みんな様変わりしました。特に正月は全く変わりました。私たちの育った頃は、12月の28日頃に餅つきがどの家でも有り、早くに搗いた家からは、おすわけが届けられたりしたものでした。前の日にもち米を潤かして置いて、当日朝早くから蒸篭で蒸して、杵で搗くのです。小さいうちは、父が搗き、母が手返しをする。それを側で眺めていれば良かったのですが、高校生の年齢になると半分くらいは、搗かされました。特に私の家は兄弟が多かったので、多い時は1俵60Kくらい搗いたものです。餅の種類も、普通の伸し餅、豆餅、餡子餅と作られ、一晩寒いところに並べて凍らせて保存するのです。正月中は、殆ど毎食餅ということに成ります。それだけの量でも、大抵10日前には品切れになったものでした。 正月の遊びは、カルタ取り(百人一首)が一番多い遊びでした。今日はどこの家、明日はどこといったように、何軒かを回ったものです。お菓子といって特別のものはなく、みかんがせいぜいです。それも凍ったみかんになることも多かったものです。 お店も正月三日間は大抵休み、初売りの日は、お年玉でわずかな買い物をするのが楽しみでした。正月料理も長持ちするようなものが多く、毎日同じものを食べることが多かったと思います。それでも食べれることが幸せだったのです。
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