ロック探偵のMY GENERATION

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入試改革はどこへ……

2019-11-01 15:29:57 | 時事
大学入試改革における英語の民間試験活用が延期になりました。

前々からさまざまな問題点が指摘されていましたが……萩生田文科相によるいわゆる「身の丈」発言がとどめになったというところでしょうか。

私も一応英語の教員免許を持っている人間として……この件について一言言っておきたいと思います。

まず、センター試験を改革するということ自体には、私は賛成です。

文法偏重でいながら、アリバイ作りのように会話表現などを混ぜ込んでくる、そんなセンター試験がいかに日本の英語教育をゆがめてきたことか……センター試験はやめるべきだというのが、かねてからの私の持論でした。

しかし、今回の騒動で問題だったのは、「民間」というところでしょう。
民間であるがゆえに、採算性が重視され、試験会場や受験費用といった部分で「機会の平等」というところに考えが及ばないわけです。
機会均等のためなら、採算がとれないような場所にもきちんと会場をつくり、利益を度外視しても受験費用は低価格に抑えるべき。しかし、民間の事業者はそんなことを判断の基準にしない――問題の根幹は、そこにあると思えます。

「官から民へ」「小さな政府」といった言葉にも、私はかねてから懐疑的です。

それは、19世紀的弱肉強食経済を志向するもので、結果としては格差の拡大を招くことになる。そして、格差の拡大は、階層の固定化につながり、むしろ競争に参加しようという意欲をそぐことになるでしょう。スタート地点であまりに差がありすぎると、もう競争しようという意欲も出なくなるためです。「身の丈」発言は、まさにその点において大問題なわけです。

また、教育の効用という観点からしても、大いに問題があります。

経済的に裕福でないと一定レベル以上の教育が受けられないとなれば、天才的な潜在能力を持った“神童”がその能力を発揮できる場を与えられないままに一生を終える可能性が高まります。それは、社会にとって大きな損失となるでしょう。

投資が何百倍、何千倍にもなって返ってくる可能性があるのは、教育だけというのが私の持論です。
“神童”に、教育を受ける機会を保障する。すると、その神童が画期的な技術を開発して、莫大な富を生み出す――功利という観点からすれば、そういうことです。
逆に、教育に投資しない国家は、そのリターンを得られずに衰退していくことでしょう。というよりも、今の日本は、すでにそうなってるとも思えます。

某大臣の父親が、かつて総理をやっていたときに「米百俵」ということをいいました。
いまの台所事情がひっ迫しても、次世代のための投資をしようという……

しかし、それから十年以上にわたって実際にやってきたのは、その真逆のことでしょう。
日本の公教育の支出は、OECD加盟国中最低レベルとよく批判されます。この教育の貧困が、日本をじりじりと衰亡させているんじゃないでしょうか。
民間部門にそこは任せられません。私企業が考えるのはあくまでも投資が自社にもたらすリターンであって、「教育が社会全体に与えるリターン」などということは民間企業のバランスシートに入りようがないからです。


最後に……功利とはまた別の観点で、スタート時点の平等は保障されていなければならないということもいっておきたいと思います。
というより、むしろそちらのほうがより本質的なテーマです。
教育に投資することのリターンは、あくまでも結果論。そのために機会均等を保障しなければならないわけではありません。コストパフォーマンスなど関係なく、機会の平等は保障されるべきです。その点からしても、今回の英語民間試験活用は問題がありすぎました。


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