手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

三木(さんもく)会の思い出

2016-06-16 19:56:24 | 身辺雑記
  居酒屋「いの平」には思い出が沢山ある。その中でも「三木会」はとても懐かしい。第三木曜日18時に「いの平」に行き、一献傾けながら、最後はカラオケを楽しんで帰るのです。

 もともと「いの平」は私たちのたまり場で、いつ行ってもだれか常連がいて楽しめたのですが、そんな中で特別にこんな約束をして飲んだ方が二人いる。二人とも今は故人なのです。

 初めに約束してあっていたのが佐藤安広さんです。他にも佐藤さんがいたので「あんこう」さんと呼ぶことにしていた。私と知り合いになる前から、パークコ゜ルフをしている私を覚えていてくれたと言う人です。そして一緒に社交ダンスの会に入会して苦労した相棒でもありました。酒はあまり飲まないのですが、カラオケが好きで、話も上手、とても気の合う人でした。いの平のママ小野さんは稲苑大学の9期生で、飾り気のない、面倒見もよい人でした。そんなこともあり稲苑大学のOBの溜まり場みたいなところにもなっていました。

 その佐藤さんが病に倒れ、あっけなく他界してしまいました。そのあとしばらくしてから文化協会の副会長をしていた俳句会の代表俵先生と親しくなり、改めて「三木会」を二人で立ち上げたのでした、彼は星置の人なのですがいつも私より先に来ていて、帰りは22時に決まっていました。彼はとてもカラオケが上手で、彼の歌う、「箱根八里の半次郎」などは今も脳裏に響てきます。彼も肺炎を起こしあっけなく他界してしまいました。

 いいやつばかり先に逝く。あの当時の仲間のほとんどが他界した。小野ママも逝ってしまった。あれからもう10年も経つのだろうか。酒を楽しんだのも「いの平」が最後だった。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする