ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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55年目のウルトラマンの日

2021-07-10 23:31:20 | 日記


今日7月10日は、ウルトラマンの日です。

去年もそれにあわせた記事を書きましたが……今年は、ウルトラマン55周年ということで、特別な記念日となります。

そんなわけで、このブログで過去に何度か登場してもらったウルトラマンの3Dフィギュアにもう一度登場してもらいましょう。今回の舞台は、わが福岡の警固公園です。



55周年といえばビートルズ記念日もそうでした。
つまり、ウルトラマンシリーズは、ビートルズが来日を果たしたのと同じ年に始まったというわけです。

それから現在にいたるまで、ウルトラマンは新たな作品を発表し続けてきました。
それはおそらく、今後も続いていくことでしょう。
この一大特撮シリーズのさらなる発展を期待しようと思います。



森鷗外「カズイスチカ」

2021-07-09 21:38:08 | 小説


今日7月9日は、「鷗外忌」。
文豪・森鷗外が、1922年にこの世を去った日です。

森鷗外といえば、日本文学史におけるレジェンド。
今年は、夏目漱石、芥川龍之介といった文豪についての記事も書いてきたので、その流れに乗って、鷗外についても書いてみようと思います。



記事を書くにあたって、ひとつ未読の作品でも読んでみようかということで……「カズイスチカ」という短編を読んでみました。

“カズイスチカ”とは、臨床記録のこと。鷗外は医者でもあるわけで、その知見に基づいて、医師の父子を描いています。
父のほうは、医者としての知識に関してはいまひとつながら、どこか達観した人物。それに対して息子のほうは、日常に安住できずにいます。「始終何か更にしたい事、する筈の事があるように思っている。しかしそのしたい事、する筈の事はなんだか分からない」というのです。

私はこの父子に、鷗外の憧れと現実を見ます。
「無門関」の禅僧めいた境地にある父は鷗外の憧れであり、そこに達することができない息子は鷗外自身の姿でしょう。


鷗外といえば、漱石と並ぶザ・文豪ともいうべき存在ですが、漱石に多くの門下生がいたのと対照的に、鷗外は孤高の文学者でした。

文壇ばかりでなく政治・学問の世界における大物たちとかかわりがありましたが、それでも鷗外は孤独であり、その孤独が作品の端々ににじみ出ているのは、鷗外作品をいくつか読んでみれば容易に感じ取れるところでしょう。

その孤高というところが、私には、どこかブライアン・ウィルソンに通ずるところがあるように思えるのです。

これを、強引なこじつけといわないでいただきたい。

昨日のビーチボーイズ振り返り記事で紹介した、「大海のなかを漂うコルク」という歌詞――
鷗外の寄る辺のなさというのは、それと同根のものであるように私には感じられます。
「妄想」という、短編というかエッセイのような作品がありますが、鷗外はそのなかでこんなことを書いています。

  自分は永遠なる不平家である。どうしても自分のいない筈の所に自分がいるようである。どうしても灰色の鳥を青い鳥に見ることが出来ないのである。道に迷っているのである。夢を見ているのである。

 「自分のいない筈の所に自分がいるようである」というのは、やはり昨日紹介した記事に出てくるビーチボーイズ「僕を信じて」の冒頭部分の歌詞そのものです。 I know perfectly well I'm not where I should be――

鷗外の抱えていた疎外感は、まさにブライアン・ウィルソンやトム・ヨークのそれと同じものでしょう。
夏目漱石も芥川龍之介もロックだとこのブログで書きましたが……その二人とはまた別の意味で、森鷗外もまたロックなのです。




ビーチボーイズの名曲を振り返る+α

2021-07-08 16:28:38 | 過去記事

ビーチボーイズ「素敵じゃないか」(The Beach Boys, Wouldn't It Be Nice)
今回は、音楽評論記事です。前回このジャンルでは、モンキーズについて書きました。そこで、「ロックンロールの変化の波に乗ろうとして失敗したアーティスト」としてビーチボーイズの名前を......


過去記事です。
ビーチボーイズについて書いています。

例によって、あらためて探してみると、こんな動画がありました。
「素敵じゃないか」に、ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラがオーケストラ伴奏をくわえたものです。
オーケストラで始まりますが、あのイントロはちゃんとそのまま残してくれてます。
歌の内容を踏まえたかわいらしいアニメーション動画もすばらしい。


The Beach Boys, Royal Philharmonic Orchestra - Wouldn't It Be Nice (Lyric Video)



さて……
プラスアルファということで、ビーチボーイズというバンドについてもう少し書いてみようと思います。

元記事で、ビーチボーイズの最初の三枚のアルバムアートワークはサーフィンと車がモチーフになっていると書きましたが、その画像などは載せていませんでした。
今回は、それらのジャケットをYouTubeの動画に使われているアルバムジャケットの静止画というかたちで紹介しましょう。
曲もついているわけですが、曲はあえてアルバムのタイトルチューンではないものをチョイスしました。


まず、ファースト・アルバム「サーフィン・サファリ」のジャケット。
まさに、これでもかといわんばかりのサーフィン/ホットロッドです。

Summertime Blues (Mono/Remastered 2001)

曲は、かのサマータイム・ブルース。
いろんなアーティストにカバーされていますが、ビーチボーイズもやってました。この曲はシングル Sufin' Safari のB面にも入ってます。


セカンド・アルバム「サーフィンUSA」。
曲は、Shut Down。これも代表曲の一つです。

Shut Down (Remastered 2001)



サード・アルバム「サーファー・ガール」。

In My Room (Remastered)

曲は、In My Room。
引きこもりのようにもとれるこの歌は、サーフィン/ホットロッドという仮面の奥にあるブライアン・ウィルソンの素顔を垣間見せているのかもしれません。そういった点で、『ペットサウンズ』の前駆的な曲とも目されます。



そして、ペットサウンズがあるわけです。

アルバム『ペットサウンズ』から、Sloop John B の動画を。

The Beach Boys - Sloop John B Promo Film (Official Video)

In My Room とは逆に、Sloop John B は『ペットサウンズ』のなかにありながらサーフィン/ホットロッドの残り香のようなものが漂っています。ゆえに、このアルバムのなかではやや浮いていると評されることも。

ついでに『ペットサウンズ』からもう一曲、「僕を信じて」。
ブライアン・ウィルソンがソロでやっているバージョンです。

You Still Believe In Me

ビーチボーイズ関連の記事をいくつか書いていたときにどこかでこの曲に触れたと思いますが、これは、私が個人的に『ペットサウンズ』のなかでもっとも気に入っている歌です。
歌詞、メロディ、ハーモニー、アレンジ……すべてが素晴らしい。



さて……
ここからは、ペットサウンズ以後のビーチボーイズの歴史を、楽曲とともに概観しましょう。



『ペットサウンズ』は、今でこそ名盤とされていますが、元記事にも書いたとおり、発売当初はそれまでのビーチボーイズファンを困惑させました。
さりとて、新たなリスナーを獲得したわけでもなく、そこからバンドは迷走していくことに。
各メンバーは、ドラッグやアルコールへの依存、新興宗教への加入……など、落ち目のバンドあるあるのフルコースといった観を呈しました。



低迷と直接関係があるかはわかりませんが、ビーチボーイズの曲には、シャロン・テート惨殺で知られるカルト集団の長チャールズ・マンソンの作品があります。

Never Learn Not To Love (Remastered 2001)

デニス・ウィルソン作としかクレジットされていませんが、この曲がチャールズ・マンソンの手になるものであることは、その筋では有名な話。
フラワームーブメントが盛んだったころのカリフォルニア界隈には、単にヒッピーという枠ではとらえきれないいかがわしい集団も存在していて、マンソン・ファミリーもそのなかの一つです。ジャクソン・ブラウンも、彼らに接触しそうになったことがあるといいます。
いうまでもなく、チャールズ・マンソンはかのマリリン・マンソンの名前の由来でもあるわけですが、元祖マンソンさんはこんな牧歌的な曲を作っていたのです。


1970年代。
低迷期にあってはそれなりに評価された作品として、1971年のSurf's Up があります。

Surf's Up (Remastered 2009)

タイトルチューンは、前にモンキーズの振り返り記事で名前が出てきたヴァン・ダイク・パークスも制作に参加した曲です。
もともとはお蔵入りとなったアルバム『スマイル』に収録されるはずだった曲で、『スマイル』のためにヴァン・ダイク・パークスが制作に関与した作品の一つでもあります。
surf's up というのは、サーフィンの準備が整ったことを意味するサーフィン用語から転じて、広く「準備ができた、さあ始めよう」といったような意味の慣用表現だそうです。このアルバムジャケットからなかなかその感じは伝わってきませんが、それがつまりこの時期のビーチボーイズだったということでしょう。

このアルバムからもう一曲、'Til I Die を。
これはブライアン・ウィルソンの手になる曲ですが、ブライアン・ウィルソンがソロでセルフカバーしている動画でご紹介しましょう。

'Til I Die

  僕は大海のなかのコルク
  荒れた海を漂っているんだ
  海はどれだけ深いんだろう
  僕は道を見失ってしまった 

と、ブライアンは歌います。
この寂寥……これこそが素顔のブライアン・ウィルソンということであり、私がいうところの第二世代ロックンロールなのです。
モンキーズの振り返り記事で、もしもヴァン・ダイク・パークスがモンキーズのオーディションに合格していたら……と書きましたが、結局それは、歴史に存在しえない類のイフなのでしょう。ヴァン・ダイク・パークスを、そして素顔のブライアン・ウィルソンをはじき出したところで成立するのが、60年代のウェストコーストでした。それゆえに、『スマイル』を60年代に発表することはできなかったのです。

  僕は地滑りのなかの岩
  山肌を転がり落ちていくんだ

という歌詞は、以前紹介したフーの Long Live Rock の歌詞と似ています。
英語詞は、I'm a rock in a landslide rolling over the mountainside となっていて、歌詞の中に rock & roll が潜んでいます。
レッド・ツェッペリンも「天国への階段」で同様の趣向を用いましたが、そこで歌われる rock not to roll (「揺らぐことのない岩」)よりも、ブライアンの場合は、「ロックは死んだ」と歌ったフーのほうに近いでしょう。
landslide(地滑り)という言葉はフーも使っていましたが、それまでの価値観、ロックを取り巻く環境が大きく変化していくさまが、そんなふうに感じられていたということじゃないでしょうか。ビーチボーイズは、ロックンロールそのものにおいても、進むべき道を見失っていたのです。

  僕は風にさらされる木の葉
  すぐにでも吹き飛ばされてしまうだろう

と、歌は続きます。
この歌詞は、O.ヘンリの名作「最後の一葉」を思い起こさせます。孤独をテーマにした歌ですが、そんなふうに考えると、寂寞の奥に力強さも感じられるのです。


時代は流れ、80年代。

この時期には、いくらかバンドが復調の兆しをみせていて、ライブ・エイドへの出演なんていうこともありました。
以前ライブ・エイドでの Good Vibrations を紹介しましたが、ここでは同じステージでの Surfin' USAを。

The Beach Boys - Surfin' USA (Live Aid 1985)

最後に「サーフィンUSA」と歌うところで客席のほうへマイクを向けていますが、オーディエンスがそれに応じる声はあまり聴こえてきません。単にマイクが拾えなかっただけなのか、それとも……


さらに時は流れ、1990年頃。

この頃にもなると、ビーチボーイズはすっかり過去の存在となり、新たにリリースするアルバムもことごとく酷評されるようになっていました。

そんなどん底の時代に一瞬の輝きをみせた名曲ともいわれるのが、「ココモ」。

비치 보이스 The Beach Boys - Kokomo

ワーナー・ミュージック・コリアがアップしている動画ということで、タイトルがハングルになってます。私には読めませんが、やはりハングルで「ココモ」と書いてあるんでしょうか。しかし、だとしたら最初は同じ文字が連続するはずではないかという疑問も……まあ、それはともかく、こうして韓国のワーナーミュージックがわざわざ動画をあげているところからすると、ビーチボーイズ、意外と韓国でも人気?


2000年代。
2004年には、伝説のアルバム『スマイル』のリリースがありました。ただし、ビーチボーイズではなくブライアン・ウィルソンのソロアルバムとしてですが……
そこに収録されていた「英雄と悪漢」のライブ映像を。この曲は、 アルバムSmiley Smile にも収録されていました。

Heroes And Villains

『スマイル』発表は、伝説の作品がおよそ40年の時を経て世に出たということなんですが、その割には不発に終わった感も否めません。
幻の作品だったからよかったのに本当に作っちゃったのかよ……みたいな反応を示す人も少なくなかったようです。
この「英雄と悪漢」や、同じく『スマイリー・スマイル』に収録されている「グッド・ヴァイブレーション」、あるいは先に紹介した Surf's Up のように、スマイルに収録予定だった作品の多くは、その後のアルバムに細切れに収録されており、それも『スマイル』があまり話題を呼ばなかった理由の一つでしょう。


2010年代。
ビーチボーイズも、2012年に結成50周年を迎えます。
モンキーズの場合と同様、アニバーサリーを記念してアルバムを制作しました。
その名も、『神の創りしラジオ』。
下は、タイトルチューンの動画です。

The Beach Boys - That's Why God Made The Radio

ウィキによれば、これはもともと1990年代に作られた曲らしいです。
共作者の一人であるジム・ピートリクは、サバイバーのボーカルをやっていた人。サバイバーといえば、映画『ロッキー3』のテーマ曲「アイ・オブ・タイガー」……ということで、前回の『ロッキー』の記事ともつながってきます。
まあ、それはただの偶然ですが……ただ、アニバーサリーということでこのアルバムにはいろんなミュージシャンがゲストで参加しているようです。
ジム・ピートリクも参加していて、ほかに著名ミュージシャンとしては、スティーリー・ダンやドゥービーズの活動で知られるジェフ・バクスターなども。先に動画を紹介したタイトル曲では、ニック・ロウがギターを弾いているということです。


最後に、ごく最近の話題として、ウィルソン一家三世代で歌う 「神のみぞ知る」(God Only Knows)です。
『ペット・サウンズ』に収録されている名曲。
コロナ禍ゆえか、長老ブライアンはリモートでの参加ですが……

Kelly Clarkson Sings ‘God Only Knows’ With Carnie, Wendy & Brian Wilson ft. Lola Bonfiglio |Kellyoke  

  きみがいなければ
  この世界が僕に示せるものなどなにひとつない

この歌詞は、そのままブライアン・ウィルソンその人にむけられるべきものかもしれません。




『ロッキー』

2021-07-06 21:44:40 | 映画


今回は、映画記事です。

今日7月6日は、シルヴェスター・スタローンの誕生日なんだそうで……
たまたま先日『あしたのジョー』に関する記事を書いたということもあって、ボクサーつながりで『ロッキー』です。

ロッキーのテーマ(Gonna Fly Now)のYouTube動画を。

Gonna Fly Now (Theme From "Rocky")  


あまりにも有名な作品なので、映画の内容自体については詳しく書きませんが……最初に観たとき、『あしたのジョー』でボクシングを学んだ者としては、無名のボクサーであるロッキーが世界チャンピオンになぜ勝てるのかという部分に説得力がないという感想を持ちました。
まあ、『あしたのジョー』でボクシングを学んだ感覚というのもそれはそれでいびつでしょうが、それにしても……という話ではあります。
『あしたのジョー』の場合、ストーリーの核心となる試合において矢吹丈は負けているわけなんです。
『ロッキー』は、モハメド・アリ相手に善戦した無名のボクサーをモデルにしているといいますが、そのもとになったボクサーも、善戦こそすれ勝ってはいません。
ところが、ロッキー・バルボアは勝利します。
これが、ハッピーエンドを否定するアメリカン・ニューシネマの流れを断ち切り、「アメリカン・ドリーム」への憧れを甦らせた――というようなことがいわれてるそうですが、どうも私には、そのアメリカン・ドリームなるものの嘘臭さのほうが強く感じられるのです。
ベトナム戦争が終結した後であり、公開年は1976年で、奇しくもアメリカ建国200年にあたる年。そこでまたぞろ復活したアメリカンドリームという幻想よりも、同じ年に『ホテル・カリフォルニア』でその虚構を告発したイーグルスのほうに私はリアルを感じるのです。
まあ、ロッキーのテーマは名曲ですが。





都知事選から一年

2021-07-05 21:36:23 | 時事

東京都知事選

東京都知事選が行われました。現職の圧勝再選が確実……予測されていた結果とはいえ、投票を締め切るのとほぼ同時に当確が出るのには、しらけた気分を禁じ得ないというのが正直なところです。こ......



昨年の東京都知事選から、今日でちょうど一年となりました。


都政といえば昨日は都議選があったわけですが、そこでは都民ファーストの意外な健闘がありました。

下馬評では自公の大幅な議席増と見られていたのが、ふたを開けてみれば、自民が第一党にこそなったものの自公で過半数は届かず……都知事への同情票が都民ファに流れたためともいわれていますが、よもやそれを狙っての療養では、というようなことも考えてしまいます。まあ、さすがにそんなことはあるまい、と思いたいですが。

しかし、去年の都知事選から一年たって、果たして本当に小池さんを選んでよかったと思うのか東京の有権者に問いたいところではあります。

小池さんはきちんとコロナに対応したのか、対応したけどこういう状況は避けられなかったのか、ほかの誰がやっても現状よりよい結果は得られなかったのか……
そもそも去年の都知事選自体、この先コロナ禍における五輪をどうするかという難題に直面することは承知のうえで出馬したはずであって、それを過労でダウンしたから同情票というんではちょっと人が良すぎやしませんか、と。常々いっているように、為政者にはもっと厳しい視線をむける必要があると私は思うんですが……