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ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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『コンティジョン』

2018-05-12 14:40:48 | 映画
 

『コンティジョン』という映画を観ました。

致死率が高い未知の感染症が爆発的に拡大して社会がパニックに陥るという、いわゆるパンデミックものの映画です。

タイトルのContagion は、ずばりそのまま“感染”という意味。

このタイトルのストレートさそのままに、作品自体も非常にストレートで、感染が拡大していく世界を淡々と描いています。

アマゾンプライムで観て、観終わった後にレビューもちょっと読んでみましたが、この“淡々”というところで評価が割れているようですね。
パンデミックものというところに期待して観た人は、いささか盛り上がりに欠ける展開に物足りなさを感じるのかもしれません。

しかし私は、この作品に好感を持ちました。
あるレビューでは、まるでシミュレーションのようだという評がありましたが、まさにそのシミュレーションとしてのリアリティが真に迫って感じられました。むしろ、変に嘘くささがなくていいと思えるのです。

ネットを通して拡散するデマがあったり、WHOの偉い人が、秘匿しておくべき情報を身内にこっそり漏らしたり、身内を優遇したりします。また、娘とともに家にこもっている父親が、訪ねてきた娘のボーイフレンドに銃を突きつけて追い返すというシーンもありました。
現実としては、たぶんそんなものでしょう。
映画としては、主人公サイドは強い正義感を持っていて「そんな不正はできない」みたいなことをいわせたほうがいいんでしょうが、そうしないところにリアリティがあります。
そういう観点でみると、クライマックスの盛り場のようなところがないのも、作品のリアルさを維持することにつながっています。変に盛り上がらないからこそ、作り物くささがないのです。

いかにもなパニックものやディザスターものをみせられてきてパニックずれしてきた映画視聴者には、もう一周してこれが新鮮なんでしょう。そういう意味では、リアリティショウとかPOVといったものと同じベクトルを共有しているのかもしれません。

横山秀夫『震度0』

2018-05-10 15:15:28 | 小説
以前アマゾンオーディブルに関する記事で、横山秀夫さんの『震度0』を“聴いた”ことを書きました。

ことのついでなので、今回はその『震度0』についてのレビューを書こうと思います。

 

※極力ネタバレは避けていますが、一部『震度0』終盤部分の展開について書いています。未読の方はご注意を。


この作品では、阪神大震災と時を同じくして起きた事件が描かれています。
警務課長が失踪したというものですが、それが県警本部長の不始末につながっていき、そこから県警内部で主導権争い、派閥争いのようなことが展開していくのです。

横山さんといえば、警察を取材する記者としての経験を生かして警察の内部を描くスタイルで知られていますが、この作品でもそれがフルに発揮されています。

舞台となるN県警の内部で繰り広げられる政治劇は、迫真のリアリティを持っています。

震災で千人という単位の死者が出るなかで、N県警では首脳部が主導権争いのようなことを延々やっています。そのギャップが、どこか恐ろしいような、悲しいような気分になってきます。

一つのキーとなるのが、人事を握る警務部の部長である冬木。
キャリアであり、将来は警視総監をも視野に入れる人物です。

この警務部というのもポイントですね。ふつうのミステリーではまず登場してこないし、出てきたとしても端役にしかならない部署だと思いますが、横山作品では重要な役割を果たしますね。松本清張賞を受賞した「陰の季節」からそうでした。警察という組織内部のことを描くとなると、ここが要になってきます。警務部長の冬木は、人事を掌握する立場から、県警首脳部における政争の軸となるのです。厚遇をちらつかせたり、あるいは、その逆で脅しをかけるようなことをして、人を操る……こうして、本部長や刑事部長と対立し、組織内部に敵味方ができていきます。

ネタバレを避けるために詳細を書くのは控えますが、県警首脳部は、最終的にある種の隠蔽を行なおうとします。これが表に出れば、N県警が大混乱に陥る。警察をやめた後の天下り先もなくなる、キャリの身からすると、そこから先の出世の道が断たれる。だからここは、全員で示し合わせてなかったことにしよう……という話になるのです。もちろん反対する人も出ますが、あんたにも家族がいるだろう、というような言い方で押し切られます。

なんだか汚い大人になっちまったな……というような話ですね。

捜査に出ていく刑事を見送る姿を見て「刑事の背中だった」という刑事部長の述懐が印象的です。自分もかつては、捜査一筋の刑事だった。天下り先の確保なんか考えたこともなかった。しかし、いったん刑事部長という立場になって、その後の天下りが約束されてみると、それを失いたくないという気持ちが出てくる。そうして、政争に明け暮れることになる……

この作品を読んでいて私は、最近相次いでニュースになった隠蔽、改ざんといった類の話を思い出しました。

隠蔽、改ざんを行なっていた各省庁では、たぶん、この小説に描かれているようなことが起きていたんだろうな……と想像します。

上のほうにいる人間ほど、保身を考えるようになる。
そして、これを表に出して自分の立場を失うぐらいなら、死に物狂いで隠蔽しようということになるんでしょう。そのエゴの前では、下っ端の正義感はたやすく握りつぶされます。

しかしこの小説は、それで終わってしまいません。

先述した反対者は、いったんは押し切られますが、そのまま黙ってしまいませんでした。

首脳部が隠し通そうと決めたことを、あきらかにしようとします。彼は本部長室に内線電話をかけますが、話し中です。

「再度、部長会議を」
もし他の誰かがそう進言しているのだとしたら、N県警はこの激震からも立ち直れるに違いない。

そのかすかな希望を示して、物語は終わります。

“自浄能力”とよく言いますが、それは、一個人としての良識だと思うんですね。
それでいいのか、それじゃダメだろ……という。組織を立て直せるのは、組織の論理から独立した個人としての良識しかないでしょう。隠蔽だの改ざんだので揺れている省庁に必要なのは、まさにこの良識だと思います。


※引用部分は、オーディブルの聴き取りによるものです。紙の本での表記は違っているかもしれないのであしからず。

オーディオブックを考える

2018-05-08 17:14:32 | 日記
昨夜NHKのニュースでオーディオブックがとりあげられていました。
先日このブログでアマゾンオーディブルのことを書きましたが、オーディオブックというジャンルは、だんだん世の中に浸透しつつあるようです。

私も、アマゾンオーディブルで、あれからまた別の作品を聴いてみました。
ある事情からそのタイトルは控えておきますが……その感想を踏まえて、もう少しオーディオブックについて思うところを書いてみようと思います。

一つ思ったのは、朗読者によってかなり作品の印象が左右されるんじゃないかということですね。

朗読には当然ながら登場人物のせりふもあり、そこはドラマのせりふのようにして読むので、役作りというか、そういうものがあるわけです。いや、もしかすると、せりふだけでなく地の文にだってそれはあるかもしれません。
また、同じセリフでも、どんなふうに読むか、どういう感情を込めるのかという部分は、選択の余地があります。
つまり、朗読には、どうしてもその朗読者の解釈が入り込んできてしまう。そしてその解釈は、作者の意図と食い違うことも少なくないでしょう。オーディオにした時点で、そういう齟齬から逃れることはできないと思うんですね。
私は、それが“欠点”だとは思いません。劇やドラマ、映画だってそういうものでしょうから。ただ、受け手の側で、オーディオブックは本の作者と朗読者の共同作品という意識を持っておくべきなのかもしれません。

もう一つ、ミステリーの視点でみると、叙述トリックとのかねあいが気になりました。

私が今回読んだ作品には叙述トリックのようなものが使われていて(それがタイトルを出さないことにした理由です)、そこに新鮮さを覚えました。

一人の人が複数の声音を使い分けているがゆえに、叙述トリックも生きてくるのかと思えたのです。
音声で聞いているので、リスナーの側は、この声音の人物はこの人、というふうに脳内で割り当てをしているわけですが、そこの盲点をうまくついているように感じました。

ただ、ここには難しさもあると思います。

私が読んだ作品で使われていたトリックは、ほぼ同じ年代の二人の女性の語りで錯誤を起こさせるというものでした。これなら、オーディオブックでもできる……いやむしろ、オーディオブックでこそ生きるでしょう。しかし、年の離れた人物だったり、あるいは性別叙述トリックのようなものだったらうまくいくのか。これはちょっと厳しい気がしますね。

そういう意味では、やはりオーディオブックにも限界はあると思います。
紙の本でしかできない表現もあるわけで……そこのすみ分けというか、受け手の側の使い分けを模索していく段階がしばらくあるのかなと思いました。

SL人吉に乗ってきました。

2018-05-06 15:56:27 | 旅行
いよいよ帰路です。
帰りは、“SL人吉”を利用します。

これこそが、今回の旅行の目的。
これに乗るために、人吉までやってきたのです。

SL人吉は、熊本-人吉間を往復する蒸気機関車。
期間限定で、しかも一日一往復しかしません。乗るためには予約が必要で、なかなかチケットがとりにくいそうです。

私はとりたてて鉄道マニアというわけでもありませんが、SLというのは、心を震わせる何かがあります。幸いチケットをとることができたので、これはもう行くしかないということで、熊本行きを決めたのでした。

下の画像は、人吉駅に入ってくるSL人吉です。


人吉に到着すると、いったん車庫へ。


この車庫もいい味を出しています。


説明書きによると、国内唯一の石造車庫だそうです。



石造りというのもそうですが、ところどころ木造の部分があるのもいいですね。



さて、人吉に到着したSLは、折り返して熊本へ向かいます。そのために、車体を回転させる“転車台”という設備があります。


これが、その転車の様子。


客車から切り離された機関車だけが方向を転換。


方向転換のためなら半回転すれば事足りると思うんですが、一回転半していました。
そういうものなのか、ギャラリーむけのサービスなのかはわかりませんが……



方向転換が完了すると、機関車はふたたび本線に戻って客車に連結されます。




そこからホームへ。


ホームでは、撮影する人も多くいます。
日付入りのパネルと一緒に撮影してくれるサービスもあります。

そして、14時38分、いよいよ出発。


SLは、途中のいくつかの駅で10分程度停車しながら進みます。

沿線にはレトロな木造駅舎も多くあり、そういったところを見物しながらゆっくりと汽車は熊本を目指します。
下の画像は、一勝地(いっしょうち)という駅。


その地名から、受験生が多く訪れるといいます。
駅の入場券は、お守りのような形。


そしてこちらは、白石駅。郵便ポストもいい味出してますね。



人吉―八代間は、球磨川沿いを走っていきます。
鉄橋なども多くあり、いい雰囲気です。



およそ2時間半の旅程を経て、SL人吉は熊本駅に到着します。

やっぱり汽車はいいですね。

これに乗るためだけに熊本へ行く価値は十分にあると思います。

最後に、車内で配布されている乗車記念証の画像も載せておきましょう。


車内にはスタンプもあり、スタンプを押して完成。


いま気づきましたが、裏面に桜のことが書いてありますね。
乗っているときはわかりませんでしたが、沿線には桜の木があるようです。桜の中を走るSL……いいですね。今度は、来春行ってみますか。予約をとるのは相当難しいんでしょうが、沿線の駅でその姿を見るだけでも十分見ごたえがあることでしょう。

人吉へ

2018-05-05 23:11:59 | 旅行
熊本旅行の続きの記事を書きます。

八代を出ると、いよいよ目的地である人吉へ。

着いたのは、夕暮れ時。駅舎に趣があります。


駅前には、“からくり時計”も。


一定時間ごとに、からくりが作動します。
動くと、こんな感じに。


人吉は温泉地で、あちこちに温泉があります。私が利用したゲストハウスの近くには、なつかしい感じのする銭湯のような温泉もありました。妖怪でも出てきそうなたたずまいがたまらないですね。




翌日の朝には、青井阿蘇神社というところへ行ってきました。


阿蘇神社からわかれた神社の一つだそうで、いくつかの建造物が国宝に指定されています。
くっつくような形で青井稲荷神社というのもあって、稲荷神社によく見られるあの鳥居の通路がありました。



ここからは、人吉に関する情報をもう少し。

人吉というところは、「まいてつ」というゲーム、アニメの聖地となっているそうです。


私はまったく知りませんでしたが、聞くところによると艦コレの鉄道版みたいなやつで、近々アニメが放送されるらしく、ヒットするんじゃないかといわれています。

また、『夏目友人帳』の舞台となる村のモデルも、この人吉とのこと。作者の緑川ゆきさんが人吉の出身なのだそうです。
先ほど“妖怪でも出てきそうな”といいましたが、人吉には古い神社もあり、また“幽霊寺”なんてものもあったりして、そういうインスピレーションをかきたてるものには事欠かなかったということなんでしょうか。

さらに出身者のことでいうと、ウッチャンナンチャンの内村光良さんも人吉市の出身。そんなふうに見ていくと、この人吉というところ、なかなか侮れません。

さて……

そんな人吉に、私がいったい何をしにきたのかということなんですが……
それについては、また次の記事で書きましょう。
私は、聖地巡礼にきたのでも、温泉に入りにきたのでもありません。この人吉には、この記事ではまだ書いていない、私にいわせると最大の魅力をもつものがあるのです。
なにしろそれだけのものなので、ほかの記事と一緒に書くのもはばかられます。そういうわけで、またあらためて、別の記事で書こうと思う次第です。