「ある人に 息子がふたりあった。
弟が父に、『お父さん。私に財産の分け前を下さい。』と言った。
それで父は、身代(しんだい)をふたりに分けてやった。
それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。
そして、そこで放蕩(ほうとう)して湯水のように財産を使ってしまった。」
(新約聖書・ルカの福音書 15章11~13節)
弟が父に、『お父さん。私に財産の分け前を下さい。』と言った。
それで父は、身代(しんだい)をふたりに分けてやった。
それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。
そして、そこで放蕩(ほうとう)して湯水のように財産を使ってしまった。」
(新約聖書・ルカの福音書 15章11~13節)
あるとき、相方トマトと「放蕩息子」※1について話をしていたところ、
※1「放蕩息子」…ルカ伝15章にある、有名なたとえ話。
『10行で読める放蕩息子』は こちら→。
1)身代を分けるということ
キャベツ「それにしても、お金を渡したら、こいつ、絶対、外に行って、
失敗する…ことも分かっておきながら身代を渡すって、
どういう気持ちなんだろうね。
わかんないわ~(難しいわ~)」
トマト 「そもそも、何で、『お金をもらうこと』と、『外に旅立つ』ことがリンクするのか
わからない。
僕なら、お金をもらっても親元にいるよ」
キャベツ「えっ・・・・・・?
大金もらって、『ひゃっほ~~~~い!!!』って、
外に行って、一度は失敗するもんじゃ…」
トマト 「いやいや。
無謀で、無計画すぎるよ!
先ずは、足元固めて、それからじゃ・・・」
「(もらったことの)お礼もしてからじゃなきゃ・・・!!!」
というやり取りがありましての。
親元にいる(この場合、「保護はあるが、勝手はできない」という定義とす)=兄息子の感性になるかと思いきや、
色んな感性があるものだな…ともあれ、こんな『良い子』な30代男子を育てた親御さんの
お顔を見なくては…としみじみ思わされました。
(いや、こんな感性ならば、そもそも「身代分けてけろ」なんて、言わんだろ・・・。)
((2)に続く)
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