今日、この言葉に出会って、私は読めませんでした。「痘痕」=「とうこん」変だなあ・・「靨」が読めない。そしてこれが「あばたもえくぼ」と読むのだと判り、「痘痕」は判るけれど、「靨」えくぼには驚いた。えくぼ=「笑窪」と理解していたから、この笑窪が使われていれば、痘痕もすぐ読めるのに、こんな難しい漢字が使われていたとは知らなかった。
「あばたもえくぼ」使い慣れた言葉だけれど、改めて辞書で調べることをしていない。だからこの年になってもわからないでいた。
こんな例は多いと思う。何となく意味がわかるような気がして、改めて辞書を引き確かめることをしない悪い癖があります。それにしても「厭」と「面」が組まれて「えくぼ」という字にどうしてなるのでしょう。「えくぼ」は女性をチャーミングにするくらいで、いやな感じにはならないのだけれど、顔の一部分か凹むのは女性の顔をゆがめていると取られていたのでしょうか。
話は変わりますが、先日詩吟の教室で、良寛の「無欲」をやりました。最初のときに説明したのですが、その時、休んでいた方が、終ってから私のところへ来て「耳を洗う下の水」の「下」の意味を聞きに来て、「何故耳を洗うのか」という。詩文を単に解釈するとそんな質問が出ることになる。その言葉の裏にこめられた作者の心情を読み取ることの難しさ、その点にポイントをおいた詩文の説明を詩吟の先生はきちんとやらなければならないと改めて感じた。