さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

ERA - Ameno

2012-03-31 22:33:35 | Wednesday 芸術・スポーツ
ERA - Ameno


 どこかで聴いた曲(某職場で、誰かが持ってきたCDの曲のひとつ…)。やっとこさ、載せることにす。

 映像は特に気にしないでください。

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恵みと祈り

2012-03-31 21:51:44 | Sunday 写真&みことば

 主よ。あなたの恵みが私たちの上にありますように。

 私たちがあなたを待ち望んだときに。




     (旧約聖書・詩編 33篇22節)

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肯定

2012-03-31 14:32:32 | 日々の雑感

 人は、一度何かを否定すると、

 自分を肯定してもらうために、場合によっては、

 その相手(or物事)のアラを捜し続けることになる。


      ************

「あそこはダメだ」
「こいつはダメだ」

 そう言ってしまったあと、その発言を肯定してもらうために(もしくは、そうシャットアウトしてしまったために)、そこ(その人)との交流も禁止したり、そこのダメな部分にばかり目を向けて、物を言うこともあるだろう。

 そして、ある場合、そこの「良い面もある」ことを発見した別の人が、「いえいえ、この前、お会いしたら(行ったら)、こうこうこうでしたよ」と擁護しようものなら、「お前は、そこに影響されてダメになってしまったから、そう言えるのだ」と、その人さえ貶めるケースもある。

 人も、人々も、常に同じではなく、変わり続けていくものなのに、あるときのある一面に(そして、それはもしかすると、思い違いだったりするかもしれない)
 囚われて、その成長を喜べなくなるとしたら、残念なことだ。


      ************

<自戒を込めて>
 そういうわけで、どうしても憂慮しなければならないことがあるときは、

「今、私が知っている範囲では/得ている情報では、こうこうこうであり、現時点では・・・と考えられるのだが…」
「○年前までしか直接には見ていないわけですが、・・・という可能性や傾向があるかもしれないとも考えられますが…、現状、いかがお考えでしょうか」
「もしかしたら、今は、もう少し変わっているのかもしれないのですが、…」

と述べたり、

 または、「・・・と感じている」という形でフィードバックすること。
(「・・・」の内容が事実であるかどうかは別として、「××が・・・と感じている」ことは事実である)

 うまく付き合えていない場合は、相手の悪口ではなく、
「ちょっと、コミュニケーションがうまくいっていないんですけどね…」
と言うこと。
 


      ************

 そして、相手の良い所や長所を見たら(見つけて)、それを必ず褒めること。
(神様も、お小言言う前に、必ず良いところをほめてから、言っている@黙示録)


 ―そうやって、それぞれ、切磋琢磨してより良くなっていくほうが、なんぼかマシ(建設的)じゃないですか?

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春の嵐

2012-03-31 13:05:47 | 日々の雑感
 昨年、得られた情報(本人も気づかない程度のコト)から「マズイ。嵐が起こる。対応願う」と、すぐさまその方面に警報を発したところ、
それに対応できるはずの一部の人から「そんなわけ、ないだろう」と嗤(わら)われたことがある。

 それでも、一応、頭の片隅に入れてください、とお願いした。

 すると、その次の日には、その方から「!!!!!!!!!」と連絡を頂いた。
(・・・そんなに驚かなくても・・・。それは、前もって言っておいたじゃないですか・・・。)

 案の定、勃発した。


 ほころびが小さなうちに対処していたら…と悔やむことはある。


       ****************

 そして、今年も嵐が来る。

 すでに嵐が来ているところに、何かが起こった場合、壊滅的な状況になる。
(対応すべき人が、対応できる状況まで回復したら、また異なる結果になるだろう。)

 最悪の場合も含めて想定し、「嵐」警戒警報を発令したところ、一部は理解した。だが、一部は「信じられない」と反応し、「お前は、遠くにいるのに、何がわかるというのか」とさえ言われた。
(正直なところ、…では、その遠くにいる者に、今まで貴方と同じ地域の人の安否を聞いていたのは、なんだったのか…と、ガクッときた。そして、それを聞いた他の者は「××でさえ、わからないのか…」と呻いた。だが、おかげさまで、そこから 良い示唆も頂いた。)

 また、そのことに関連して、不思議なこともいくつか起こったため、
 昨年のことを思い出し、さらに昔の人々も思い出した。


       ****************

 そして、想った。
 警告をあらかじめ発していても、聞き入れられずにそれが起こってしまい、無力感を感じているオレなんかの場合よりも、もっともっと、あの人たちは辛かったろうなぁ・・・と。

       ****************

 ・・・神様から命じられてしまったために、イイ年をした大の大人が、大都市にこれから起こる預言・前兆として、三年間も、素っ裸で「おしりぺんぺん」していなければならなかったなんて、大変だったろうなぁ(旧約聖書・イザヤ書20章)・・・ね、イザヤさん。
 同じ主(しゅ)を主として信じている者たちからも理解されずに、バカにされたり、いのちの危険さえ冒して、それでも、来る日も来る日も、これから起こることを預言していたこともあったんだろうなぁ・・・と。


 預言者の中には、夢で、その光景を見せられる人もいた。
 ・・・それに対して備えをするようにと、悔い改めるようにと、警告し続けても、なお、それが繰り広げられるのを、目の前でまた、見なければならなかったのは、どれほど辛かっただろう・・・と。

 また、預言者が、伝えるのも嫌になったとしても、
 「もし伝えなかったら、その責任はお前に問う」と、預言者たちは主から命令(別の言葉で「脅迫」とも言う?)されていた。誰も「アーメン」といわず、誰も悔い改めないときにでも。預言したせいで、投獄されたり監禁された(ex.エレミヤ書32章)としても。

       ****************


 そんなこんなを、吹き荒れる春の嵐の中、つらつらと想う。
 私は、平和を願う。

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