1か月かそれ以上久しぶりに、ある友人と会った。
私キャベツにとって、友人たちはありがたい聞き手かつ批評家でもある。
***********
男とか女とか、キャベツにとってはある意味どうでもよく、あまりそういう区分で話をしたくはないが、
傾向として、同世代のキャベツの女友達の場合は、たいてい、「~それで、それで!!?」と目を輝かせて、聴いてくれる子が多く、話し手としては非常にありがたいのだが、一方、男友達のほうは、こてんぱんに弱いところをつついてくれる、ありがたい存在がぽつぽつといる。
今回は、こんな具合だ。
「聖書的に、相手が聴く耳をもたなかったら(相手の態度に応じて)、話さないという選択肢はありなのか。」
「自分は『口の人ではありません』って、聖書を語っている途中で、やっぱりやめますっていうのは、壇上に立ってから、『用意が不十分だったので、ここで終わりにします』と言って降りるようなものだぞ」
「相手が聖書を開かない場合は、話さないのか。あの時代は、聖書を持っていたか?」
「自分のものにしてから、話せ」
(追記:なんでもかんでも、ではない。伝聞情報は伝聞情報として端的に)
「今、到達しているところを意識して話せ。せっかく、ここまで来ているのに、次、また0(ゼロ)のラインまで戻って、0から到達しているところでの話にすると、行きつ戻りつするだけで、時間の無駄だ。そこから全然進まない。」
「お互いの到達(共通認識)を基にして、次を話せ」
「大多数のクリスチャンが、“神”を敬っていると言いながら、その実、“神”を自分たちの枠組みにはめて考えていないか? 自分たちの位置にまで引き下げて、同列に考えているのではないか? その問題が、“罪”の概念に、端的に現れているのでは?」
「客観的に、自分たちの(考え方の)優位性を示せ」
・・・等々。
(P.S- 当事者でないと、これらの抜出発言だけでは意味が伝わらない、と友人よりアリ)
率直にフィードバックしていただけるのは、ありがたいことです。
(ちなみに、キャベツは最近疲れ気味なので、肩もみも(ついでに)よろしく。。。)
私キャベツにとって、友人たちはありがたい聞き手かつ批評家でもある。
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男とか女とか、キャベツにとってはある意味どうでもよく、あまりそういう区分で話をしたくはないが、
傾向として、同世代のキャベツの女友達の場合は、たいてい、「~それで、それで!!?」と目を輝かせて、聴いてくれる子が多く、話し手としては非常にありがたいのだが、一方、男友達のほうは、こてんぱんに弱いところをつついてくれる、ありがたい存在がぽつぽつといる。
今回は、こんな具合だ。
「聖書的に、相手が聴く耳をもたなかったら(相手の態度に応じて)、話さないという選択肢はありなのか。」
「自分は『口の人ではありません』って、聖書を語っている途中で、やっぱりやめますっていうのは、壇上に立ってから、『用意が不十分だったので、ここで終わりにします』と言って降りるようなものだぞ」
「相手が聖書を開かない場合は、話さないのか。あの時代は、聖書を持っていたか?」
「自分のものにしてから、話せ」
(追記:なんでもかんでも、ではない。伝聞情報は伝聞情報として端的に)
「今、到達しているところを意識して話せ。せっかく、ここまで来ているのに、次、また0(ゼロ)のラインまで戻って、0から到達しているところでの話にすると、行きつ戻りつするだけで、時間の無駄だ。そこから全然進まない。」
「お互いの到達(共通認識)を基にして、次を話せ」
「大多数のクリスチャンが、“神”を敬っていると言いながら、その実、“神”を自分たちの枠組みにはめて考えていないか? 自分たちの位置にまで引き下げて、同列に考えているのではないか? その問題が、“罪”の概念に、端的に現れているのでは?」
「客観的に、自分たちの(考え方の)優位性を示せ」
・・・等々。
(P.S- 当事者でないと、これらの抜出発言だけでは意味が伝わらない、と友人よりアリ)
率直にフィードバックしていただけるのは、ありがたいことです。
(ちなみに、キャベツは最近疲れ気味なので、肩もみも(ついでに)よろしく。。。)
『鉄は鉄によってとがれ、
人はその友によってとがれる。』
(旧約聖書・箴言27章17節)
人はその友によってとがれる。』
(旧約聖書・箴言27章17節)