声紋都市
2009-03-22 | 演劇
3月19日、東京芸術劇場小ホール1で松田正隆作・演出作品「声紋都市―父への手紙」を観た。製作:マレビトの会、共同製作・主催:フェスティバル/トーキョー。
「95kgと97kgのあいだ」が戦中から戦後にかけて生まれ、70年安保闘争の渦中にあった世代と現代の若者世代との幻想と戦いの演劇であるとすれば、「声紋都市」は、おそらく大正末期に生まれ従軍した経験のある世代と、東京オリンピック前後に生まれ、あの戦争を逡巡なく侵略戦争であったと断じる世代との距離感そのものが主題の作品である、とは言えないだろうか。
「父」なる存在は大きな謎として作者の前にあり、大いなる沈黙を保ったまま自らを語ろうとはしない。
父は殺され、乗り越えられるべき存在なのだが、その本当の姿は見えないままであり、息子はその前でただ手紙を書くしかないのだろう。
あからさまに語れば、すべてが瓦解しそうな関係性を危うく保ちながら父と息子は向かい合うしかないのだ。
作者は舞台に映し出される映像と、多声を導入し、都市そのものが孕んだ歴史や土地の記憶が語りかける重層的な声によって構成されたともいえる舞台上の俳優の演技によって、痛々しくも韜晦に満ちた舞台を作り上げた。
歴史のなかに埋もれていった様々な時間や多くの人々が個人史を語る声によって織り成される都市の姿がそこに浮かび上がる。
観客はそれを凝視するしかない。
「95kgと97kgのあいだ」が戦中から戦後にかけて生まれ、70年安保闘争の渦中にあった世代と現代の若者世代との幻想と戦いの演劇であるとすれば、「声紋都市」は、おそらく大正末期に生まれ従軍した経験のある世代と、東京オリンピック前後に生まれ、あの戦争を逡巡なく侵略戦争であったと断じる世代との距離感そのものが主題の作品である、とは言えないだろうか。
「父」なる存在は大きな謎として作者の前にあり、大いなる沈黙を保ったまま自らを語ろうとはしない。
父は殺され、乗り越えられるべき存在なのだが、その本当の姿は見えないままであり、息子はその前でただ手紙を書くしかないのだろう。
あからさまに語れば、すべてが瓦解しそうな関係性を危うく保ちながら父と息子は向かい合うしかないのだ。
作者は舞台に映し出される映像と、多声を導入し、都市そのものが孕んだ歴史や土地の記憶が語りかける重層的な声によって構成されたともいえる舞台上の俳優の演技によって、痛々しくも韜晦に満ちた舞台を作り上げた。
歴史のなかに埋もれていった様々な時間や多くの人々が個人史を語る声によって織り成される都市の姿がそこに浮かび上がる。
観客はそれを凝視するしかない。