いつもは、朝は果物とコーヒーか、コーヒーとチョコ一かけ程度(その分、昼・夜で補充している)なのだが、
今朝は珍しく、うとうととしたあと、パンを食べたくなった。
冷凍庫のパンを温め、一口一口ほおばる。牛乳と一緒に。
*********
パンとミルク。
という組み合わせは、あるクリスマスを思い出させる。
―朝、目覚めると枕の横には聖書が置いてあり、
4姉妹は皆喜び、お母様にクリスマスプレゼントのお礼を言う。
その後、クリスマスのご馳走を、病気のご近所の方にあげ、
その日の(確か朝の)食事は、パン
とミルクのみとなる―(うろおぼえの概略)
オルコットの「若草物語」(村岡花子訳 1))の冒頭部分だ。
**********
ただし、今朝食べたのは、レーズン入りのパン。
となると、バーネットの「秘密の花園」(これまた村岡花子訳)も、思い出す。
子どもたちが、草原で遊んだり、秘密の花園で過ごしたりしてお腹をすかせた頃、お手伝いさんのお母さんが作ってくれた、焼きたてのぶどうパン(間違ってたら、ごめんなさい)を持ってきてくれる場面がある。空腹のところに、焼きたてのパン。さぞかし美味しかっただろうなぁ・・・。
ちなみに、オートミールを作ったり、食べるときも、この本を思い出す。昔、両親の家で、朝、オートミール(+はちみつ+牛乳)を食べる日もあった。春まで同居していた弟がそれが嫌いだったので、とんと作らなくなったが。
*********
ついでに言うと、
一切れのパンといえば、その後19年牢獄にいたジャン・ヴァルジャンを思い出し、
白パン・黒パンと言えば、ハイジを思い出し、
チーズといえば、皆が固唾を呑んで見守っている中、イタリアのナンド伯父さんがナイフで突き刺したチーズと静けさを思い出し、 2)
パンと目玉焼きといえば、パズーを思い出し、
すき焼きといえば、母方の祖父の濃い味付けを思い出し、
赤飯と言えば、父方の祖母の甘~いお赤飯を思い出し、
おにぎりと言えば、母方の祖母の作ってくれた、3時のおやつ用の一口サイズのおにぎり
や、佐藤初女さんを思い出し、
ずんだと言えば、なぜか仙台駅のずんだカフェ前でしばしば遭遇したT兄姉一家を思い出し、
鍋といえば、池波正太郎さんや友人たちを思い出し、
マナ、コエンドロの種 3)といえば、なぜだか「海底2万マイル」
のパンの木の実を思い出す。
*************
なかなか良かった「カールじいさんの空とぶ家」 4)でラッセルがぽつりと言っていたっけ。(これまたうろ覚え)
「そういった、ささいなどうでもいいことが、(思い出に)残るものなんだ」
1) 村岡花子さんは、祖母の好きな訳者で、確かに味わいのある訳をしている(というか、それに慣れた)。読み比べてみたが、やはり、彼女の訳の会話のふしぶしが恋しくなる。
今年、お孫さんの手により、伝記が出ている。こんなに赤裸々に出して大丈夫だろうか、と思いつつも、垣間見れて良かった。
2)須賀敦子:霧のむこうに住みたい(の中に収められている「七年目のチーズ」)
3)昔、イスラエルの人々が荒野(=砂漠)を旅していた40年間の間食べ続けた、空から降ってきたパン
を「マナ」という。その描写は、
「コエンドロの種のようで、白く、その味は蜜を入れたせんべいのようであった」(出エジプト記16章31節)
「マナは、コエンドロの種のようで、その色はブドラハのようであった。
人々は歩き回って、それを集め、ひき臼でひくか、臼でついて、これをなべで煮て、パン菓子を作っていた。その味は、おいしいクリーム
の味のようであった」(民数記11章7-8節)
とある。みつかいの食べ物ともいう。転じて、聖書のみことばを指す。
4)3Dでもなく日本語でもなく、字幕で見たが、なかなか良かった。
最初の追憶のシーンだけでなく、リアリティのあるこまごまとした描写が。高齢者と接する職業の人や、ややその時期に差し掛かっている人には、実感をもって、楽しみつつ、味わえるかもしれない。
ちなみに、カールおじさん、ではありません。
今朝は珍しく、うとうととしたあと、パンを食べたくなった。
冷凍庫のパンを温め、一口一口ほおばる。牛乳と一緒に。
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パンとミルク。
という組み合わせは、あるクリスマスを思い出させる。
―朝、目覚めると枕の横には聖書が置いてあり、
4姉妹は皆喜び、お母様にクリスマスプレゼントのお礼を言う。
その後、クリスマスのご馳走を、病気のご近所の方にあげ、
その日の(確か朝の)食事は、パン

オルコットの「若草物語」(村岡花子訳 1))の冒頭部分だ。
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ただし、今朝食べたのは、レーズン入りのパン。
となると、バーネットの「秘密の花園」(これまた村岡花子訳)も、思い出す。
子どもたちが、草原で遊んだり、秘密の花園で過ごしたりしてお腹をすかせた頃、お手伝いさんのお母さんが作ってくれた、焼きたてのぶどうパン(間違ってたら、ごめんなさい)を持ってきてくれる場面がある。空腹のところに、焼きたてのパン。さぞかし美味しかっただろうなぁ・・・。
ちなみに、オートミールを作ったり、食べるときも、この本を思い出す。昔、両親の家で、朝、オートミール(+はちみつ+牛乳)を食べる日もあった。春まで同居していた弟がそれが嫌いだったので、とんと作らなくなったが。
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ついでに言うと、
一切れのパンといえば、その後19年牢獄にいたジャン・ヴァルジャンを思い出し、
白パン・黒パンと言えば、ハイジを思い出し、
チーズといえば、皆が固唾を呑んで見守っている中、イタリアのナンド伯父さんがナイフで突き刺したチーズと静けさを思い出し、 2)
パンと目玉焼きといえば、パズーを思い出し、
すき焼きといえば、母方の祖父の濃い味付けを思い出し、
赤飯と言えば、父方の祖母の甘~いお赤飯を思い出し、


ずんだと言えば、なぜか仙台駅のずんだカフェ前でしばしば遭遇したT兄姉一家を思い出し、
鍋といえば、池波正太郎さんや友人たちを思い出し、
マナ、コエンドロの種 3)といえば、なぜだか「海底2万マイル」

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なかなか良かった「カールじいさんの空とぶ家」 4)でラッセルがぽつりと言っていたっけ。(これまたうろ覚え)
「そういった、ささいなどうでもいいことが、(思い出に)残るものなんだ」



1) 村岡花子さんは、祖母の好きな訳者で、確かに味わいのある訳をしている(というか、それに慣れた)。読み比べてみたが、やはり、彼女の訳の会話のふしぶしが恋しくなる。
今年、お孫さんの手により、伝記が出ている。こんなに赤裸々に出して大丈夫だろうか、と思いつつも、垣間見れて良かった。
2)須賀敦子:霧のむこうに住みたい(の中に収められている「七年目のチーズ」)
3)昔、イスラエルの人々が荒野(=砂漠)を旅していた40年間の間食べ続けた、空から降ってきたパン

「コエンドロの種のようで、白く、その味は蜜を入れたせんべいのようであった」(出エジプト記16章31節)
「マナは、コエンドロの種のようで、その色はブドラハのようであった。
人々は歩き回って、それを集め、ひき臼でひくか、臼でついて、これをなべで煮て、パン菓子を作っていた。その味は、おいしいクリーム

とある。みつかいの食べ物ともいう。転じて、聖書のみことばを指す。
4)3Dでもなく日本語でもなく、字幕で見たが、なかなか良かった。

ちなみに、カールおじさん、ではありません。