『私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、
返さなければならない負債(ふさい)を追っています。』
(新約聖書・ローマ1章14節)
返さなければならない負債(ふさい)を追っています。』
(新約聖書・ローマ1章14節)
Q.どうすれば、福音を伝えられるだろう?
-それね、私も悩んでいることだよ。
Q.どうすれば、もっと福音を伝えることができるだろう?
-みことばに親しむこと、祈ること、そういったことは言わずもがなだが…(゜_゜
Q.××で、どうやったらもっといいのだろう?
-ふり返り、してる?
・・・以下、簡単に、ふり返り方法のひとつのメモです。たたき台のため。
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1.誰に対して、なのか
-伝えようとしている人がどんな人なのか。どんな考え方の人なのか。
Q.え、初めての人でも?
-逆に、その人のすべてを知って福音を語れるのか?
入ってきたときの雰囲気とか、聖書の開き方とか、表情とか色んな情報を見ることと、祈ること。
その人のすべてを知って語れるわけではない。
(だが、そうなると、面白いことに「どうして知っているの?」と、思いがけないところで問われることはある。
それは多分、自分にも測り知れないが、「聖霊に示されたんだ」ってこと)
2.何を伝えようとしたのか、何を伝えよと(聖霊から)示されたか
-準備していた福音が、それも「今日はこれで大丈夫!」と思っていた準備が、その直前になって、急に別の箇所を示されることはある。2つ3つ用意していても。不思議なコトに、別を示されることは多々ある。ただ、あとでなぜ、そこを示されたのか考えること。
3.実際に開いたみことばと内容
4.<自己分析>できた点、できなかった点
-“神”は間違えることはなくても、神のみことばを預かっている自分タチ“人間”は、間違えるし、すべてを知り尽くしているわけではない。完璧なわけではない。
-“オレ様=神様”な人はふり返ろうとしないが、ふり返り肝要。
かつ、他者からのフィードバック(実際にどう伝わっているか)も大事。
-たとえば、患者に説明している時、医者や看護師はわかる内容であっても、その患者が理解できないような内容だったら、意味がないだろう? ただの自己満足だ。
<他者から>良かった点、わかりにくかった点・もっとこうしたらよいという点
-できれば、未信者の方に。
そうでなくてクリスチャンからフィードバックをもらう場合、“実戦”している兄弟姉妹に。
-また、未信者に尋ねる場合、
「理解できましたか?」はナンセンス。
「今日の話でわかりにくかった点はないですか?」「自分の勉強のためにも遠慮なく言ってくれるとありがたい」という形で尋ねると、相手も委縮しなくてすむし、余計な誤解を与えずにすむ。
(自分を信頼してもらっていなかったら、“フィードバック”さえもらえない)
5.(4)を踏まえて、「なぜ、食い違うのか」を考える
4.→まず、自分はなぜそう考えたのか。
4.→相手は、なぜそう感じたのか。(“実戦”している人からの場合、4・5同時にフィードバックをもらえること多々あり)
6.それぞれ賜物(たまもの、才能)が違うのだから、あの人のマネ、とかではなく、あなた自身がもらっているものを磨いていかないと。毎回、これを行うのはしんどいと思うからムリはしなくてもいいが、“ふり返り”を繰り返していったら、もっと良くなると思う。