手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

平和教場 詩吟

2017-08-18 20:01:41 | 詩吟関係

 お盆明けの教室、久しぶりという感じです。安達、増子が欠席。

教本の稽古を終わったら2時20分になっていた。5分ほど休んで大会の稽古。

西支部の 構成吟の稽古、碌峭会としての合吟二題、どちらも今日は二人しかいないけれど二人で稽古、9月の手稲神社の祭典奉納吟の稽古をして終わる。

 終わって外に出たらかなりの雨降りになっていた。でも手稲区に来ると雨が降っていない。今日は涼しい日でした。もうこんな感じで秋に向かうのかもしれません。

 夕方、この冬の排雪の申し込み用紙が届いた。家の前の見取り図を描かなければならない。昨年の冬はロードヒーティングをかなり使ったので、排雪の雪が他の家よりかなり少なくて済んでいたのだけれど、やはり排雪はやってもらうことにします

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米寿を祝てもらいました

2017-08-17 18:32:56 | 身辺雑記

二人の娘と下の娘婿、それに孫の有紗に私の米寿の祝いをしてもらいました。16日、定山渓温泉「鶴雅」一泊です。部屋に入って間もなく撮ったものです。こんな格好をさせられて、ホテルから贈られた花束を持っての写真です。

 結構な宿泊があったようですが、温泉はガラガラでした。食事はバイキングですが、とても素晴らしい料理が揃えられて、満足しました。

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72回目の8月15日

2017-08-15 19:09:34 | 身辺雑記

 もう何回もブログに書いたと思う。昭和20年8月15日は6月から出ていた援農の最後の日で学校に午前中に戻った。すると12時から重大放送があるので事務室前の廊下に集まれと言われ集合した。

 事務室の窓のとこにラジオが置かれていて、玉音放送があった。しかし、ラジオの声は私の耳にまでは届かなかった。天皇陛下の声だということはわかった。戦争が厳しい状況なのはわかっていたが、日本が降伏するとは全く思ってもいなかったので、多分最後の一人まで頑張れといっているのだろうと思って聞いていた。ただ、前の方にいた担任の先生が泣いている。不思議に思った。教室に戻って担任から日本が降伏したのだということを聞かされた。ただ呆然とするばかりだった。最後の一人まで戦うのだと本気で思っていたのだから、まったくぴんと来ない、戦争に負けたのだ、戦争が終わったのだということが何か嘘のように、何の感動もなしに体の中をかけていた。

 此の日から二週間ほどの夏休みになるのでした。とにかく家に帰れる事がうれしく、友達とこのことについて話す暇もなく汽車に飛び乗っていた。

 故郷に帰りついて、友達にあったら、すぐ聞かれた。戦争に負けたって? その時改めて、戦争に負けた、戦争が終わったという実感がわいてきた。故郷の田舎では何事もなく、特別の変化もなかった。

 夏休みが終わって寮に帰った。学校が始まった。配属将校はいなくなり、今までの軍隊式様式が一変した。上級生や先生に逢うと敬礼をしていたの、しなくてもよくなった。軍事訓練のようなものもなくなった、さらに上級生の下級生に対するヤキ入れという暴力行為も禁止された。何か入学以来どんと押さえつけられていた重石のようなものが、かなり軽くなり、日本が戦争に勝った負けたより、開放感の方が強くなっていくのを感じていた。自由という言葉が飛び交い始める。でも上級生、下級生というけじめはしっかり守りながらの学校生活となっていった。

 竹槍を持って戦う事を信じ、神風が吹くと信じ、最後は必ず勝つということを信じ切っていた自分が不思議だった。教育の力を思わずにいられない。

 

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今年のお盆は忙しい

2017-08-14 18:54:19 | 身辺雑記

 11日西陵の卒業生のクラス会参加、13日墓参で旭川、15日はお坊さんが来ます。16日は定山渓で子供たちが私の米寿の祝いをしてくれます。12日14日は前の日の疲れ落としの休日となりました。

 暑さ寒さもお盆までといいますが、今年の秋も長いようです。天気予報を見ると明日からまた暑さがぶり返ってくるようです。昭和の時代にはお盆を過ぎて海水浴ということはなかったのですが、最近は海に入りたくなる暑さが結構続いています。

 温暖化の影響でしょうが、海水温が下がらない。鮭がやってこない。函館ではイカが取れなくなっている。又根室方面ではサンマが取れなくなっているという。豪雨災害が連続している。

 温暖化のもたらしている嬉しいことは、個人的だが雪が少なく、除雪での苦労がかなり緩和されているのがメリットといえるのでしょうか。

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墓参  旭川へ行ってました

2017-08-13 19:24:54 | 身辺雑記

 例年の我が家のイベント。娘2人と下の娘婿が参加、娘婿が車を運転しての墓参です。

あいにく小雨でしたが、困るほどの雨ではなく、午前8時に家を出ました。手稲から高速に乗り、深川の道の駅まで休まずに走る。深川道の駅でソフトクリームを食べて一息入れて、旭川観音台霊園に向かいました。神居古潭のあたりから渋滞になりました。日曜でしたから墓参の方が殺到していたのです。若干時間はかかりましたが墓参を無事終えて、恒例の留萌「蛇の目」の寿司を食べるべく出発。車の中から予約を入れたけれど今日は予約を受けませんということ。店は午後2時に閉めるということでした。2時につけば大丈夫かと、飛ばしました。2時15分前に着いたのですが、昼の営業はもう終わりましたといわれる。やむなく近くの寿司屋さんに行きました。一寸小さな店でした。でも特上を注文しましたら、それなりのお寿司でみんな満足できました。

 そのあと、海岸線を通って帰宅しました。

 16日は、東京の孫も来て、定山渓で私の米寿の祝いをしてくれることになっています。子供達に世話に何ります。

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西陵高校の卒業生のクラス会に招かれて

2017-08-12 18:36:54 | 身辺雑記

  

  

昨日(8月11日)、琴似の「山海」で私が退職する年に卒業させた生徒たちのクラス会が開かれた。二次会になってから来た方もいたりし、20名くらい参加していました。

クラス会といっても固ぐるしい型にはまったものでなく、居酒屋さんでの、19時からの集まりでした。

卒業してから27年、私が退職の年卒業させた生徒です。私の記憶は遠くなっていましたが、話をするうちにいろいろ懐かしいことが蘇り、楽しい一時を送らせていただきました。写真の集合写真は一次会が終わって外に出て時撮ったものです。

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文化協会 臨時総会

2017-08-10 20:11:04 | 詩吟関係

 文化協会の臨時総会。昨年は今までの進め方と違うと思い、少し腹を立てていました。しかし、今年は前に戻っていました。

 ちょっと驚いたのは、新規加入の団体がいくつかあったことです。民謡・日舞・詩舞・琵琶の会まであった。これは素晴らしいことです。

 プログラムの構成、ちょっと気になった。今までは民謡、日舞はまとまって出演するのが習わしだったが、今年はかなりばれていた。何が原因かわからないけれど、団体の統一が取れなくなっているのなら心配です。新しい入会があれば、その種別の世話人へ連絡をして統一することが必要だと思う。

 私たちの詩吟、希望通り日曜の午後に組まれた。丁度良い時間に組んでいただけたと思います。

 

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健幸くらぶ 詩吟

2017-08-09 18:58:19 | 詩吟関係

 今日は全員参加。最初に「胄山の歌  頼 山陽」をやる。頼山陽については多くの詩を通して名前だけ憶えている方が多い。しかし、出身が安芸(広島)で、30歳代から京都に私塾(山紫水明処)を開き、歴史書を執筆し、その教えは維新の志士たちにも大きな影響を与えていたこと、又母親を大切にし、何回も京都に連れてきて京の見学をさせたことなどを知らない方が多い。

 吟はいつもの通り、素読をして、範読、そのあとコンダクター伴奏で一度吟じ、二度目は前奏だけで吟じてもらいました。「胄山」の後に「中秋無月母に侍す」を同じようにやる。そして休憩。休憩後、手稲文化祭の出演吟題の稽古をしました

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福祉センター詩吟

2017-08-08 18:33:56 | 詩吟関係

 今日も14名の参加でした。ただ始める直前に、稲苑大学13期の同期生INAさんが私のところへ来て隅の方で聞いていてもよいですか、といってきた。ちょっと驚いたがどうぞどうぞと答えてあげた。彼女の御主人も教員で新発寒に退職後住まっていられたが、早くにお亡くなりになった。詩吟の経験をお持ちで、近くに手稲の岳風流の女の先生がいられて、その先生にに誘われて、岳風流に所属し多のを知っています。ただ、現在どうなっているのかはわかりません。同じ13期の山方さんが3年前から福祉センターに来て楽しんでいるので、見てみたかったのかもしれません。

 男性、今日も熊谷さんが出席、堤さんも元気に顔を出していました。石井さんは完全にリタイャですね。

 今日の稽古は、「涼州詞」王翰と王之渙 の二つをやりました。人数が少ないので、全員に素読を始めにやってもらってから吟に入りました。

王翰の「酔うて沙場にす君笑うこと莫れ/古来征戦幾人か還る」、王之渙の「羌笛何ぞ須いん楊柳を恨むを/春光渡らず玉門関」この部分には、心を揺らされる。

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手稲教場  詩吟

2017-08-07 19:46:30 | 詩吟関係

  中一週空きましたので、何か久しぶりの感じでした。高橋さんが長期休業中、7名参加。準4段の稽古の二人、五言の落としがうまくできない。みんな苦労する処です。

 堤さん、病気の関係でしょう、力が入らない感じ。後半に手稲神社祭典奉納吟、 独吟の稽古をしました。吟題の選択うまく選んでくれています。

 これで10月までの出吟は決まりました。後11月の西支部の集いの吟題、年忘れ演芸会、これから決めることになります。

 手稲の教場を一本化したのは良かった。やはり張り合いのある教室になっています。

平和教場、来年度から仲間から指導者を立てて独立させようかと打診してみましたが、駄目でした。一番頼りにしていた、K君も仕事の関係で一定の時間を毎週取ることはむつかしいということで駄目。O君もコンダクターも引けないでは指導の資格がないとか家庭の都合もあり指導に専念できないという、更に、私が冬平和まで車で行くのか辛いということなら、手稲の教室と合併して、平和教場の生徒が手稲に通うようにしたらよいという意見まで出てきたので、この冬は頑張るということで、先送りになりました。

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