手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

今月の福祉センター詩吟

2011-09-20 18:41:01 | 詩吟関係
今月の福祉センター詩吟今日が三週目で最後です。第一週が台風の関係で11名という最少記録でした。その反動か第二週の先週は22名の参加と、暫くぶりの20名越えでした。ところが今日は19名とほぼ平均的出席となりました。

 今日は先週やった「蘇台覧古」と、その関連で「越中覧古」をやろうかと用意はしたのですが、秋の空が綺麗なので、秋の詩をと考えなおし「秋思 劉 禹錫」をもって行くことにした。

 時々、教えるのですが、今日も吟譜の後ろに書いてある白文に訓点をつけることをやらせて見ました。既に理解の出来ている方も多いのですが、まだ理解できない方もいますし、初めての方もいます。結構喜んでくれるのです。

 福祉センターの詩吟もう20 年になりますが、教え方はほとんど変えていません。最初に素読をやって、初めての詩は、簡単な解説をします。その後、範吟を2回やって、その後私の吟について合吟を2回やります。その後男女別に合吟を二回やらせます。そしとて、独吟を一回りして、前半が終わり。10分ほどの休憩を挟んで、後半も同じ形で別の吟をやるのです。

 連吟などもやらせたいのですが、声のあわない方が多く、難しいのでほとんど最近はやっていません。

 詩吟をこれで結構楽しんでくれているのです。あまり技術的なことを押し込むような仕方はしません。それでも、いつの間にか、私の吟のとおりちゃんとやってくれています。

 詩吟の経験者で、かなりの高段者もいらっしゃいますが、仲間に入って一緒にやってくれます。

詩吟もつまるところは趣味で、楽しみなのです。楽しく過ごせるように配慮してあげることにしています。教材もほとんど絶句にしています。そして、同じ詩は基本的に二回しかやりません。用意している詩文が200位ありますから、ある程度の時間を置いて繰り返したりはします。新しい詩との出会いも、楽しみの一つなのです。新しい詩は詩文の説明、関連する歴史的な話なども織り込んで話しますので、そんな話を聞くのも楽しみみたいです。

 楽しく感じてもらうためには、なかに、いろいろのアクセントもつけます。その一つが訓点をつけてみることだったり、時には突然指名して素読をさせてみたり、詩吟の技法だったりするのです。

 あと何年続けることが出来るのかわかりませんが、詩吟の教室を続けている間は継続出来ると思います。最低、後四年で教場の創立30周年になるのでそれまでは頑張りたいと思います。
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「群れない 慣れない 頼らない」 93歳 堀 文子さん 

2011-09-19 18:40:02 | 無題
今日何気なく見たテレビに画家堀文子さん(93歳)が出ていた。とてもそんな歳とは思えない。見かけは勿論、話し方、話す内容などは50台といってもよい。

 驚いた。「群れない 慣れない 頼らない」これがモットウだという。ここに徹すれば孤独ということは無くなるはずだ。画家だけにいえることではないけれど、個性が無くて芸術家とはいえないのでしょうから、こんな強さは当然なのかもしれない。だが、そんなに簡単なことではない。

 こんな生き方に徹したからこんなに若くいられるのだろうか。今も現役の画家として常に新しいものを追求している。作品は「自分から離れたと思えない」ものとなっているという。とても味わい深い言葉だ。

 私は今詩吟をやっている。そんな中で何時も迷いに迷っている。「慣れない」ことは確かだけれど、慣れることすら出来なかったのだ。「頼らない」、私は頼れる人に出会えなかったように思う。先生に心服できなかった・・・自分が選んだ先生ではなく、たまたま詩吟を始めたときに出会った先生だった。吟はとても素晴らしいと思った。だが人生の師としてついてゆくことが出来なかった。たとえ吟力がそれほどでないにしても、人間として学びたいと思える人だったら、おそらく離れることは無かったと思うし、そんな中で自分を作り上げたと思う。

 今、詩吟の先生としてお弟子さんに吟を指導している。教えながら迷っている。別な見方をすると「群れ」ようとしているのかもしれない。大勢に順応しようとしているように思う。
本当にお弟子さんには申し訳ない。詩吟でも、人生でも足りないところばかりだ。
  
 詩吟には沢山の流派がある。その一つ一つに個性がある。北海道詩吟連盟という団体は、言えば、個性のあるはずの沢山の会をまとめた団体です。その団体が、資格審査、競吟大会大会などは同じ土俵で量られるのです。詩吟という土俵はおなじだけれど、出来るだけ公平に量るとすれば、標準化の力が働く。それを感じると、個性を殺してでも標準化になじもうとする、これは「群れる」事にならないだろうか。それが嫌ならまったく独立した会として、一つの流派として生きるより道は無くなる。それが出来ないから現在がある。

 いまさら迷っても仕方が無いのだけれど、どうもそんなに強くない。迷わずにいる方は少ないのかもしれないけれど、自信満々のように進んでいる方たちを羨ましく思ってしまうのです。
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F先生の一周忌法要の案内をいただいた

2011-09-18 18:24:23 | 身辺雑記
このような案内初めての経験で、戸惑ってしまいました。札幌で定年まで勤めた高校へ同じ年に赴任して、以来、いい先輩としてお付き合いいただき、いろいろ世話になったF先生、昨年他界されました。その一周忌法要の案内が来たのです。

 とても世話好きで、とてもリーダーシップのある方でした。初め同じ手稲に住まったということもあり、彼が飲みに出かけるときにはほとんど付き合わされた?。私は札幌に来る前は美唄でした。15年いて、一人では勿論友達と飲むのが目的で出かけたことも無かった。それがいつの間にか、札幌で彼に誘われ?、梯子酒で人生を謳歌し始めた。定年後も10年にわたってそんな付き合いをしていた。とても遊び上手でもありました。まさに人生のお師匠でした。

 定年後暫くしてから、喘息を発症して、夜、苦しむような話をしていましたが、それがさらに肺気腫と合併するようになり、時々入院をするようになり、好きな酒を断つ形となり、飲み付き合いも出来なくなってしまった。

 それでも、時たま、電話を呉れたりしていた。そして、昨年とうとうお亡くなりになられた。退職後20年も経っていて、当時の同僚もいなくなり、葬儀に参加できたのは私と、もう一人の仲間の奥様の二人だけだった。

 家族ぐるみのお付き合いだったら、また違うのでしょうが、当人同士の付き合いで家族の方はほとんど判りませんので、このような法要の案内、どうしたものか困りました。

 悪いけれどお断りすることとしました。丁度、詩吟の教室の同じ時間帯です。

 私は、1930年生まれで、現在肺気腫で、運動とか坂を上るとかは全く駄目ですが、詩吟を週五日教え、パークゴルフを続けとています。さらにカラオケは詩吟で鍛えている声ですから同じ年代の方とは比較にならないと思います。酒も誘われればいつでも出かけ、宴会の酒は二次会までしっかり楽しんでいる。そんな生活、こんな楽しい老後を用意してくれたのも彼だったのでしょうか。

 申し訳ないように思いますが、ご冥福を祈り案内は辞退させていただくこことしました。。
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ある詩集がベストセラーになっているとか?

2011-09-17 19:20:08 | 随想
先日のテレビで見たのですが、9・11同時多発テロで愛する方を亡くした方が書いたものを、日本語に翻訳した詩集です。題名を忘れたのですが「明日が別れになるとわかっていたら」といったような感じの題名だった。

 9月11日、アメリカで起きた同時テロから10年目だったのです。くしくも11日は東日本大震災から半年でもあったのです。

 この、同時テロで愛する人を失った、方がその思いを書いた詩集です。その思いは大震災で愛する人を失った方とおなじでしょう。

 このような別れが判っていたら、どうしたか、どう言いたかったか。そのテーマーを聞くだけで、残された方の悲しみが痛いほど判る。

 人生ははかなく短いということは常に言われて来ている。

 「少年老い易く」「石火光中この身を寄す」「嗚呼老いたり是れ誰のあやまちぞや」
「盛年重ねて来たらず」「生者必滅」、だから現在の生を大事にといっているのは、余裕です。突然、本当に突然、一瞬にして愛する人が消えた。

 もしそれが判っていたらこうして上げたかった、こう言いたかった・・・・それを出来なかった悲しみがぎっしりつまった詩集なのだと思います。

 テロという人為による災難、地震・津波という天災、どちらにせよ、愛する人を一瞬にして奪われた悲しみは変わらないでしょう。しかし、人災なら憎む相手がある。天災には大自然の猛威に呆然とするしかないのかもしれない。多くの方がこのテロで災害で愛する人を失った。私たちはただただ心情を察し、お見舞いをすることしか出来ないけけど、あまりにも悲しいことです。

 この二つの事がくしくも11日というのも不思議な偶然だ。

 原発事故は、人災だ。家を土地を故郷を離れて、帰るあてもなくなっている方たちの思いはお金で癒されるものでは無い。この惨さに私たちはどのように向かえばいいのだろう。

 放射能廃棄物が出ることが判っていて、そしてそれの廃棄場所が極めて難しく、しかも廃棄物の無害化にはとてつもない時間がかかることを判っていて、その対策の無いままに原発だけが増えてきていたことを改めて知り、ものすごく心配になってきた。

 
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昨日のこと  そして今日

2011-09-16 19:31:49 | 身辺雑記
昨日ブログを書けなかった次第。木曜日、午前中小雨がパラパラ降っていたし、右手の人差し指の付け根の方が、パークゴルフのクラブの使い方が悪くて痛くなっていることもあり、パークゴルフに行くのを止めました。本来、左手で引っ張るように打つのが正しいのだと思うのですが、私はどうやら右手で押すようにして打っていたのだと思います。打ち方が悪いから、飛ばない、コントロールが出来ないであれこれ試しているうちに、ますますおかしくなったのだと思います。それと、クラブのグノップが四角になっていることがまた。指に負担を掛けているように感じました。それで、グリップを右手側が丸いのに変えることにしてみました。そんなことで午前中が終わり。午後、カラオケに出かけました。16時前に帰宅。
 
 18時30分から文化協会年忘れ演芸大会の出演団体打ち合わせ会を予定していたので、17時50分に区民センターに出かけました。会議はスムースに進み、19時15分に帰宅できました。 

 帰宅してすぐ日舞の和先生に電話して、今日の会議で話し合われた日舞の賛助出演依頼を告げ、とりまとめをお願いした。快く了解いただけました。終わって、ブログを書こうとしたところへ電話、何と「いの平」から友達が来ていますという電話だった。久しぶりのいの平なのですぐ出かけました。

 本当に久しぶり、美味しい酒を飲み楽しくカラオケを楽しんで、22時30分に帰宅しました。そんなことで、ついついブログを書けなかったというしだいです。

 今日の午前中、パークゴルフの打ち方を替える練習に出かけました。駄目です。まるで初心者になりました。19日の会長杯、出席することにしていたのですが、これは止めたほうがいいみたいです。明日にでも世話役の方にキャンセルのお願いに行ってこようかと思います。

 午後は第二教場、実は今日札幌西支部の「吟道推進懇話会」が14時からあったのですが、教場から大野・小林の二名に参加していただき、私は教場の指導に当たることにしていました。

 朝電話で大野さんが体調が悪く、欠席しますとの連絡でした。でも碌峭会からは四名出席しているはずなので、私の欠席は補ってくれたと思います。折角の懇話会成功していてくれれば嬉しいのだけれど、どうなったことやら。
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国会の野次・・・・品が無い

2011-09-14 18:38:27 | 政治
野田首相の所信表明演説での野党の野次はとても聞きづらかった。自民党も与党のときは同じように野次を受けたのです。そのお返しということでしょうか。

 もの凄い野次・・でも野田首相、動ずることなく演説を続けた。

 三党合意を尊重すると明言している野田首相の演説にこんなことで迎え撃つ自民党に幻滅を感じた。もう少し大人で・・・こんなことを言うと国会議員が駄々っ子みたいな言い方になるけれど、本当に子供に見せたくない光景だ。

 私はどちらかと言えば自民よりの考え方だったけれど、こんな態度をとっていては見限りたくなる。もっと紳士的に、特に大震災、原発事故の復旧、復興という大問題に対処する大事なときだ、ここは一番、自民の協力が素晴らしいと評価される仕事をしてほしい。与党の足引っ張りで、復興が遅れることがあるならば、自、公ともに評価が落ちるでしょう。

 自民党の懐の深さを堂々と示してはどうでしょう。野次が政治を変えることは無い。堂々と論戦で戦えばいいのだ。

 今日の国会答弁も、野田首相の答弁を私は評価したい。とてもしっかりした、力強いものがあった。この内閣のスタッフも挙党内閣といえそうだ。
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野田内閣船出した

2011-09-13 20:20:02 | 政治
今回の民主党代表選挙、一番先に名乗りをあげ、雑音に耳を貸さず一番腹が据わっている感じを受けていた野田さんが代表となり、総理となって、今日施政演説をして船出をした。

 やはり、何か前の二人とは違う強さを感じる。東日本大震災、福島原発の始末、この二つを当然のことながら、最重要課題として取り組む。そして、その費用は現在の国民が負担し、次の世代に背負わせることはしないという。それは、増税もあるという意味だと思う。勿論、現状での無駄を省く努力もある。原発についても、脱原発への取り組みはするけれど、今、稼動できる原発は、ストレス検査後、稼動させる方向のようだ。

 腰の引けそうな問題にも、毅然として向かっている感じがした。浮ついていない、強いリーダーシップを感じさせる。

 きわめて問題の多い現在、やらなければならない事は果てしなくある。しかし、震災復興なくして、何もない。国の総力を傾注して当たって欲しい。

 もう半年が過ぎている。国を挙げてやっている感じがしない。地方任せのたどたどしい歩みはなんとも歯がゆい。季節は冬へと移りつつある。何から手をつければいいのかは私には想像も出来ないけれど、国営事業としての大工事、大建設などが立ち上げられて良いと思う。

 ささやかな復興の姿が時々報じられるように為ってきた。国の側面からの支援があれば、もっと進むのにと思いつつ見ている。

 大規模な瓦礫処理施設の建設、港湾設備の回復事業。地盤沈下地帯の防水工事、大変なことばかりだけれど、そんなことの一つでも動き出したら、どんなに心強いことだろう。

 百年に一度はこんな津波が来るのかもしれない。それを覚悟しての復興。特に漁業の復興には、港湾関連施設は津波覚悟の建設になる。今回の津波を教訓に、計画が進められると思うけれど、大変だと思う。しかし、やらなければならないのだ。
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武器輸出を検討するという前原氏の発言

2011-09-12 19:07:28 | 無題
これは当然のことだが、日本でも武器は製造しているのだ。自衛隊の装備がすべて輸入ということにはならない。武器も消耗品に違いないけれど、戦争が無い限り、備蓄とか、訓練での使用だけでは、納入の企業が困ることになる。また、武器も常に新しい性能の物へと開発も進んでいるはずだ。新しい物が出来れば古いものは廃棄しなければならない。

 廃棄するような旧式武器でも、新興国ではほしがるのだと思う。そんな隘路を考えての先日の前原氏の発言だと思う。

 同じ問題は、先進国のどこも抱えている問題だ。しかし、輸出禁止の国は日本だけでしょう。だからといって、日本も輸出国になるのは難しいのかもしれない。

 それはそうとして、イスラム諸国でのテロ集団の武装、内戦の様相を見ていてとても不思議に思う。日本ではとても手に入らない兵器が大量に政府軍以外が使って戦やテロが繰りかえされている。

 これは、明らかに闇ルートからの流入なのだ。

 兵器製造企業は、戦争があれば儲かるのだ。イスラム諸国でのテロ、内戦で儲かっているところもあるのだ。多分、それらの武器がどこの国で作られたのかは、すぐわかるのだと思う。ただ、その流通ルートは闇の中なのだと思う。リビヤでは初めデモ隊は武器を持っていなかった。しかし政府軍が民衆の支援に回って、武器を持ち革命をほぼ達成している。この結果大量の武器が国内に流出しているはずで、それを回収することは容易なことではないはずだ。そんな例もあるけれど、アルカイダなどは、テロ集団なのだ。それでも武器を持ち、兵士を訓練して戦わせている。彼らが武器を作っているのではない。テロ組織が大量の武器を購入できる費用をどこで調達しているのかも不思議だ。

 軍備拡大と旧式武器の廃棄、輸出。世界から戦争がなくならないことを願う人もいるのかもしれない。

 日本製の武器が、内戦やテロの役に立つようなことにはなってほしくない。
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慟哭は時を越えて2011  劇団一揆の公演を見てきた

2011-09-11 18:22:17 | 随筆「残響」
劇団一揆の「慟哭は時を越えて」を、やまびこ座まで行って観劇してきました。

 帰宅してこのブログを書きながら、久成の胸像移転設立記念公演演劇のポスターにフレーズが似ていると思って、改めて確認してみました。

 「北に夢を追ったサムライ」と「南から来たサムライ、北の大地に立つ」がそっくり、「慟哭は時を越えて」と「時を越えて鳴り止まぬ響き」と全く変わらないのです。それで、脚本誰なのかと確認したら、全く同じ「橋田志乃舞」さんだった。同じで当たり前だったのですね。

 観劇の感想を少し。

 記念講演のときは、いまいちの感がありました。あれは短時間で脚本を書いたとか、時間の制約があったとかいう問題が有ったのかと思う。

 脚本を書いた橋田さんにも、いまいち心残りがあっての、今回の公演だったのではないでしょうか。今回は140分だった。キャストもあの時より増えて13名になっていました。しかし、一人で三役をこなしたりするのは同じ。

 内容もかなり深められていました。プロローグが行路病者として倒れ、亡くなり、新聞広告で黒田清隆首相をはじめ国政を担当していた主要な方達に衝撃が走り、黒田を葬儀委員長として葬儀が青山でなされたことを演じ、続いて、是は残響に書かれていなかったと思うけれど、幼少の頃の、三郎との出会いの場面、そして、イギリス留学、続いて函館戦争での高松凌雲との出会い、五稜郭戦争の終結への努力、と続き、開拓庁に入り、ビール醸造所東京建設の政府案に中川精兵衛の助言を受けて、札幌への建設を推し進めて、ついに実現させるいきさつ、その間屯田兵村に関わる問題などが取り上げられていた。そして最後、醸造所払い下げの問題で、辞職を叩きつけて出奔する所でフイナーレ。

 屯田兵村の開拓挿話の中に三郎の淡い恋などをちりばめたり、兵村の宿舎の窓もなくストーブすらない話などは、一揆ならではの構成だったようにおもった。とにかく、久成の人間像がかなり浮かぶ構成でした。

 村橋久成の残響を劇化することは難しいことなのだと思った。田中先生のお話を聞いた感激を視覚で表現することは至難なのだ。
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新記録  平和教場今日二名のレッスン

2011-09-10 18:43:34 | 詩吟関係
6名の在籍だからこんなこともある。しかし、初めてのことです。今日の出席加藤・斉藤の二名でした。三名になるはずだと思っていたのですが、教場長の住山さんから電話で欠席の連絡が入ったということでした。

 市橋さんは、このあと何回か詩吟の関係で休みを取らなければならなく、今日は勤務にしていました。残りの二人は、俳句の教室が発表会となるため、その稽古に行くということで許可を取っていました。

 二人ですが、稽古はしっかりやりました。二人にとってはありがたい稽古だったかも知れません。普段は出来ない稽古も出来たのですからよかったのじゃないでしょうか。

 二人で90分の時間を使いました。お陰で私は何時もより30分早く帰宅できました。

 それにしても、会員増強の厳しいこと!!! 会員が声をかけて仲間を見つけることが、いま一番期待したいところだけれど、私のお弟子さんたちも年齢が高くなっていて、人の中に出る機会が少なくなっている。平和教場では町内会の活動をしている方も多いのですが、今までにかなり仲間を誘ってくれたりしていたのですが、それも底を着いたみたいです。でもまだ皆頑張ってくれています。

 手稲では、私が町内会の老人クラブに5名のとても素敵な会を作っているのですが、私の会に入り資格審査などに挑戦することをためらっています。これは残念です。

 町内会の会合には出来るだけ参加し勧誘に勤めています。先日、一人見学に来てくれそうな話があったのですが、来ていただけませんでした。でも、諦めずに声をかけてゆこうと思います。
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