問題になったときは、ここまで攻められるとは思っていなかったのでしょう。
第三者の弁護士に見てもらっても、違法の判断が出ないことは見通していた。そして、第三者、しかも権威ある弁護士の判断をもらえば収まると考えていたのでしょう。
読み通り違法とされるものはなく、不適切と評価されたものはあった。それは弁済または今後やらないということで済むと思っていたのでしょうが、全く反応は別だった。本性が丸見えになっちゃったのだ。都民には、東京都知事として置くことが耐えられななっていた。いわば薄汚い着物をまとっているみたいな格好になる。そんなことを望む人はいない。
西郷南洲は、明治2年維新の功績をたたえ正三位を贈られることになったがそれを辞退した。「児孫の為に美田を買わず」と言い切っている。そんな西郷だから、国賊の汚名を西南戦争で被ったけれど、のちにその汚名はぬぐわれて銅像まで建てられることになったのだ。
都知事としての座に甘え、何でもできると考えたのでょう。別荘への送り迎え、自分の趣味も外交上必要だといって、書籍、絵画、を購入し、博物館見学も公用車を使ってでかけ、なんとも居心地の良い椅子だと満悦していたのでしょう。
これで政治生命は絶たれたでしょう。人を非難しながら、非難されることを平気でやってきていたのだ。
一連の話を聞いてきて、私には全く弁護したい気持ちは起こらなかった。</fon>
第三者の弁護士に見てもらっても、違法の判断が出ないことは見通していた。そして、第三者、しかも権威ある弁護士の判断をもらえば収まると考えていたのでしょう。
読み通り違法とされるものはなく、不適切と評価されたものはあった。それは弁済または今後やらないということで済むと思っていたのでしょうが、全く反応は別だった。本性が丸見えになっちゃったのだ。都民には、東京都知事として置くことが耐えられななっていた。いわば薄汚い着物をまとっているみたいな格好になる。そんなことを望む人はいない。
西郷南洲は、明治2年維新の功績をたたえ正三位を贈られることになったがそれを辞退した。「児孫の為に美田を買わず」と言い切っている。そんな西郷だから、国賊の汚名を西南戦争で被ったけれど、のちにその汚名はぬぐわれて銅像まで建てられることになったのだ。
都知事としての座に甘え、何でもできると考えたのでょう。別荘への送り迎え、自分の趣味も外交上必要だといって、書籍、絵画、を購入し、博物館見学も公用車を使ってでかけ、なんとも居心地の良い椅子だと満悦していたのでしょう。
これで政治生命は絶たれたでしょう。人を非難しながら、非難されることを平気でやってきていたのだ。
一連の話を聞いてきて、私には全く弁護したい気持ちは起こらなかった。</fon>