4人での稽古です。9月11日の審査には二人が受審です。一寸念入りに進めたら4人の稽古を終わるのに一時間かかっていた。少し休んでから、神社の祭典奉納吟の稽古をして、全道大会の 合吟の稽古をして終わりました。
先日のリハーサルに出ていただいたかたから、今までとらえきれないでいた箇所の説明を聞き何とか理解ができました。まだ少し時間がありますから、じっくり稽古を進めます。
詩吟という音楽は日本語でしかできない音楽なのです。それは、すべての言葉が母音に返すことができる点にあります。そしてその母音をのばして行く、余韻を引く中ての、振りかたとか、上げ下げなどの技巧が、特別に限定されないのです。従って西洋音楽のように一定の拍数でなく、その人の個性による長短、強弱が許容されます。それだけに逆に難しいといえます。
決まっていることは、主音(ミ)で始まり「ミ」で終わること。二句三息の止めは、振り止めにする、上の揺り落としは「シドシラファミ」で、中の揺り落としは「ラシラファミ」。送りは主音から低音の「ラ」まで下げる。高音部の引き止めは高音の「ラ」となる。
これが原則だったはずだけれど、アクセントの関係で、出だしの語が頭高型の場合は「ラファ」の入りになるようになった。
こんな程度のことだけれど、なかなかいきわたらないのが実情のように思われる。
また、日本の定型詩の音数律は「五七調」または「七五調」です。そして二語一拍のリズムです。しかし、和歌や俳句では必ず一語が出てきます。その一語を半拍引いて読まなければ,リズムが崩れるのです。漢詩の場合は、五言と七言があります。その場合も七言で有れば「四三・・・二二三」ここでの「三は、一二又は二一」に分かれます。基本となるリズムは二語です、したがって一語の場合はもう一語分の余白を埋める読み方が必要になります。よくあることですが三字の熟語が入ったとき、熟語だからと三字を切らずに読むことがありますが、よほどのことがない限り、二・一に切って読むほうが漢詩のリズムを崩さないことになります。そのあたりの配慮がどうなされているのか疑問に思うことがあります。
いつの間にか詩吟の技法に話が進んでしまった。自分の指導法の確認みたいな話になりました。</font>
先日のリハーサルに出ていただいたかたから、今までとらえきれないでいた箇所の説明を聞き何とか理解ができました。まだ少し時間がありますから、じっくり稽古を進めます。
詩吟という音楽は日本語でしかできない音楽なのです。それは、すべての言葉が母音に返すことができる点にあります。そしてその母音をのばして行く、余韻を引く中ての、振りかたとか、上げ下げなどの技巧が、特別に限定されないのです。従って西洋音楽のように一定の拍数でなく、その人の個性による長短、強弱が許容されます。それだけに逆に難しいといえます。
決まっていることは、主音(ミ)で始まり「ミ」で終わること。二句三息の止めは、振り止めにする、上の揺り落としは「シドシラファミ」で、中の揺り落としは「ラシラファミ」。送りは主音から低音の「ラ」まで下げる。高音部の引き止めは高音の「ラ」となる。
これが原則だったはずだけれど、アクセントの関係で、出だしの語が頭高型の場合は「ラファ」の入りになるようになった。
こんな程度のことだけれど、なかなかいきわたらないのが実情のように思われる。
また、日本の定型詩の音数律は「五七調」または「七五調」です。そして二語一拍のリズムです。しかし、和歌や俳句では必ず一語が出てきます。その一語を半拍引いて読まなければ,リズムが崩れるのです。漢詩の場合は、五言と七言があります。その場合も七言で有れば「四三・・・二二三」ここでの「三は、一二又は二一」に分かれます。基本となるリズムは二語です、したがって一語の場合はもう一語分の余白を埋める読み方が必要になります。よくあることですが三字の熟語が入ったとき、熟語だからと三字を切らずに読むことがありますが、よほどのことがない限り、二・一に切って読むほうが漢詩のリズムを崩さないことになります。そのあたりの配慮がどうなされているのか疑問に思うことがあります。
いつの間にか詩吟の技法に話が進んでしまった。自分の指導法の確認みたいな話になりました。</font>