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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

火の顔

2009-03-10 | 演劇
 3月8日、マリウス・フォン・マイエンブルグ作「火の顔」を東京芸術劇場小ホール1で観た。演出:松井周、翻訳:新野守広、主催・製作:フェスティバル/トーキョー。

 この作品をどのように紹介するか、あらすじを紹介することに果たして意味があるのか迷うところだが、簡単にいってしまえば次のようなものだろう。
 「火の顔」は父母姉弟の4人で構成される家族が崩壊する様を描いたもので、反抗期にある弟が、姉との近親相姦的な愛に依存・惑溺しながら両親や学校など、自分たちの外部にある世界を切り捨て、あるいはそこから脱落し、ついには両親を殺害して自分も自殺するという作品・・・。

 子どもたちに理解を示すかに見える優しい両親は、姉弟からすれば、幸せな家族という類型化された風俗画における背景に過ぎず、親という役割=システムを放棄した存在だ。
 彼らは親という役割を演じているかに見せながら、そこから一歩も踏み出そうとしない。子どもたちに影響を及ぼさないばかりか、実は子どもの存在にすら気づいていないかのようだ。彼らはそのことに十分自足しきっているのである。

 作者や演出家の年代から考えて、この作品は子どもたちの視点で観ることが順当なのだろうが、見方を替えて両親の側からこの世界を観るとまったく違った顔が現れてくるように思える。
 新野守広氏は特別寄稿の文章の中で「癒しも希望もなく、ただお互いに依存しあって生きている人々を描く彼(マイエンブルグ)の世界は、大きな物語が失われた90年代以降の不安定なドイツ社会を浮かび上がらせる。」と書いているが、世界全体のタガがゆるみ、旧来の制度が壊れ、社会的責任を担おうにも立脚すべき価値観のひっくり返った世界で、ただ親であるというポーズに寄りすがるしかなかった彼らの困惑が痛いように伝わってくると言えなくもないのではないか。
 政治家がただ政治家であることにしがみ付いて、何ら影響を及ぼそうとしない今の日本の政治状況と似ていなくもないのだ。
 新野氏は、この作品をジャン・コクトーの「恐るべき子供たち」の現代版となぞらえているが、私には、それとは別に家族全員がグレーゴル・ザムザのような怪物に変身してしまった21世紀のカフカ的世界に思えた。

 さて、「恐るべき子供たち」であるが、コクトーが阿片中毒の治療中にわずか17日間で書き上げたことはよく知られている。
 この作品について、「阿片」のなかで彼は次のように言っている。以下、堀口大學訳を引用。

 「『怖るべき子供たち』を愛していると信じている人々が、よく僕に告げる、「おわりの数頁以外は」と。ところが、終わりの数頁こそ、或る夜、最初に、僕の頭の中に記されたものだ。その時僕は呼吸さえ出来なかった。僕は身じろぎも出来なかった。僕はノートさえもとれなかった。僕は、それ等の頁を失うことと、それ等の頁にふさわしい本を書き上げることの二つの恐怖にとらわれていた。」

 「火の顔」はコクトーのいう「終わりの数頁」のみで描かれた世界なのである。

 コクトーが阿片に親しむきっかけとなったのは、愛弟子レーモン・ラディゲの死がもたらした孤独地獄であり、あらゆるものへの興味の喪失であった。
 コクトーは次のように回想している。「僕は二つの自殺のうち、手軽な方を選んだ」と。
 彼は阿片に溺れ、そこから回復することで「恐るべき子供たち」を生み出したのだ。

 「火の顔」を観ることは、観客にとって、いわば「手軽な方の自殺」であると言えなくはないだろうか。私たちは、この舞台を通過することで回復し、新たな「生」を獲得するのだ。
 どんなに悲惨な物語であろうと、表現されたものにはそうした力がある。芸術には、そうした阿片からの解毒治療のように人々を回復へと向かわせる力があるのだ。

 演出の松井周をはじめ出演者たちは、この作品世界をよく創り上げた。現代口語的演技がマイエンブルグの世界をぞくりとするようなリアル感で描き出すものとして極めて有効であるということに私は瞠目した。
 コクトーがジャン=ピエール・メルヴィルとともに監督した映画版「恐るべき子供たち」では、バッハのヴァイオリン協奏曲が終始鳴り響いていたが、無音の「火の顔」の舞台では、登場人物たちの感情が救いを求めて逆巻き、充満していたのである。