手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

詩吟の教え方などについて  その4 吟声について

2010-06-19 19:18:45 | 詩吟関係

 吟声という表現がある。
 口先の声でなく、しっかりした腹式呼吸法を身につけた発声でしかも正しい発音で吟じられる声です。

 初心の方をここにいたらせることはとても大変です。訓練の仕方はいろいろあります。日本語の発声法を学ばせる、これはアナウンサーや芸能人を養成するのとは違うのですから、時間をかけてやるわけには行きません。詩吟の指導と平行しながら徐々に身につけさせるしかありません。

 いろいろなアプローチの仕方があると思います。私は第一に口の開閉についてかなり厳しく指導します。特に「ア」の発声について意識させます。
 
 次にブレスの指導です。二句三息の区切りでのブレス、間の取り方を意識させます。最初のころは、説明しても二句三息のカギ括弧の意味を理解してくれません。しかし、そこが判ってくると吟が変わってきます。それと平行して、「盗み息」これを私は「タメ」として使い分けています。ブレスがタメですが、私はブレスは息を吐き出し、腹式で一挙に息を取らせる形でやや長いタメとなります。この指導のポイントとして、平音から高音へ移るとき、平音の最後で一瞬息を止め、下っ腹に力をいれ、その力で高音に張り上げる指導を取り入れています。これが身についてくると、それまでは力みだった声が吟声に近くなります。

 要するにブレスはお腹に力をタメることに他ならないわけで、これがきちんとできるようになったとき、吟声が身につくのです。

 言葉がきちんといえていない、言葉の連続が途切れ途切れになる、余韻を引くときに音程
がぶれる、言い換えれば吟調が安定しないという原因はここにある。こまかな節回しみたいなところだけにとらわれず、長い目で吟声の確立に指導の重点を置いて行くべきだと思う。 
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詩吟の教え方などについて  その3  二句三息について

2010-06-18 18:44:32 | 詩吟関係

 私が最初に詩吟を教えていただいたときは、先生の完全な口伝でした。そして、詩吟の構造的なことについて全く教えられなかったのです。ですから、音程すら分かりませんでした。そんな状態で6段まで進んだときに、札幌に転勤となり、二年目に詩吟を続けたくて手稲区にある日本詩吟学院の教室に入会しました。その当時、詩吟学院は新入の人の前歴は全く認めていませんでした。したがって私も5級から勉強のしなおしとなりました。私の吟はただ大きな声を出すだけで、全く素人の域でしたから、抵抗無く学びなおすことが出来ました。結局5段までお世話になりました。

 この詩吟学院での5段までの稽古が私を育ててくれたと思っています。

 特に、親先生でなく補助のような指導をされ、最後は親先生をしのいで、関連の教室全部を掌握することになった故日裏先生の指導を受けたことが大きかったのです。

 詩吟の構造をしっかり教えてくださり、コンダクターをいち早く取り入れられていて私も聞き覚えで使えるようになりました。コンダクターを使えるようになったのは、詩吟の構造を教えられ、理解できていたからだと思う。

 詩吟の音階が12音階で、レソ抜きの陰旋律で、主音がミ、副主音がラで、ミから始まりミで終わる。二句三息を大切にして、さらにアクセント、鼻濁音の重視など、それまで知らなかったことを教えられ、詩吟についての理解が深められました。

 日本詩吟学院の5段になったとき、先に世話になっていた象堂流に戻らせていただき教室を持つことになりました。

 象堂流の指導は、先に書いた形ですが、私は詩吟学院で覚えたコンダクターを使って教えました。しかし、宗家の吟は私たちの真似の出来るレベルではなく、ただ力を入れることしか分かりませんでした。私なりの指導はそれなりにやりましたが、特別アクセントを気にしなくても、二句三息を考えなくても通用しましたので、そのまま来ていました。

 五年前、都合で象堂流を退会して、自分の会を立ち上げ、北詩連に加入しました。すると特にアクセントがかなり厳しく指導されていることを知り、それまでの吟法をかなりの程度で修正することとなりました。

 日本詩吟学院にいた頃、この二句三息は日本詩吟学院独自の吟法だというように聞いていました。しかし、詩吟に関する本を見ますと、今は吟界の常識になっていることが分かりました。しかし、日本詩吟学院の方達の中には、他の流派は二句三息をやらないと決め付けている方がいます。逆に私から見て、学院のある会などの方の吟を聞くと違和感を覚えるところがある。無理に二句三息にするために、間の無い吟になっているのを聞いて是は間違いだと思ったりすることがあります。

 二句三息をきちんとできるようにするためには、ブレスをしっかり出来るようにならなければなりません。腹式呼吸法がしっかり出来るようにならなければ、難しいのです。それを初心の人にまで無理やりやらせても駄目なのです。そこに到達させる道筋を指導の眼目として教えなければなりません。

 詩吟は歌謡曲などと違って、力強さ、格調の高さが要求されます。その基礎となるのが二句三息だと思います。腹から出される、張りのある声で、二句三息で吟じきるそこに詩吟の真髄があると思うのです。
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詩吟の教え方などについて   その2  詩文の読み方

2010-06-17 18:07:20 | 詩吟関係

 詩吟の美しさについて
 私たちは、より美しい詩吟のあり方を模索しているのだと思います。
 
その事に一言。
 
 詩吟は漢詩の書き下し文を、吟じるという形で読み、詩情を表現する芸能です。

 書き下し文は、文語文です。文語文は口語文と比較すると、とても柔らかく、音楽性にも富み、日本語の美しさを保っていると言えます。現在日本語の乱れが指摘され問題になったりしています。そんな現代で、美しい日本語を守り伝えているのが詩吟だといえます。私たち詩吟をやっている者はまずその意識を大切にすべきだと思います。


 漢詩が日本に伝えられたのは、日本に中国文化が伝わったときからだと思います。そして、訓読法が確立されたときから、和歌の朗詠と同じ形で口ずさまれていたと思われます。平安時代に「和漢朗詠集」が出されています。和歌と漢詩のすぐれた作品を集めたものですが、朗詠集とあるように、和歌も漢詩も朗詠の形で読まれていたのだと思います。平家物語の忠度都落ちで、俊成卿の元を尋ねていった忠度が戻っていくのを見送る俊成の耳に、「先途程遠し思いを雁山の夕べの雲に馳す」と口ずさむ忠度の声が聞こえたという表現があります。ここでは吟ということばが使われていません。和歌の朗詠のように、朗詠していたのだと思います。

 詩吟が詩吟の形になったのは、江戸時代の後期のようです。そして盛んになったのは幕末だったようです。この頃の詩吟は、うんと素朴だったと思います。男性の物で女性はかかわっていなかったと思います。それが、軍人に引き継がれてゆき、木村岳風先生らにより、芸能の領域に高められたようです。岳風先生の吟もレコードなどで聞いていますが、とても素朴です。それが芸能として普及する中で、女性の愛好者も多くなりそんな流れの中で、詩吟も多彩な吟法が生まれてきました。

 多くの詩吟の流派が出来ています。そして、それぞれに特色を出しています。しかし、こうでなければならないという、絶対的な吟法が確立されているわけではありません。北詩連はいろいろな流派の団体が加盟して出来ています。したがって、いろいろな吟法が審査には登場するわけで、審査員は苦労をしなければなりません。

 私は、過去に象堂流と日本詩吟学院の指導を受ける経験をしています。その経験と、いろいろ聞く先輩の吟を下に、私流の吟を今は指導しています。

 その中で、一番大事にしていることは、先に書いた日本語の美しさを基盤におくということです。漢詩の書き下し文の朗読が基本だと考えています。特に気になるのはアクセントの異常な強調です。わたしは日本詩吟学院に在籍したことを書きましたが、その折、アクセントをやたら強調する指導がありました。しかし、私は納得の出来ない使い方はあえてしませんでした。これも、数年でまた元に戻りました。私の考えは間違っていなかったと確信しました。現在、北詩連にはかなりオオバーなアクセントの強調をされている先生方がいます。是が日本語ですかと私は疑問に思います。そしてそんな強調が日本語を美しくしているとは到底思えないのです。日本語は外国語と比較したときほとんどアクセントが無いといえるくらいのことばです。しかし、アクセントは確かにあるのです。しかし、その音程の差は一音階程度で十分だと思います。変な強調は日本語を醜いものにしています。

 詩吟の原点をみつめてほしい。
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シギン ノ オシエカタデ

2010-06-17 18:05:05 | 思い出 1 生い立ち、
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詩吟の教え方などでいいたいこと  その1 指導者への道

2010-06-16 19:03:08 | 詩吟関係

 先に私の詩吟暦を書いておきます。44歳で詩吟を始めました。最初に所属した流派は象堂流といいいました。その途中、転勤で札幌に来て一時期日本詩吟学院に所属しました。その後、師範の資格を早く取りたい思いもあって象堂流に復帰して皆伝師範まで進みました。皆伝師範で教室を三つ会員数も40名を数えていましたが、ある事情で象堂流を退会し独立、北海道詩吟連盟に加盟して現在に到っています。今年、教室(道場)創立25周年記念大会を何とかやりました。

 今私は80歳です。教室は相変わらず三つです。会員数は減少して27名になっています。でも他に手稲老人福祉センターの公開講座「詩吟」の講師を20年やっています。参加者も20数名います。また町内会老人クラブにボランティアの詩吟クラブを世話しています。

 今一番気がかりなのは、私の後継者が出来ていないということです。師範がいないのです。北詩連の規約では、師範になるためには、お弟子さんを作って、独立し、その上で資格試験を受けなければならないのです。8段になったら副師範の資格試験を受けることは出来ますが、副師範をとったら後は、師範の道しかなく、競吟大会などにも出ることが出来ません。

 私の教室の生徒さんちたちは、ほとんどが定年退職した後で余生の趣味で入った方です。今更お弟子さんを集めて師範の資格を取りたいという人はいません。少し若い人だと、先輩の姿を見ていると、師範の資格に挑戦する気持ちになれません。

 以前の象堂流では、8段を取ったら自動的に副師範をいただけました。ただ師範になるためには、教本の奥伝まで終了し、その後の活躍を宗家が評価して師範の認定をしてくれるのでした。私は奥伝終了後2年で師範をいただました。

 日本詩吟学院では、6段を取ったら副師範の受験資格が与えられます。試験はかなり厳しいものでしたが、副師範をとっても弟子を持つことはほとんど要求されませんし次の資格を受けることも認められていました。もしお弟子さんを作っても、ほとんどの場合先生は依然として自分の指導をしてくれた親先生の元で生徒として指導を受け、自分の作った弟子も親先生の孫弟子として資格試験の前には、親先生の指導も受けさせていました。師範の資格をとっても、独立するまでには会員数10名を持たなければならない決まりだったように思います。私の家内も日本詩吟学院に入り、師範まで取りました。結局お弟子さんを持つことが出来ず体調を悪くして退会してしまったのですが、日本詩吟学院のやり方はとても素晴らしいと思っています。

 それでも、北詩連の指導者への規約が、詩吟学院並なら、資格として挑戦する人も出ると思うのですが、お弟子さんを見つけて独立となると、全く無理な話みたいです。昔と違うところ、詩吟を志す人口がものすごく減っているということです。ですからお弟子さんを三人集めることは、普通の方は不可能に近いと思います。それでも中にその壁を破っ行く人もいるのですから、北詩連もこの規約は変えないのでしょうが、私は反対です。今年は、あえて私の主張を言うことにします。古い先生方の批判を浴びるかもしれませんが、黙っていても仕方ない。堂々と論戦を張ってみたい。
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dg@yte

2010-06-16 19:02:07 | 思い出 1 生い立ち、
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カメルーン戦見ました・・・感激した!!

2010-06-15 19:02:03 | スポーツ

 遅い時間だし、勝てそうも無いからやめようかと思ったけれど、ヤッパリ見ることにしました。前半の15分を対等に戦えばおもしろくなると思ってみていた。互角のような展開で15分は過ぎた。そこで、もしかして?と思いながら応援していました。本田君のゴール時間もいい時間でした。一人で手を叩いて興奮していました。

 それでも、後半が心配でした。防戦一方になって点を取られるのじゃないか気が気でない。でもいい守備をしている。愈々残り時間が無くなった。ロスタイム、なんと4分もある、ロスタイムに入る少し前からカメルーンの総攻撃が始まった。一番心配していた姿になった。今までの日本は是に耐えられず失点していた。そんな試合を何回も見ている。四分がとても長く感じられた。試合終了のホイッスル。私も拍手を送りました。

 今日のニュースの中心はやはり是でした。日本中がまるで優勝でもしたような騒ぎです。しかし、まだ予選突破とはなっていない。それなのにこの盛り上がり、サッカーの凄さを改めて感じました。

 野球でワールドベースボールクラッシックに日本優勝したのです。あのときの盛り上がり以上に感じられた。

 野球やっていない国のほうが多い、だが、サッカーをやっていない国は無い。それだけに強い国は多く、身体能力に劣る日本が予選を通過するのは至難の業に近いのだ。昨日の一勝は、大きな一勝です。

 そのうちに、アフリカの国国が世界に羽ばたくようになるのは、間もないでしょう。身体能力ではかなわない。今陸上競技がアフリカ勢が主役みたいになっている。サッカーもまもなくのように思える。
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電話勧誘に乗る馬鹿な自分

2010-06-14 20:07:21 | 身辺雑記

 電話による勧誘が沢山あります。それに乗っての失敗談。

 先日、NTT東日本からの電話(実はNTTの請負業者)で、光回線を地デジのTVに接続しないかという勧めがあった。光回線はPCに引いています。話はアンテナなしでTVが見れるというのです。現在普通のアンテナでちゃんと見れているのです。ただ、地デジを入れた時、アナログのテレビを二階に上げて二階にあったテレビを下取りに出した。ところが、テレビ見れる状態で無くなりました。下取りに出したほうのTVはBS内臓でなかったのですが、ビデオを通して見ることが出来ていたのに、光を入れたときからBSが見れなくなっていたのです。それが、今回、下のBS内臓のTVにしたら、BSはちゃんと入るけれど他のが綺麗に出ないという状況になっていた。それで、二階のアナログが綺麗に出ないのはアンテナの関係と早合点して、まもなくアンテナ交換もしなければならないかもしれない、それなら今光につないでアンテナなしで見れるようにしたほうがいいかもしれないと電話で契約しました。

 昨日娘が来て、今その勧誘は随分やられている。単にアンテナが不要になるだけで無く、チュウーナーが着くことにり、それで沢山の番組も見れるようになるけれど全部お金がかかるだという。その点理解できていなかった。そして、料金も高くなるはずだという。一度、アンテナの状況など電気屋に聞いてみてはどうかといわれた。

 それで、以前世話になっていた電気屋さんに来てもらって話をし見てもらった。アンテナはまだ5~6年は大丈夫ですという。二階のテレビ、電気屋さんが接続したら綺麗に写る。アナログ終了のときチューナーーを入れればいいという。

 それで、NTTの光キャンセルしました。どうも私はそそっかしい所がある。以前に光の変更の訪問を受けて、月額1200円くらい安くなるからという言葉につられてYAHOOから変更する気になった。是も話を後で聞いたら、今までのデーターなどもなくなる、継続していくためには大変なことにつながるという。娘が手を回してくれて、無事キャンセル出来たけれど、そのときの失敗と同じような失敗をまた繰り返すところだった。

 この歳になると、パンフレットの小さな文字は読む気にもならない。ついつい話のいいところばかりを聞いてしまって早合点してしまう。
 おれおれに引っかかることは無いと思うけれど、気をつけなくちゃ駄目だ。
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詩吟の審査会に行ってきました

2010-06-13 18:55:09 | 詩吟関係

 札幌教育文化会館で今年度最初の審査会がありました。車で行けないのです。手稲駅からバスで行きます。9時までには着かなければなりませんので、7時55分のバスに乗ります。そのためには家を7時30分に出なければなりません。数年前までだと13分くらいで駅に着いたのですが、今は15分以上見なければなりません。肺気腫で歩くのが容易でないのです。

 ゆっくり歩いて行き、7時55分のバスに乗るべく乗車場所に行きました。バスが来たとき、声が掛けられました。見ると手稲第二教場の女性軍がいました。テッキリ同じバスに乗ったと思いながら前のほうに一人で座りました。発車して一寸先を見たら高橋さんが歩いている。高橋さん遅れたのだと思っていた。

 元の厚生年金会館前でバスを降りたらなんと手稲第二教場の方は誰も乗っていない。8時10分のバスだったのだ。高橋さんが遅れたと思ったのは間違いだったのです。

 教育文化会館に入ってふと見るとロビーの椅子に北出さんと佐藤さんがいる。行ってみたらなんと、佐藤さんのご主人が二人を車で連れてきてくれたのだといいます。北出さんは大助かりだったでしょう。

 審査会とても順調に進み、15時過ぎに終了しました。

 結果は、碌峭会から準7段を受けた、加藤・高橋の二名が短縮合格でした。

 この二人の吟は、私の欲目かもしれないけれど、七段までの受信者の中で、群を抜いていると思った。しかし、注意もあった。
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次々と新しい機能が出てくる

2010-06-12 19:38:03 | 随想

 今の機械類の機能の多さに辟易している。

 まず、携帯です。80歳という歳を問題にして携帯は持つべきだと娘たちに進められて買いました。私の携帯にかかってくる電話はほとんど無い。機能は沢山あるけれどどれも使えない。写真、初めの頃少し使いましたが、デジカメのほうが使いやすいから使わない。今使っているのは私から文化協会と詩吟関係の方に連絡の電話を入れるのに使うくらいです。是も昼間連絡しなければならないことはほとんどないし、掛かってくることはまず無い。だから持って歩かない。たまに掛ける人がいても、私が出ないから次から掛けないという事になる。

 今度地デジのTVを入れた。随分いろいろの機能がついている。だけど是も基本的なことしか使わない。

 PCは光にしているけれど、最初yahoobbの光を入れていた。それがNTTに変えなきゃならなくなり、すると配線まで取り替えることになった。光にした恩恵も分からないまま光を使っている。

 数日前にブログに書いたのですが、光回線とテレビをつなぐとアンテナなしで見れるということにつつられて一応契約したのですが、先ほど娘が来て、新しいチューナをつけて、いろいろな使い方が出来るようになるだけで、金額も高くなるという。だまし討ちにあった気分です。このテレビの現在の機能で十分なのです、それに更に高いお金を掛けて光とつなぎ、見もしない番組を見れるようにする必要はまったく無いのです。

 是は、今一度専門家の話を聞いて、考え直すほうがいいかもしれない。
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