手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

六八会 出席11名

2006-07-19 20:35:34 | 身辺雑記
 
私たち昭和5年(1950)生まれは、戦後の学制改革の先端を行くことに成りました。旧制の最後で、新制の最初ということです。

 私は、旧制の永山農業学校最後の卒業生として、北海道第三師範学校(旭川師範)の本科1年に進学しました。本科2年の5月に新制大学となって、ここで同級生は三つに別れます。旧制師範の最後の学生として進むもの、新制学芸大学の一類(4年制)、二類(2年制)に進むものとに別れたのです。

 そんなことで、私の同級生で、旧制師範と大学の二類卒は、昭和26年の卒業、大学の一類卒は昭和28年の卒業となるのです。そんなことから、同期会は、六八会と称しているのです。

 六八会の本部は当然旭川にあるのですが、石狩支部が札幌にあり、名簿上は45名ほどいるのですが、やはり寄る年波には耐え切れず、同期会に出席出来るのは少なくなり、昨年11名、今年も11名でした。

 私たちのこの同期会の特徴は、初めに一時間ほど誰かが講演のようなことをやるのです。今年は谷村氏、彼は旧制師範で卒業して、札幌一条中学に赴任、旭川師範の同窓生として、後輩のために尽力してきた方です。講演では、新制中学校の新カリキュラムの実践研究指定校として、アメリカの軍政部の指導の中で努力した時のことが話されました。これは、北海道教育史の1ページかざるものといえるのでしょう。

 来年の幹事が西地区ということで、私も仕事をしなければならないのでしょう。
講演は、源氏が指名されました。幹事として何人集めることが出来るのでしょうか。間もなく六八会も解散ということにならざるを得ないのでしょうね。しかたのないことです。<
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豊平峡温泉へドライブ

2006-07-17 20:03:47 | 趣味

今日は、全道一斉の5000人大会とかという、私は出場しないから名前も覚えていないのですが大会が、主要パークゴルフ場で開催されている。行きたいパークゴルフ場はふさがっているので、家内孝行をすることとして、豊平峡温泉にドライブをすることとした。

 10時、出発。朝里回りで定山渓に行くこととする。時々雨がフロントを濡らしたりするけれど、気になるほどでない。

 朝里峠で、夏蝉が鳴いていないか耳を傾けてみたが、全く聞こえません。デジカメは持っていっていましたが、写したいところも無く空振りです。本当は帰りに真駒内の五輪大橋にある、本郷新の彫像を撮ってきたかったのですが、寄るのが面倒に成り、やめました。

 豊平峡温泉は、日帰り客の温泉で、露天風呂が知られています。入湯料は外李1000円でした。風呂場は決して立派だとか、綺麗だとか言えるもので無いけれど何か年代を感じさせる素朴なものでした。露天風呂は岩を配置して、是も野趣豊かな、しかも湯の温度がぬるめで、何時までも入っていられそうでした。すぐ樹木が迫っていて、紅葉の時期に来るといいのだろうと思いました。

 風呂から上がって、昼食を食べました。メニュウは、蕎麦と「ナン」、迷いながら蕎麦にしました。おいしい蕎麦でした。注文している人の様子を見ると「ナン」を注文している人が多いという感じでした。しかも、「ナン」の職人は、確かにインド人です。本物ののカレーに「ナン」、おいしそうでした。

 秋にまた行ってみます。今度は「ナン」を食べてみます。
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酔い覚まし・・・・納涼

2006-07-16 19:39:11 | 随想
 
晩酌の酔い覚まし(といっても缶ビール1本とかお酒コップ半分くらいだから、笑われそうですが)にこの頃は、玄関の階段に腰掛けて、庭の花を眺めている。気が向けば、花に水をくれたり、一寸剪定してみてりするのです。

 そんな事をしながら、ふと納涼という言葉を思い浮かべました。納涼という言葉の意味は、「涼しさを味わう」ことです。さて、「納涼花火大会」というのがこれからの行事です。暑い盛りだから、涼しさを味わいたいのです。花火を見ることが、涼しさを味あうことになるのでしょうか・・・そうじゃないのですね。

 日中は確かに暑い、でも日が沈めば、夜風が渡り、涼しくなるのです。特に川辺などでは、川面をわたる風が涼しさを運んでくれるのです。花火大会が、隅田川の花火に代表されるように、川岸で見るのが、将に納涼花火なのです。

 日中の暑さにうんざりしていた心が、一瞬夜空を彩る花火の美しさに癒されてゆく、それが納涼なのでしょう。

 私の納涼は、庭の花を見ながら、酔い覚ましをすることです。是に虫の鳴き声があれば素晴らしいのですが・・・鈴虫も、コオロギもキリギリスも、その声すらわすれてしまったみたいです。
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「蝦夷夏蝉」・・・蝉時雨

2006-07-15 19:19:24 | 無題
 
7月に入ると、「蝦夷夏蝉」の鳴き声が、それは山や林をどよめかすのです。それを意識できたのは、札幌西陵高校に転勤してきてからなのです。

 50近い歳まで、判らなかった。西陵高校が、五天山という山の麓に新設校として建てられた学校で、自然が近くにあったから判ったのです。毎年、夏に成ると「蝉時雨」というのですか、騒音に近い鳴き声にあたりの空気がゆれるのです。

 蝉の鳴き声とは判りましたが、何でこんなに一斉に途切れることなしに鳴くのだろうと不思議に思っていました。それが、ある日、藻岩山の展望台の展示で「蝦夷夏蝉」という名前を見つけてわかったのです。当時、よくドライブに出かけ、朝里峠などに行くと、将に山がどよめくように鳴いている声に感動したりしたものでした。

 それが、また不思議なこともあり、冷夏ということになると、時期だから鳴いているはずだと思って出かけても、聞くことが出来なかったりするのです。

 今年は、結構暑い日があるから、聞けるのかもしれない。だが、今はその声を尋ねて、車を走らせる気持にはなれないのです。歳のせいですか・・・・。
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今年一番の暑さ

2006-07-14 19:47:09 | 無題
 
朝起きた時から暑かった。暑いからか、体がだるく、パークに出かける気力が出ない。10時過ぎまでぐづぐつしていて、それでも、伝統芸能祭の写真の編集印刷を少しやる。今年一番の暑さ、仕事中も汗が流れる。

 午後は詩吟第二教場、田中さん、中村さん、野村さんが欠席、教室はクーラーが利いていて快適、3時に終わって帰宅。

 3時半、一寸涼しくなったので、パークに出かける。一人で周り始めたら雨がぽつぽつ、一回りして雨の止むのを待つ。間もなく止んだので、同じキリギリスコースをもう一回りしようとしたら、小西さんが来た。今年一度も回ったことが無い、久しぶりですねとか言いながらプレーを始める。最初の一打でびっくりさせられた。去年までとは別人のようなショット。いきなりイーグル。6月の例会で優勝したという話は聞こえていたけれど、さもありなんという感じに変身していました。

 平向さんの安定感にも驚いているけれど、更に小西さんに驚かされた。もはや私は、Bクラス、大会、例会は、出ることに意義を感じるという、その他ご一行。

 でも、まだ向上心だけはあるのです。気持があっても裏付ける練習が出来ない。
練習なしで上手になれるわけは無い。
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花の命は短くて

2006-07-13 20:07:34 | 無題
 
このタイトルは、一寸ロマンチックだけれど、今書こうとしていることは、言葉どおりなのです。

 春が遅い・・夏が遅い・・と気をもんでいるうちにも、花は次々に咲いて散ってゆく。春先の花は、葉まで枯れて、4本あるバラも一度目の花は全部散ってしまった。百合が今花を開いた。今年は、去年笠井さんからいただいた花が次々と咲いてくれて、楽しませていただいた。晩酌の酔い覚ましに眺めているとなんともいい気持になる。

 既に7月も半ば、1週間もすれば学校は夏休みですか。瞬く間に秋風に成り、秋の花になっていくのです。

 今、どんな花をつけるのか判らない花が何種類か茎を大きく伸ばしています。是は秋の花なのでしょう。今年は花に癒されながら夏を送ることに成りました。
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美瑛の丘

2006-07-12 19:56:07 | 随想
 
美瑛の丘が、一人の写真家の、丘の稜線に立つ一本の木の写真から一躍有名になった。改めてあの丘の畑を見てみると、確かにいい。

 私は、1951年に父が美瑛町字二股の小学校の校長になって転勤し、大学の3・4年をここで過ごした。二股は、美馬牛の駅から9k、あの丘を幾つも越えて行くのです。当時はバスなどありませんから、自転車が最高の乗り物で、それも途中登りきれず、押して歩くところもあったりするのです。勿論、冬は歩くしかないのです。

 そんな生活の中で、あの丘はなんとも迷惑だったのです。それがいまや観光スポットになつているのです。

 数年前、家内とドライブで、上富良野のラベンダー畑を見て、ついでに懐かしい二股を通ることにしました。二股は、あの丘の連なる中で盆地のように細長く平地のつながる土地なのです。上富良野との境界に展望台などもあるのですが、二股に入ると、その景観はなくなりました。

 二股の地に入って驚きました。かって私がヤマメ釣りを楽しんでいた川が、川でなくなっているのです。結構有った農家もあまり見当たらないのです。父の校長をしていた学校は、何か資料館のようなものになっていて、管理人がいるのかどうかすらわからない状態でした。学校の前にお店屋があったはずですが、跡形も無い。
でも道路だけは、アスファルトの舗装でした。

 思い出は、思い出として、遠くにおいて置けばよい。一度行って見たいと思い、行ったばかりに、もう二度と行く気の起らない古里になってしまいました。


 
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萌え?????

2006-07-11 21:36:37 | 無題
 
「萌え」 言葉は知っている。これが、世界中の流行語のようになっているなんて・・・・びっくり。

 そして、その意味合いも、使われ方も、全く私の理解を越えている。

 私と同じ世代でこの言葉を知っているのはどれだけいるのだろう。もしかして、聞いたら「遅れてる」と笑われる?

 「侘び」「寂び」「萌え」 と並べて、 日本文化・・・日本から発信されたものではありましょうが、どうして並列になるのでしょう。

 「萌え黄色」「萌え出ずる」、まだ若々しい、これからという情感が、形として何か信じられない様相をみせて、「癒し」となっているらしい。「らしい」なのです。アニメが人間に置き換わるみたいな、  わからない。

 今の世の中、私にはわからないことが多すぎます。
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釣り仲間の大島さん大変だったのだ・・・

2006-07-10 20:12:24 | 身辺雑記
 
手稲でただ一人のヤマメ釣り仲間、大島さんが足を折って40日入院していたのだ。釣り仲間といっても、一年に一度しか行かない釣りなのだ。

 でも、昨年は、彼、一人で出かけて、ヤマメの釣れる灌漑口を見つけて、時々行っていた。今年も7月そろそろ気持がうづいているのではとおもっていた。たまたま、土曜日にパークで大島さんと親しくしている方と一緒に成り、聞いてみたら足を骨折して入院していたと教えられた。

 今、電話したら、冬囲いを解くのに、塀に登っていて、落ちたのだそうです。結構高い塀です。落ちたとき片足で着地、倒れて一時意識も失ったとか・・。入院してギブスをつけて40日。3日くらい前からしゃべれる気力が出てきたとか。回復してきたら、内臓の方の調子がおかしくて、飯もろくにたへべれなかったとか、でも今日はしっかり食べれたという。

 奥さんを5年くらい前に亡くして、一人暮らしなのだけれど、とてもきちんとした生活をしていて、家の中も外も本当によく手入れしているのです。野菜も立派に育て、私にまでお裾分けしてくれるのです。

 今年も一度は、ヤマメ釣りに行って、帰りに食べるソフトクリームを楽しみにしていたのですが、諦めるしかないですね。
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 結局予定通り・・・

2006-07-09 21:41:21 | 身辺雑記
 
9時、パークに行ってくると言って家を出る。処理場にしようか、森林公園にしようかと迷ったけれど、森林公園にした。ハウスのそばまに行くと練習コースから「村川さん!!」と声を掛けてくれた人がいる。何と、佐藤五郎さん。

 佐藤さんも、山口での大会出ないので、こちらに来たとのこと。誰か知った人が来ないかと練習場で様子を見ていたのだそうです。

 ほとんど来ていないコース、やっぱり駄目でした。たまにこなくちゃ駄目だねとかいいながら27H回って帰る。

 午後、札幌ハーフマラソン、野口、偉い! コースレコード、途中、大南が野口の前に出ることもあったけれど、殆ど問題にしていなかった。実に安定した、ダイナミックな走り、オリンピックで優勝したりすると、次は殆どだめになつてゆくことが多いけれど、野口は今度のオリンピックも期待できるのじゃないでしょうか。背が低いけれど、それを感じさせないくらい、強靭な体力の持ち主のようです。

 相撲が始まりました。白鵬が負けた!、やっぱりプレッシャーなのでしょうか。
それにしても、相撲の国際化は凄いものです。一寸寂しい、国技といえなく成ります。貴乃花の時代、小錦や武蔵丸がいても、貴乃花がしっかり対応できたけれど、今は、外人相手に渡り合える日本人の力士は出てこないのじゃないでしょうか。

 今、功名が辻を見て、PCに向かっています。野球のLIVEを一寸見ましたが、ロッテどうやら3連敗の様子・・・一体どうなったの・・・
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