ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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オーディオブックを考える

2018-05-08 17:14:32 | 日記
昨夜NHKのニュースでオーディオブックがとりあげられていました。
先日このブログでアマゾンオーディブルのことを書きましたが、オーディオブックというジャンルは、だんだん世の中に浸透しつつあるようです。

私も、アマゾンオーディブルで、あれからまた別の作品を聴いてみました。
ある事情からそのタイトルは控えておきますが……その感想を踏まえて、もう少しオーディオブックについて思うところを書いてみようと思います。

一つ思ったのは、朗読者によってかなり作品の印象が左右されるんじゃないかということですね。

朗読には当然ながら登場人物のせりふもあり、そこはドラマのせりふのようにして読むので、役作りというか、そういうものがあるわけです。いや、もしかすると、せりふだけでなく地の文にだってそれはあるかもしれません。
また、同じセリフでも、どんなふうに読むか、どういう感情を込めるのかという部分は、選択の余地があります。
つまり、朗読には、どうしてもその朗読者の解釈が入り込んできてしまう。そしてその解釈は、作者の意図と食い違うことも少なくないでしょう。オーディオにした時点で、そういう齟齬から逃れることはできないと思うんですね。
私は、それが“欠点”だとは思いません。劇やドラマ、映画だってそういうものでしょうから。ただ、受け手の側で、オーディオブックは本の作者と朗読者の共同作品という意識を持っておくべきなのかもしれません。

もう一つ、ミステリーの視点でみると、叙述トリックとのかねあいが気になりました。

私が今回読んだ作品には叙述トリックのようなものが使われていて(それがタイトルを出さないことにした理由です)、そこに新鮮さを覚えました。

一人の人が複数の声音を使い分けているがゆえに、叙述トリックも生きてくるのかと思えたのです。
音声で聞いているので、リスナーの側は、この声音の人物はこの人、というふうに脳内で割り当てをしているわけですが、そこの盲点をうまくついているように感じました。

ただ、ここには難しさもあると思います。

私が読んだ作品で使われていたトリックは、ほぼ同じ年代の二人の女性の語りで錯誤を起こさせるというものでした。これなら、オーディオブックでもできる……いやむしろ、オーディオブックでこそ生きるでしょう。しかし、年の離れた人物だったり、あるいは性別叙述トリックのようなものだったらうまくいくのか。これはちょっと厳しい気がしますね。

そういう意味では、やはりオーディオブックにも限界はあると思います。
紙の本でしかできない表現もあるわけで……そこのすみ分けというか、受け手の側の使い分けを模索していく段階がしばらくあるのかなと思いました。