昨日の明け方、久々に悔しい思いをした。
己をはがゆく感じた。@トリアージ。
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「悔しい」。義憤にかられる。「ふざけるな」。
凍らせていた感情が開放されて以来、髪の毛が、スーパーサイヤ人のように突っ立ってしまうような程、そんな激しい想いに駆られることはしばしばあるのだが ― 外見は家族曰く「憎らしいほど冷静」らしいが、内部はマグマ也 ―、
己にまかされている範囲で、ここまで歯がゆい思いをしたのは、久々かもしれない。
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その昔、ここまで自分に歯がゆい思いをしたのは、中2(14歳)の頃だった。あのときに通じる。
その頃、私はまだ、求道者 1)だった。
2月の冬の寒い夜、― 確か、伝道者が、入院していたか、もしくは静養を命じられている頃― そんな私一人しかいない教会(集会)に、初めての方が来られたときだった。
―その方は、どのような思いで、こられたのだろう。―
そのときほど、「早く、兄弟姉妹(クリスチャン)の皆、来て!!」と思った事はなかった。
そのときほど、まだ自分がクリスチャンではなかったことを悔やんだことはなかった。
(モシ クリスチャンナラバ、何ヲ言ウベキカ、聖霊ガ教エテクレルダロウカラ 2))
30分が1時間にも感じた。
あのときを無駄にすまい。
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今回も、だ。自分。
ガンバレ。自分。
【注】
1)求道者:キリスト教界において、ノンクリスチャンのうち、教会(集会)に来る人々を指す。その言葉が適当か否かはともかく、指し示されている対象は、その方々を意味する。
2)聖霊:三位一体、という言葉自体は聖書にはないが、いわゆる「父・子・聖霊」という三つの面(←というと、語弊があるなぁ…。でも、「位」というモノ自体、説明が難しい)を、聖書が示す神様は持っているが、クリスチャンの内には、聖霊(なる神)が内在する。
ただ、恐れ多くも、人には自由が与えられているため、いくら神様が内(うち)にもいらっしゃるとはいえ、「神様由来の性質」を出せるか、それとも「人のマズイ性質」ばかりを出すのかは、その人のそのときの状態次第である。