さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

触れたからこそ 言えること  Ecclesiastes

2017-08-04 06:00:17 | Sunday 聖書
 先日、とあるものに触れながら、思ったことは、

「八軒慎吾も、ソロモンも、実際に触れたからこそ、あんなことを言えるんだ」

ということだった。



       ***************


 もし、慎吾が東大に入らなかったら・・・


(銀の匙3巻 P.52 主人公の兄・八軒慎吾。東大入学後1年でドロップアウトしフリーターへ。
今はロシア人美女と結婚して、1児の父)



こんなセリフは説得力がなかっただろう。

 東大に入ったからこそ、「いや~、俺みたいのが入れるんだから、東大とかたいした事 無いッスよ。と言えるのだ。


 ~もしそうでなかったら、イソップ童話にある「酸っぱいぶどう」のような、負け惜しみにしか聞こえなかっただろう…。~





       ***************


 同じように、栄華を極めたソロモンだからこそ、

「なんと、すべてがむなしいことよ」(旧約聖書・伝道者の書2:11)

という言葉に重みがあり、

 権力に名声、金と女などを得、人が望むあらゆることを味わい尽くしたソロモンだからこそ、

「空(くう)の空(くう)。すべては空(くう)。」(伝道者の書 1:2)


という言葉の響きが、ただ感傷的なアンニュイなものではないことをひしひしと感じる。



 そして、そのソロモンは、こう言っている。



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 ・・・今日、自分(ジブン)は、どうだろう。

 ちなみに、第一義的には「20代程度まで」を指すのかもしれないが、

これからの人生の中で、常に、「今日」が一番若い日、でもある。・・・
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