さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

コントロールできるものとできないもの

2013-01-19 12:51:38 | Sunday 集会・生活
 キャベツには、「禁句」の「言葉」がある。

 その「言葉」は、キツイ言葉ではない。
どちらかというと、賛辞の「言葉」であり、好意から発せられる「言葉」であり、それを言われると喜ぶ者も多いだろう。だが、それは、キャベツには「禁句」である。

 その「禁句」が発せられると、どうなるか。

 まず、全身がぞわぞわぞわとむず痒くなる。
 特に、その禁句の最後に、「♪」マークや「」マークがつきそうな感じで発せられると、12誘導を取ってみたくなるほど、本当に、苦しくなる。
 つまり、キャベツの前胸部が、突然、ぎゅ~~~~~~~っと締め付けられ、苦しくなり、
 息苦しくなり、
 右背中への鈍痛まで起きる。

 うおぉ・・・や、やめてくれ・・・・・・。殺す気か・・・。

 胸を押さえながら、うめき声を発した。どうにか、その「禁句」を取り下げてもらう(否定する)と、その症状はおさまることが、現在、判明している。



       ***************


 だが、昨今、その「禁句」に「♪」マークをつけるような発言を否定すると、

「他人があなたに対してどう評価しようと、それをあなたがコントロールできるのか。『こう思え』、と言ったら、相手もそう思うというのか」

と、逆に、怒られた。



・・・どうやら、イチロー選手松井選手 1)、(母方の)じさまパウロ 2)の、爪の垢を煎じて飲み、学ばなければならないらしい。


つまり、「制御(コントロール)可能なものには最善を尽くすが、

制御不能な場合は、気にしない」





 毀誉褒貶(きよほうへん)に、感情を揺れ動かされ―特に、褒め言葉で、絞扼感などを覚え― るなど、まだまだ甘い。



              



【参考】
1)矢部正秋著「弁護士の仕事術・論理術」 成美堂出版,p.64-69
  ISBN978-4-415-07389-7

  
『・・・イチロー選手は、メジャーリーグでの首位打者争いについて聞かれると、
決まって答える。
   「他人の」打率は、僕がコントロールできるわけではないから、
意味のない問いですね」
と。

   世間は移り気である。
数試合不振が続けば「イチロー音なし」「二試合連続無安打」などとマスコミにたたかれる。
活躍すると「強肩イチロー三封」「絶好調」とほめそやされる。
技術的には変わらなくても、毀誉褒貶は変化する。

   しかし、ライバルの打率をイチロー選手は支配できないし、
世間の評判もコントロールできない。
支配できないものを気にして悩んではきりがない。
・・・』




2)新約聖書・コリント第一4:3-5

  『私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、おそよ人間による判決を受けることは、
非常に小さなことです。
   事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。

   私には やましいことは少しもありませんが、
だからといって、それで無罪とされるのではありません。
私をさばく方は主(しゅ)です。・・・』



                       

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事実と意見とを区別する 重要性

2013-01-19 11:07:44 | Sunday 集会・生活


 木下是雄氏(学習院大学名誉教授)は米国の小学五年生用の教科書を見てショックを受けた。

「事実」と「意見」を区別することの重要性を、

くり返し教育しているからである(『理科系の作文技術』木下是雄 中央公論社)


 教授が手にした教科書には、次のような記載があった。


1.ジョージ・ワシントンは米国のもっとも偉大な大統領であった。

2.ジョージ・ワシントンは米国の初代の大統領であった。

このうちどちらの文が事実の記述か? 意見と事実はどう違うか?



 この程度なら答えは簡単である。

ワシントンが「初代の大統領」であるというのは事実を述べているにすぎない。

だが、ワシントンが米国の「もっとも偉大な大統領」であるか否かは、人によって判断が異なる。

人によってはリンカーンこそもっとも偉大な大統領というかもしれない。

つまり、は意見であり、は事実である。


 教授の引用する米国の教科書には、さらに多くの記載があった。

「スミスの犬は羊を殺す」は判断であり、「私はスミスの犬が一匹の羊を殺すのを見た」は事実の記述である。

「大学のフットボールは衰微しつつある」は判断であり、「多くの大きな大学では、フットボール・チームの経費が入場料収入を上回る速さで増加しつつある」は事実の記述である。



 私たち日本人は、学校教育で事実と意見を区別する大切さを学んでいない。米国とは大変な違いである。(←これは、この筆者の意見である by キャベツ)

 他人との会話でも、新聞や雑誌を読むときでも、文章を書くときでも、事実と意見とを明確に
区別することは大切である。

事実と意見を聞き分け、読み分け、書き分けることは、社会生活の根本であるといえよう。


   ・・・・(中略)・・・・・・

 日常生活で話題になることのほとんどは、伝聞や推測や噂などの「事実もどき」にすぎないが、人々はそれを「事実」と信じてしまう。

特に、「蓋然性(がいぜんせい)の高い推測」と事実を簡単に混同する。

「たぶんそうだろう」と思ううちに、人はやがて、それを事実と信じてしまう。



 判断の根拠を自問したり、証拠を確認することをしない。

その結果「あるもの」を「ないもの」と思い、「ないもの」を「あるもの」と誤ってしまう。



(矢部正秋著「弁護士の仕事術・論理術」 成美堂出版,p.22-24
ISBN978-4-415-07389-7)

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