手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

大会などの数が多くて、出吟の整理が大変 

2005-09-05 21:17:56 | 詩吟関係
 北詩連に今年から加入させて頂いたところ、今まで以上に忙しくなった。
資格審査会も、3ケ月に一回、全員ではないが、審査に該当する方がいるので、その方は、その方としての稽古のさせ方を考えてやらなければならない。
 今年は、参加しなかったが、6月には全道大会があり、10月には全道競吟大会が有り、11月には、西支部の大会がある。
 その間、手稲の会は、手稲文化協会文化祭、手稲区民センター祭にも出なければならない。
 9月11日、審査会 10月2日全道競吟大会、10月16日手稲文化祭
11月12日手稲区民センター祭 11月20日 西支部大会 さして12月にはまた審査会と続くことになる。
 審査会はそれとして、大会に出ていただく人、吟題の選定、独吟だけでなく合吟も有るのだから、ごちゃごちゃになりそう。
 3教場、40人の生徒がいると、とても大変です。嬉しい悲鳴なのですが、大変です。
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ヤマベ釣り(赤井川)

2005-09-04 21:54:11 | 釣り
 朝6時、目を覚ますと外はいい天気、急に釣りに行きたいという思いがわいてきた。直ぐ起きて、大島さんに電話を入れる。大島さんもまだ起きたばかりだった。
 先日一人で行って20匹ほど釣ってきたという。場所は銀山の灌漑口だとか、今は雨もづっと降っていないからそこは駄目だろうという。
 いつも出かけているところに行けば必ず釣れるはずだから、とにかく途中何箇所か、竿を出して、あまりいないようならいものところへ行こうということで、8時半に出発した。
 最初の橋のところで、試すことにして用意をする。すぐ先に1台来ていたのだが私たちが行ったので、出て行った。10分ほど試したが全く魚信が無いので、切り上げて、次のところへ向かう。途中の橋のところには既に車が入っていた。
 その次の予定のところで、試す、私は1匹上げたのですが、それにしても魚影が薄そうなので、いつもの所へ行くことにする。途中随分車があった。皆釣りに入っているのだ。いつも車を置くところに車を置いて、今日は一緒に釣って登ることにしよう、ということにして川に入る。一人先客がいたのだが、私たちが上流へ入ったので、その方は下に向かわれた。水量がかなりある。すぐ魚信が有り、手ごたえを感じる。すぐ、川が二手に分かれていて、100も位先で合流しているようだ、それで私は、水流の少ない方へ入った。すぐ釣れ出して、50m程の間で7匹釣り、之は楽しい釣りになるなと思っているところへ、本流のほうを上っていた大島さんが来て、竿が駄目になったという、1匹も釣っていない。見ると、竿の先の糸を止める布のぶぶんの糊がはがれて抜けてしまっているのだ。硝子繊維の竿だから、糸を結んでもすぐ抜けるはず。車にもお1本竿があるというので、車まで戻りましょうということで、崖を登って道路に出て車まで帰る。
 大島さんは、自分で考案したしいう仕掛け(浮き)をつかって、針もかなり大きいのを使っている。それで、針を変えなさいといってあげたけれど、銀山ではこれで釣れたからと、聞き入れない。
 今度は、上流に行くのを止めて、すぐ近くの橋から下へ下がろうということにする。今度は、大島さん、胴長を脱いでぬれながら歩くという。天気もいいし、そのほうが涼しくて手いいかもね、とか言いながらかわに入る。すぐ私は釣れる。同じところでたちまち5~6匹釣れる。大島さんは下に向かっている。結構
つれて楽しいのです。そんなにも歩かないうちに、12時になったので、大島さんに追いつき、適当な岩の上で昼飯にする。大島さんは1匹も釣れていない。
 私は10匹以上あげているのです。昼飯を終わると、大島さんは、車に帰って待っていると言い出した。胴長を脱いでぬれたら冷たくて、腹まで痛くなってきたという。それで、大島さんには先に上がっていただき、後50mほど下まで釣って上がるからということで分かれる。思った程釣れなかったが、仕掛けが壊れて針が絡まり変なところで時間ばかりかかった。止めて釣り登ったけれど、先に私の釣った後だけに、残りは少なく、あまり時間も掛けずに戻った。
 大島さんは、ぬれたズボンを車に掛けて干していた。私は先に車に戻った時、それまでに釣った7匹は、クーラーに入れてあったので、今釣って持ってきたのが多分20匹以上はいたと思うが、大島さんに上げる。
 帰り、いつものように、峠の牧場の休憩所(名前を聞いていない)でソフトクリームを食べてくる。大島さんが、今朝収穫した枝豆を上げるから、よってもって行きなさいという、折角の好意だからもらってくることにして、大島宅に寄る。狭い家の周りの畑を本当に綺麗に、また上手に使っていろいろのものを植えている。枝豆にトマトまで頂いてきた。
 晩飯には、7匹のヤマメのテンブラを食べる。旨いと言うほどでもないが、懐かしい味だった。
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平和教場  新会員 大坊さんいらっしゃった

2005-09-03 17:22:26 | 詩吟関係
 今日の教室は、とても充実していました。本日より正式に入会の約束だった大坊さんがいらっしゃっていて、先回、見学に来た時、簡単な手ほどきをしておいたのですが、もお、今日は先の見える吟になっていた。いい声をお持ちだ。楽しみが増えた。
 菊地さんの吟、田中さんの吟、共にかなりしっかりした吟になってきた。二人とも、意欲があるしこれからが楽しみだ。
 先月と今月とで、新会員が3人増えた。増えるときっていきなりふえたりする。逆に減る時も、どんと減ったりする。不思議なものだ。北詩連の関係者にはうらやましいことだと思う。
 10月の西支部大会は、自分の教室の参加者の伴奏は、私がやってもいいという、之はありがたい、折角だから出来るだけ多く参加させて、存在感を示したいものだ。
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こんな人もいるのです

2005-09-01 17:41:31 | 思い出 2  現役関係
 退職した年、新しく始まった新任教員指導制度で、私の後任の新採用教員の指導担当をさせていただき、給与はありがたかったけれど、暇で困った。その後2年時間講師をさせていただき、4年目にまた新採用がありその指導担当をさせられた。そのとき、一年目の辛い思いがあったので、その新任の先生の1クラスの担当、古典3時間を、私が担当して、その時間は見学させることにした。いわば、私の教える時間は、新任の先生への公開授業ということになった。
 結構、きつい仕事になった。とりわけ、講師という身分は、生徒との関係も現役の時とは、差があり、おまけに、生徒の質的変化も際立つようになっていた。
 模範授業には、程遠い場面も多かった。新任の教員に、笑われそうな情けない授業も多かった。その年で、講師はもう1年続ければ続けられる状況は、あったけれど、止めさせてもらつた。普通、退職後5年間の講師が保障されている中で、私は4年でやめました。
 その、最後に指導という指導にもならない指導をした、新任の女の先生が、もお10年以上になるのに、未だに年賀状とか、書中見舞いとかの葉書をくれるのです。
本州のほうに行き、結婚して、共働きで教員を続けているのですが、昨日、かわいい子供さんの写真を入れた残暑見舞いの葉書を下さった。
 殆ど指導らしい指導もしていないし、尊敬されるようなところは全く無かったのだから、とっくに忘れられていいのだけれど、未だにこのように便りをくれるなんて、信じがたいことです。こんな人もいるのだと、感心し、この人ならきっといい先生として、生徒にも慕われているのだろうと、改めて思いました。
 千葉先生、がんばってください。
 
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