さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

不変

2010-11-20 08:39:44 | Sunday 集会・生活
(写真は、イギリスの「ストーンヘンジ」)


メモ。




 何年も前のこと。北の地でのことだった。

 ある人が召された 1)。


 もう、彼が苦しまなくていいのだ、という点で、
 主の御許(みもと)にいる、という点で、
 また会えるという希望がある点で、
 喜ぶべきことだが、

 さりとて、
 しばし別れることが悲しくないわけではなかった。
 
 せめて、あと5年、いや10年はここに残ってほしかった。


       ************

 その方の召天式 2)の直前、

 丸顔の若者のそばで、
 同じく目のふちが赤い、やや年かさの方が、
 その方の思い出話をいろいろとし、偲んだ。

 そして、はっと気がついたように、
「ごめんなさいね。こんな昔の話ばかりして」
と、恥ずかしそうに言った。
 すると、若者は、こう、答えた。


 「いえいえ。
  私たちは、2000年前の話を
  いつもしているんですから。」 

 そして、その年かさの方は、泣きながらもぷっと笑って「そうねぇ」と言った。



        ************


 約2000年前・・・それは、イエス・キリストの話。
 旧約聖書の時代の預言からすると、何千年もの前からの話も、していることになる。

 だが、それが古びることはない。
 いろいろな産業が発展し、今や自動車やパソコン、エアコンに洗濯機、服は自分で紡がなくてもよく、
 飛行機や電車、医学の発展など、さまざまなものがあるけれど、
 実は、人もそんなにかわらない。
 自分の意思によらずして、そのときその時代、その場所その両親の元に
 生まれ、
 食べて、寝て、
 働いて、
 友を得、
 誰かを愛し、
 (場合によっては)家庭を築き、
 先に亡くなる方を見送り、
 そして、自分も衰え、
 そして、いなくなる。

 喜んだり、
 悲しんだり、
 苦しんだり、
 悩んだり、
 ・・・古典的な名著が数多くあるけれど、それはその当時のものだけではなく、
 今も通じるからこそ、語り継がれる。
 今も通じるということは、
 結局、「人」って変わらないんだよね、という帰結になる。
(ただし、体力は衰えているかも…



 そして、そういう「人」に対して、
 聖書が赤裸々に示している姿も、
 ことばも、
 今も変わらない。
 ・・・受け取る人の受け止め方は変わるかもしれないが。3)


 そういう変わらずに、同じことを繰り返している「人」に対して、
 神様のお約束も恵みも変わらない。




            『イエス・キリストは
                  昨日も
                 今日も
                永遠(とこしへ)までも
             かはり給(たま)ふことなし。』

 
         (新約聖書・へブル人への手紙 13章8節、文語訳)





 とあるように。 4)



                  


  ある朝のひとつのメモ。 5)




【注】
1)召(め)される:亡くなる、死ぬ、の意。クリスチャンの場合、人は死んで消滅するとは考えず、
          クリスチャンならば(確実に)天国に行くと考えているため。
          「天に召される」「主(しゅ;もしくは「神」)に召される」といった表現を用いる。

2)召天式(しょうてんしき):お葬式のこと。注1)の故、
         「葬式」よりも「召天式」ということばがふさわしい、と好まれる。

          ちなみに、この話は5年以上前の話である。


3) exすくなくとも、昔の人は、聖書の最古と言われるヨブ記の
 『神は、・・・地を何もない上にかけられる』(ヨブ記 26:7)
  とか、同28章のマグマの記述など、
  わからなかったに違いない。
  (模写する方々は、ちんぷんかんぷんだったろうなぁ・・・

  同様に、今わからないことも様々あるけれど、(場合によっては)後の人はまた、
 「昔の人は、これ理解できたんだろうか・・・」
 と思うに違いない。


4)あ、化石的な意味で、変わらない、わけではないですよ。
  生きていて、なおかつ、その約束も恵みも、その愛も忍耐も
  変わらない、のですよ。

  わかっていないことばかりですが。


5)キャベツは、常にぼ~~~~~~~~っとしていて、思考も霧散するかの如く・・・というタイプであり、
  忘れるのが大の得意です。
  言語化するのが、とても不得手です。
  こうして、ブログ化するのもある意味、言語化の練習であったり、HPと違ってブログが半非公式であるからですが…

  ただ単に、友人たちに、一人ひとりお手紙を書くのをめんどくさがっているだけでもあるんですがね。(キャベツの見たもの聞いたもの…これ伝えたいな~とか、これおもろいよ~、とか思っても、
 だからといって、ものによっては同じく共有できるわけでもないから、
 まあ、ちょこっと目に留めてもらえればいいかなっと。
 ブログやSNSの場合、あまり会えなくても様子がお互いわかるのがいい。
 加えて、返信しなくては…ということにもならないのでf(^^;))

  そんなこんなで、
  筆まめな友人たち、ごめんなさいm(_ _)m

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