手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

今年一番の好天気

2014-03-19 19:42:32 | 身辺雑記
 風もなく青空が広がり、気温も5度くらいになっていた。

 午前中健幸クラブ詩吟、今日は後半尺八の先生が来て伴奏をしてくれることになっていて、楽しみにしていました。

 予定の時間にいらっしゃいまして、6人全員3回り尺八の伴奏で交歓吟詠会の独吟の稽古をさせていただきました。

 さすが、一回目は一寸緊張気味で声に伸びがありませんでしたが、二回目からはちゃんと乗ることができたように思いました。みんな初めての尺八にきちんと付いていきましたので、先生も感心していました。

 午後は車の免許証の交付を受けに行ってきました。高齢者講習の事前講習を受けていましたので、30分ほどで終わりました。

 他に雑用をちょっとこなし、2時半ころ終わりましたのでカラオケに行こうかと思いましたがやめて休養しました。

 明日もどうやら良い天気みたいです。明後日は彼岸の中日、例年のようにお寺参りに行く予定です。
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友達っているのだろうか

2014-03-18 18:58:48 | 随想
 84歳の誕生日がすぐ来る。84年生きてきて今心を割って語り合える友達はいない。飲み友達みたいな方は住まった地域では何人かいましたけれど、土地を離れるとそんな方とは付き合いが無くなってしまいます。

 終の住処の手稲でも随分楽しむ相手はいました。しかし、今はみんないなくなってしまいました。本当にいい友達だった方はみんな亡くなりました。いい友達が幾人もいたのです。思い出は尽きないくらいあるのです。

 今思うことは、幼少のころから勉学の友として、励ましあい、努力しあう友達がいなかったということのように思う。私が多分逃げていたのだとおもう。本当の親友というのはお互いに尊敬しあい、励ましあう、いわば学びの道で切磋琢磨しあった仲間でなければならないように思う。それは学問だけでなく、諸道について言えることなのでしょう。

 学問一筋、ある趣味一筋、命掛けの努力をしている人には必ずいいライバル。いい友人ができるものなのだと思います。

 残念ながら私はどれも中途半端でした。いろいろ挑戦しましたが、どれもまともでなく、その道における真の友人といえる人を作ることができなかった。

 今、詩吟が私の生きがいになってはいますが、自分の才能の限界を見ていて、今ささやかな教室でお弟子さんを教えていることがせいぜいの事とあきらめています。

 家内は、現在地にきた当時はそれなりに同じくらいの年輩の奥様方が何人もいて、結構楽しんでいましたが、皆様お亡くなりになり付き合うもできなくなっている。また、女学校時代の親友が澄川にいて、時折町であって楽しんでいたようですが、ご主人が亡くなられてから外出のできない病気となられ残念がっています。

 それでも私は、詩吟の教室が週五日あり、友達というわけにはいきませんが、人とのつながりは途切れませんので、それで良しとしなければなないのでしょう。
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「青葉の笛」 を取り上げる時

2014-03-17 19:38:54 | 詩吟関係
「一の谷の軍営遂に支えず/平家の末路人をして悲しましむ/戦雲収まるところ残月あり/塞上笛は哀し吹きしものは誰ぞ」 松口月城

 この詩には別に「一の谷の軍営遂に支えず/平家の末路転た悲しむにてえたり/戦雲収まるところ残月あり/塞下笛は哀し吹くものは誰ぞ」というのがある。

 私が初めて習ったときは後者でした。まずこの二題の違いを指摘して、私は特に「吹きしものは誰ぞ」と「吹くものは誰ぞ」の違いを理解させる。
「吹きし」は過去形だが「吹くものは」だと現在形になる。 前に「戦雲収まるところ」とあるのだから、既に吹いていたはずの敦盛は死んでいるのです。ですから一の谷の決戦の始まる前に聞いた笛の音を思い起こしているというのが正しいのだろうと話します。

 そして平家物語の「敦盛の最後」を話してあげます。特に熊谷次郎直実の最後の言葉「関東の軍勢何万騎かあるらめども戦の陣に笛持つ人はよもあらじ。上臈はなおも優しかりけれ」を強調して話します。また昔の小学校唱歌の「一の谷の戦破れ,討たれし平家の公達あわれ」を歌って聞かせます。

 平忠度を扱うときも平家物語の「忠度の最後」を話してあげ、都落ちの途中から藤原俊成郷のもとに引きかえし、自分の歌を戦後編纂されるだろう「千載集」に一句でも入れてほしいと頼んだことも合わせて話すことにしています。
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「越中覧古・蘇台覧古」 を教材とするとき

2014-03-16 19:35:14 | 詩吟関係
 私はこの詩は合わせて指導します。この詩を扱うときには先に越中覧古を扱います。まず「呉越同舟」という言葉を知っているか質問します。次に「臥薪嘗胆」という言葉について質問します。更に「越王勾践呉を破って帰る」で「勾践」という名前を聞いたことがないか尋ねてみます。大抵わかりません。そこで「天勾践を虚しうする莫れ時范蠡無きにしも非ず」といいますと後期高齢者の方は思い出してくれます。桜の幹に書かれた十字の詩の話を余談として話してあげます。そして「会稽の恥を雪ぐ」の話をします。この一連の戦いの流れの中での范蠡の働きを話してあげます。

 「蘇台覧古」では、呉王夫差の名将子胥に対しての処遇を話して「属鏤剣」の話をし、子胥の「吾が眼を呉の東門に置け」といった話をしてあげる。更に「呉王宮裏の人」で、西施について触れ、ついでに奥の細道で芭蕉が読んだ「象潟や雨に西施がねぶの花」も披露してやりたい。

 全部話すことはできなくてもも、この詩を扱ううえでは呉越の戦いを史記で読んでおきたいものです。

 
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第6回チャリティカラオケフェスティバル  手稲文化協会主催  明日です

2014-03-15 19:33:59 | 手稲文化協会関係
 明日手稲区民センターで文化協会主催の表記の会が催される。早いものです私が文化協会の事務局長をしているとき、立ち上げたものでした。

 7年前までは「伝統芸能祭」を開催してきていたのですが、見直しの時期になり新たに「舞踊の集い」7月、「年忘れ演芸大会」11月、「カラオケフェスティバル」3月を立ち上げたのでした。ただその1年目会場の都合で11月の「年忘れ演芸」が開催できずにきました。それぞれ順調に開催されてきていましたが、3年ほど前からむ「舞踊の集い」にカラオケが賛助出演し、「カラオケフェスティバル」には舞踊が賛助出演することになって来ています。明日の「フェスティバル」には舞踊が80分賛助出演することになっています。

 10時開演16時終演となっていますが、たぶん満員で推移するのだと思います。

 私は事務局長も降り、今は顧問ですので行かなくてもよいのかもしれませんが、でも初めから見学させてもらいます。

 協会の方からは昼食も用意しているので、来てくださいと言われましたが昼食は遠慮させてもらうことにしました。

 知り合いもかなり出演しますので楽しみにしています。
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「香炉峰下の山居」 でのお弟子さんへの質問

2014-03-14 18:49:02 | 詩吟関係
「遺愛寺の鐘は枕を欹てて聴き/香炉峰の雪は簾を撥て看る」を指摘し、平安時代の女性の書いた書物の中にこの部分を使った話が書かれている。書物の名前と話を知っている人はいますか?と質問してみる。わかっている人には説明してもらう。わからなければ話してあげる。話すと大抵この話は聞いていたと答えてくれます。

 次に「匡廬は便ち是れ名を逃るるの地/司馬は仍お老を送るの官為り」を指摘し、「匡廬」「司馬」の意味を聞く」その上で作者の故郷はどこかと尋ねる。そして、左遷ということに触れ、作者の現在の心境を解くことにする。

 初めから語釈通釈と続けるより、素読の終わった時点でこれらの部分を取り上げて質問をし内容の理解につなげるやり方をすると、また違った解説の効果が期待できます。

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車検 一日で終わりました

2014-03-13 18:39:55 | 身辺雑記
  車検今は日帰りで終わるのですね。前回もそうだったと思いますが、朝、取りに来て乗ってきた車を代車としておいて行き、夕方に持ってきてくれるのです。

 今日が今回の車検予約日で、やってもらいました。代車としておいて行った車が軽自動車の新車でした。今の軽、とてもよくできていますね。びっくりしたのは、キーが今までは差し込んで回して掛けるのが当たり前でしたが、そのキーがないのです。車を開けるときもドアのところの小さなスイッチを押せば開き、エンジンもキーを差し込まなくてもパネルにつけられているボタンを押せばエンジンがかかるのです。そしてシフトもオートマチックシフトで、それもコラムシフトになっているのです。

 内装も素晴らしい。ただやっぱり出力は軽自動車です。発進の時重たい感じだし、エンジン音もうるさい。これだけの車体を660CCのエンジンで走らせかすのだから当然と思います。

 私の車はフィットの1300CCです。フイットの出始めのものですから、もう何年になるのでしょう。でも走行距離はまだ6万キロに達していません。この数年は郊外へ走らせることは殆どありません。それでもやはり生活に欠かせない存在となっています。

 今の私を支えているのは詩吟です。車が無くなれば教えに行くこともできません。車を止めるときが詩吟をやめるときでもありましょう。

 車の免許更新、案内が来ています。予備講習を終えていますので急ぐこともないのですが、来週更新してきます。

 
 
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「平泉回顧」を詩吟で扱うとき

2014-03-12 19:10:16 | 詩吟関係
「三世の豪華帝京に擬す」を扱うときは、なんとしても前九年の役と後三年の役の勉強をし、「八幡公」をできれば一緒にやらせたい。八幡太郎義家に触れ「白旗動かず兵営静かなり/馬を辺城に立てて乱鴻を看る」の解説、奥州藤原と源氏のかかわり、そして義経との関係なども触れたい。義経をかばった基衡の時は頼朝も手を出せなかった。基衡は泰衡に「自分が死んだのち鎌倉からの圧力が強くなると思うが、その時は義経を大将にいただいて戦え」と言い残して死んだのだそうですが、清衡は鎌倉の圧力に屈して義経を討ってしまった。その結果いとも簡単に鎌倉に攻略されたのでした。義経は卓越した戦略家だったはずです。義経が大将となって藤原の軍勢を指揮したら、どうなっていたかわかりません。泰衡の鎌倉を迎え撃つ戦い方は極めて拙劣であったといわれています。奥州の地の利も考えない戦いだったといわれています。

 更に奥の細道での芭蕉の句も紹介したいものだ。特に「来たり照らす金色堂」に絡め「五月雨の降り残してや光堂」は取り上げなければならないと思う。
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忘れないと思っても忘れるものだ

2014-03-11 18:27:21 | 身辺雑記
 今日とんだ忘れ物事件を起こした。

 今日は北大での定期検査。保険証と薬手帳ポケットに入れていってもいいのです。でもいつも小型のバックに入れて、それに携帯とかカメラを入れたりして出かけてきています。そして一度も忘れてきたことはありません。

 今日どうしようかと思ったのですが、昨年娘からプレゼントされた薄型でポケットのたくさんついたバックを持ってゆくことにしました。このバック首を回しこむベルトの付いているものです。出かけるときに、首を通して肩に掛けておけばづれることもないし、忘れることもないと思ったのですが、車を降りるときやっぱり左肩にかけて歩き出した。すると肩からずれてしまう。こんなことは慣れっこになっている。首を通せば固定するのだけれど、どうもそのスタイルが女性的な感じがして嫌なのです。椅子に座って診察を待つ間も忘れちゃ駄目と言い聞かせていた。

 診察が終わり、自動精算所に行きました。待ち番が40番くらいあるので薬を先にもらってくる事にして難波薬局に行きました。ソフアに座り、バックを横に置いて、スポーツ新聞を読み始めました。呼ばれて新聞をケースに戻して薬をもらいに行きました。薬は大きなビニール袋に入れてくれました。その時にバックを忘れていたのです。

 帰宅して、さて午後は福祉センターだと思い、二階に上がって用意をして降りてきて、センターから帰ったら村崎クリニックに薬をもらいに行かなければと思って、あたりを見たけれど保険証の入れていたバックが見えない。変だな?車に置いてきたのかと思って車を見に行った。ない!! 二階に行ってみたけれどない!!  忘れてきたのだ。最初は北大で支払いの時バックが邪魔で台に置きっぱなしにしたのかと思った。それで北大にて電話したけれど届いていないという。ひょっとして薬屋だったかもしれないと、難波薬局に電話を入れた。ありました。中を見て電話番号がわかったので電話を入れたのだといいます。家内が丁度てかけているときだったようです。

 結局福祉センターの詩吟を終わらせて帰宅するとすぐ車を走らせました。

 長いベルトがついていて、肩からしっかりぶら下げていたら忘れることもないのに、忘れることはないと思い、一寸恰好つけたばかりにこんなことになった。忘れるなと自分に言い聞かせておいて、それでも忘れる。忘れるとはそういうことなのですね。昔、汽車で寝ちゃいけないと思いながらいつの間にか眠っていて乗り越した事が3回くらいあります。よく似たことです。

 それとも年なのか?
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明日の天気が気にかかる

2014-03-10 19:52:48 | 身辺雑記
 数日前の天気予報では、明日の火曜日から暖かくなるはずでした。それがどうやらはずれそうな感じになってきました。
 
 今朝は20センチくらいの大雪が降っていて、除雪が大仕事だった。これがこの冬最後だろうと頑張った。夕方になったら風が出てきて雪もついている。

 明日は北大の定期検診で9時半までに行かなければならない。雪が降っていると嫌だ。更に明日は福祉センターの詩吟で、天気が悪いと出席が少なくなるのです。

 先週は21名も参加してくれたのです。これからは20名程度の参加が続くと楽しみにしていたのです。雪は夜中だけで、昼間は止んでくれると有り難いのですが、どうなることやら。

 明日の北大、先に治験で撮ったCTの結果が教えられるのでしょう。新しい薬「シーベル」と前の薬「オンブレス」を併用しているのだけれど、「オンブレス」はほとんど効き目を感じなかったのだから、「シーベル」だけにしてもいいのじゃないかと思ったりする。でも、多分両方を合わせた薬が開発中なのでしばらくこのまま使いましょうという話になるのだと思う。

 「シーベル」を使い始めて歩くのが少し楽になっているけれど、やはり病状は進行しているのですね。ほんの少し楽になったという程度で、雪はねでちょっと力を入れると、咳が出て、苦しくなる。歩くのは立ち止まって呼吸を整えなければならないところまではいかないのだけれど、ゆっくり一歩一歩歩くしかない。それでも詩吟やカラオケは結構声も出せるのです。外見は同年輩の方と比較するとかなり若く見られるくらいなのだけれど歩いたり運動したりとなると全く駄目なのです。肺気腫、まだ酸素ボンベを必要としないだけありがたいと思っていましょう。
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