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手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

いよいよパークゴルフ 時期到来

2005-04-18 16:26:14 | スポーツ
 積雪ゼロ、そろそろどこかで始まっているかと、工藤さんに電話を入れてみた。やっぱり始まっていた。パークワン、3時間500円なのだそうです。
 明日は北大とセンターの詩吟だから駄目だけど、明後日は天気次第で、温かそうなら今年のは通知に出かけてみよう。
 この頃は、やたら忙しい。もつとゆっくりPCの勉強もしたいのだけど、何かぼわれっぱなし。
「いの平」もご無沙汰ばかり、連休前には一度出かけたい。
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父の思い出

2005-04-17 21:35:17 | 思い出 1 生い立ち、
 どこかで書いたことがあるのだが、父は私が小学校に入学した時に、上川村字東雲小学校の校長になった。当時がどんな状況だか分らないが、34歳くらいで校長になったのだからなかなかだったのだと思う。
 とても話が上手だった。学校での人達も沢山集まって式典をする時、またの青年が兵隊に行くとき、校庭で激励会をする、また、校長は青年学校のこうちょうでもあるので、青年団で挨拶するとか随分演説をする機会があって、聞いたものだが、子供心にも上手だと思った。また、書も達者で、賞状を筆で書いていたが、見事だった。
 煙草飲みだったが、凄くえらいと思ったのは人に煙草をせびることを一切しない人だった。校長先生は、とても偉くての冠婚葬祭、出征兵士の送別会には必ず呼ばれる。そして煙草が切れると帰ってくる人だった。また歌が好きで上手だった。の人が学校の集会の後とか、正月などには沢山やってきて、我が家で宴会をやるのだがそんな中で酔って歌を歌うのをよく聞いたがうまかった。札幌師範の本科教員養成所を出ていて、師範学校の卒業生ではないのだが、オルガンも上手だったし、私が壊したそうだけれどバイオリンを弾いていたのだそうです。
また、麻雀が好きで、東雲では、近くに発電所が有り、そこの所員が、言えばのインテリーで麻雀をやる人がいて、よく出かけていた。私が永山農業に通うようになった頃、麻雀は大学卒業するまで覚えるなと言っていた。しかし、第三師範(旭川師範)の本科に入ったときに覚えてしまい、美瑛の田舎の学校に転任していた頃は、先生方と父と一緒によく麻雀をやったものだ。
 あの時代、父は結構洒落ていたのだと思う。そんな父の一面は受けていると思うが、書は駄目、話は下手、歌も下手、何でこんなに似ていないのかと今でも残念に思う。
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酒は強くなる ! でも、もう歳です。

2005-04-16 22:15:52 | 身辺雑記
酒のようなものを飲んだのは、16歳くらいの時だった。父が小学校の校長で、公宅が学校にくっついていた。お盆になると校庭にやぐらが組まれ、盆踊りが何日も、それも夜中過ぎまで続くのだ。当時は子供も一緒に踊ることが当たり前で、楽しみだつた。そんなある日、ふと父がドブロク(濁 酒)を仕込んでいたのを思いつき、家中が踊りのほうに出ているのを見計らって、一人で家に入り茶碗に、一杯ドプロクをついで飲んでみた。甘酒のようだが、甘酒ではない。甘酒のようにおいしいものではないがそれを飲んだ。そして、踊りに加わった。間も無く頭ががんがん痛くなり、吐き気が催して、たまらなくなり、校舎の横に行って吐いた。そのまま家に入りうなるようにして寝た。
 それから、全く酒に興味を持つことも無く、第三師範(旭川師範)の本科に入学し、汽車通を始めたのだが、暫くして通学生の歓迎会が持たれた。その席に酒が出た。湯飲みについで出された透明な酒である。之が酒なのかと味も分らずに飲んだ。この後もまた胸が悪くなって吐いた。後で判ったのだが、飲んだのは清酒ではなく焼酎だった。
 大学時代は殆ど飲むことも無く過ごして、沼田高校に奉職してから、いい相棒が出来、また同僚に酒飲みが結構いて、夜な夜な町に出て飲む機会が増えた。しかし、一定の量を飲むと後はもっぱら濃いお茶を貰ってみんなの付き合いをしていた。それでも沼田ではよくのみに出かけたものだった。しかしあまり鍛えられてはいなかった。
 美唄では、宴会の付き合いくらいで飲みに出かけるということは、めったに無かった。
そして、札幌に来たのだが、学校の宴会で飲んで、二次会に連れられていってもお茶ばかり飲んでいることが多かったし、時には二次会の会場に着くなり吐いてしまうことも何度かあった。それでも懲りずに飲んだのだから凄い。自分で凄いといっているのだから変な話だ。
 ところが、此処で仲間になったのがいい相棒で、手稲に初め居を構えたF氏は付き合いのいい、親分膚の人で、近くのスナツクが気にいって、そこへ行くため誘いがかかる。もう一人の仲間T氏はものすごく酒の強い人で、家は手稲でないのだが、手稲に来て3人で飲むことが多くなった。そのうちに、いつの間にか私も酒が強くなった。直ぐ真っ赤になるのだが最後まで付き合えるようになり、一晩に3軒くらいのハシゴ酒はあたりまえになつてしまった。
 酒を飲む楽しさを知ったのは50を過ぎてからだった。なんだかんだと口実を作ってよく飲んだものです。退職するまで、一週間に2回くらいは飲みに出ていた。しかし現役を終わると飲みに出る口実もなく、一人でのハシゴも面白くなくいつの間にか、飲みに出る機会が殆ど無くなってしまった。そして、現役の時、スナックが開くまでの時間つぶしに寄っていた居酒屋「いの平」さんだけ
が、私の行きつけになってしまつた。
 何でもそうなのですね、鍛えれば強くなる。そして、上手になる。酒は飲み上手と言えばいいのか、楽しむのみ方が出来るようになる。
 確かに強くなったが、歳は争えない。あまり深酒をすると二日酔いどころか三日酔いになるのでこの頃は気をつけている。
 
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手稲文化協会定期総会終わる

2005-04-15 21:28:50 | 手稲文化協会関係
 46名の出席で、充実した会議だった。やはり、文化祭の区民センター開催の効果が出ていると考えられる。やはり、指定管理者制度にからむ、文化祭の開催が重要な課題になる。もしも、全額助成にならないならば、相当な対応をすることで意思が統一された。
 お点前の費用を新年度カットしたことで、何とか道がないかとお茶の会から要望が出された。臨時総会までの検討課題として了解を得る。
  どうやら民謡の和の会が大会するらしい。52団体になる。新しい会が加盟するのを待っていてはいけないのではないだろうか。積極的に勧誘する方策を考えて行く必要があると思う。
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魑魅魍魎(ちみもうりょう)、

2005-04-14 20:14:29 | 随想
 今日のテレビニュースの中で、ライブドアの堀江社長の心境は、魑魅魍魎だろうという下りが合った。難しい言葉なので、理解しがたい言葉だ。
 この言葉を最初に聞いたのは、私のいきつけの居酒屋「いの平」の常連、佐藤由さんが私に使った言葉だ。彼は、私を試したのだと思う。私も始めて聞く言葉だったので一瞬とまどった。でも見の言葉の響きは、とても並みのものではなく、言葉自体のもつ訳のわからなさが、意味を幹事らセルところがある。判っているようなふりをして聞いていた。翌日調べてみて分った。さまざまな化け物と言うことだ。
 こんな言葉がテレビに出てきたのには驚いた。堀江さんの行動は、実に興味深い。しかし、堀江さん自身の回りの動きは、堀江さんにとっても魑魅魍魎たるものがあるのだろう。
逆に堀江さんの行動自体がそうかもしれない。
 明日は手稲文化協会の定期総会、全部準備が整ったといえないのだ。唯これだけのことでも結構な仕事になる。
 庭の雪も明日でなくなるようだ。去年少し手を入れた花畑、少しはましなものにしてみたい。そのまえに冬囲いをといてやらなければ、、、、。クロッカスは今日から咲いている。一日一日が楽しみになってくる。
  
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異変 ロッテが強い !

2005-04-13 21:51:22 | パークゴルフ・野球
 大変身、何とトップをまっしぐらに走っている。こんなに変わりますか?去年までは時としてとても強いことがあったけれど、こんなことはない。なんせ、先発投手6人が全員勝ち星を挙げている。しかも、完投が何人も出てくる。打つは打つは、新人のような若い選手が溌剌と頑張っている。
 これは、ひょっとして、ひょっとするかもしれない。そんな期待を持たしてくれる。
 先日、どこかの試合で、放送していたが、ロッテフアンに、今年の順位を聞くと、優勝という人は殆どいなくて、2位と言う人が多いのだそうです。とても謙虚だと褒めていました。うまくいって2位になったら凄い、私もそお思うのだけど、これだけ投手が力をつけて、揃ったのは、見たことがないくらいだ。また、てんの取り方も今までとは全く違う。
 異変です。壮でなく、バレンタイン監督の指導が凄いのかもしれない。とにかく今年は、私にとって野球は面白い都市になりそうです。
 ついでに書けば、巨人の最下位が続くのも異変かな。
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4月12日(火)

2005-04-12 20:12:50 | 随想
 午前中、H氏と「赤ひげ」でコーヒを飲みながら話し合う。「手稲はいいね」のポスターを見るとぞっとするという。何がいいのだ。何もないじゃないという。
 確かに、個展を開くような施設は、公共にも民間にもない。札響が来て演奏会を開けるような施設もない。芸能人が来て公演できる施設はないのです。プロの活動の出来ない、田舎が手稲なのです。手稲山がある、海が近い、パークゴルフ場は沢山ある。今度また大きな公園が出来るといったところで、文化的には極めて恵まれていない。
 10日の日曜日、北詩連西支部の総会に出て来ました。話を聞くとすべての行事はこのホテル札幌会館でやるとの事。手稲では会議は出来ても、まともな宴会はできないのです。私も毎年交歓吟詠会を開催していますが、一昨年まではセレモニィパレス手稲(葬儀場)で開催していましたが、友引の前の日でなければ使えない、舞台がないから、詩舞なども平舞台でやらなければならない、宴会にカラオケはない、おまけに18:00には終わらなければならない。そんなことから、手稲中央会館を使わせてもらっていますが、ここは、後始末がみんなの手でやらなければならないので大変なのです。
 民間活力、とすれば手稲山に来た加森観光?あたりがオリンピアあたりにそんな施設を作り、シャトルバスでも運行するようにでもならなければ解決しないのかもしれない。
 田舎は田舎のよさもあるけれど、寂しい限りだ。せめて区民センターが、行事のある日は食堂が利用できるといいのにと思ったりする。
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明日は北海道詩吟連盟西支部総会

2005-04-09 22:38:30 | 詩吟関係
 新しく加盟した連盟の最初の公式行事に出席する。何か一寸考えると緊張感が走る。
今までの流派の規約などと比較すると全く違う。きちんとできた規約だし、組織としての活動も出来ていると思う。それだけに、きちんとした対応が必要だろうし、まして、大勢の生徒さんたちを連れての加盟だから、連盟の方もそれなりに構えていらっしゃると思う。
 しかし、同じ詩吟の道を楽しむ仲間に変わりはないわけだし、新入りで何もかにも教えていただく立場であることを旨に接する事が今大切なことなのでしょう。
 之からが楽しみでもあるし、心配でもある。心機一転、とにかく頑張ることにする。
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20周年記念大会並びに新教場設立記念吟詠会

2005-04-08 21:13:40 | 詩吟関係
 札幌に来て、怖いこと知らずに教室を立ち上げて、いつの間にか20年目となった。10周年の時は凄く張り切って、琴似のホテルヤマチで開催し、それなりに良かった。でも、その時も宗家は来てくれなかった。この後、毎年開いた私の教室の交歓吟詠会にも出てくれなかったし、15周年の記念大会は、殆ど面倒を見るという態度ではなかった。それも、15周年の年が、宗家の40周年と重なっていたので、気を使って1年遅れでやった15周年なのに、やはり出てくれなかったし、流派としての礼も果たしてはくれなかった。そんな中ずっと来てくれていたのが東先生だった。
 今年も宗家の45周年記念大会と重なると言うことで6月くらいに20周年記念大会を実施し、その後象堂流からは離れさせていただくつもりでいた。しかし、宗家と東先生の関係が大変な状況になったのが、新年度総会になって分り、急いで退会し、東先生を私の所の顧問なり、宗家なりになってもらうのが一番よい方向と考えて、2月11日に退会を宗家に承認頂いたのでした。
 しかしその時は既に東先生は、意識不明の状況になっていて私の思いを終に伝えたりすることも出来ないままになった。
 教室のお弟子さんたちは、皆様で協力し、今標記の大会に向けて準備をすすめてくれている。
そんな中で、象堂流の仲間に招待をと考え、さてと改めて考えるとやはりそれほど簡単でないようなのです。私は、確かに会に背を向けたわけで、そのような私のところの大会に出たと言えば宗家が面白くなく思うのは当然だし、それを考えると来るに来れない方も多いと思う。これから吟友と言っても、離れ離れでは付き合いに限度も出てくるはずだから、それだけに去年は快く出てくれた人も今年は、簡単に来てはくれなさそうなのです。
 新しい連盟にも所属したのだから、新しい付き合いでいいのかもしれないけれど私の気持ちの中には、今回は東先生の追悼大会といった気持ちも有るので、それなりに何人かの仲間が来てくれればと思うのです。そんな気持ちの中で今日葛西先生、黎明教場、砂原先生に案内を出しました。
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2005-04-08 20:34:30 | 思い出 1 生い立ち、
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