり、父と娘との間の子。(創世記19章)
そういうこともあり、イスラエルの人々からは忌み嫌われていた。
女たちは、「まあ、ナオミ 1)ではありませんか。」と言った。
ナオミは彼女たちに言った。
「私をナオミと呼ばないで、マラ 2)と呼んでください。
全能者が私をひどい苦しみに会わせたのですから。
私は満ち足りて出て行きましたが、主(しゅ)は私を素手で返されました。・・・」』
(旧約聖書・ルツ記1章19-21節)
旧約聖書には、二つだけ、女性の名がつけられているものがある。
一つはエステル記、もう一つは上記のルツ記である。
ルツ記は、ユダのベツレヘムのある一家が、飢饉(ききん)を逃れて異国の地に住まうところから始まる。
そして、10年の間に、一家の主人は死に、二人の息子も死に、あとには、ナオミと、二人の息子がその地でそれぞれ娶(めと)った二人の嫁だけが残された。そのうちの一人がルツである。異国の地、モアブの娘である。
ナオミは、ベツレヘムに帰ることにした。
二人の嫁には家に帰るよう勧めたが、ルツはナオミとともに行こうと堅く決心しており、ナオミとルツはともに、ユダの地、ベツレヘムに着く。
****************
二人がベツレヘムに着くと、10年来だが、町の人々はナオミを覚えており、(ちょっとした)騒ぎになった。
このとき、ナオミは嘆いて、「マラ(苦しみ)と呼んでください」とも、
「全能者(=神さま)が、私を素手で帰した」(=私には、何もない)、とも言う。
それは、本当だっただろうか。
・・・事実は・・・、ルツがいた。
のちに、町の女たちから「七人の息子 3)にもまさるあなたの嫁」(ルツ記4章15節)と賞賛される、ルツがいた。
にもかかわらず、ナオミは、そのような思いであった。4)
(ベツレヘムに着いた後の二人については、箇所をお読みのとおり)
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神様からの恵みがそこにあっても、気づかないことがあるのかもしれない。
このナオミのように。
―――私たちはどうでしょうか。
**************
ちなみに、イスラエルでは、系図はとても重視される。
福音書のひとつ、マタイの福音書ではイエス・キリストの系図が出てくるが、その中に、4人の女性の名が記されている。
その中の一人が、このルツであり、
後のイスラエルの2代目の王、ダビデの曽祖母(ひいおばあちゃん)となる。
・・・不思議な巡り合わせ(神様の御計らい)である。
(あるお話から。許可取得済み←と書くのは、今後省略)
【注】
1)ナオミ:「快い」意の語源「ナアム」の派生語。
2)マラ :「苦しむ」意の語源「マラル」の派生語。
3)七人の息子にもまさる:今の日本では、子どもを「作る」という意識の人が多い
ようだが(特に、都市部)、ここでは、子どもは「(神様からの)授かりもの」である。
子宝(特に息子)=神様のお恵み、であり、
「七人の息子にもまさる」という表現は、「とてもすばらしい」(最上級のほめ言葉?)
という意味ともいえる。
4)このとき、ルツがどのような思いでそれを聞いていたか、記されてはいない。
異邦人のルツが、それも、モアブ 5)の娘であるルツがユダの地に来るのは、
覚悟がいっただろうに。
5)モアブ:モアブの祖先は、イスラエルの祖先アブラハムの甥のロトと、
その娘との間の子である。つまり、父と娘との間の子。(創世記19章)
そういうこともあり、イスラエルの人々からは忌み嫌われていた。