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「山の日」が思い出させてくれた若き日の山々

2017-08-11 16:14:36 | 日記

 「山の日」が新しく国民の祝日となったのは、2016年のこと。祝日法第2条では、「山にに親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」ことを趣旨としているが、山に関する特別な出来事などの明確な由来はないそうだ。「海の日」と違って、式典も行われない何の変哲もない、なじみがたい祝日だが、若いころによく登った山の楽しさを思い起こさせてくれた。

   主な山だけでも英彦山、久住、祖母、傾き、大崩、普賢岳、天山、阿蘇、根子岳、雁俣、国見、市房、韓国、高千穂、開聞 と九州の名のある山にはほとんど足を運んだ。なんども登った山がある。

 15歳で有線通信士となって最初に勤務したのが門司電報局。慣れない仕事は大変だったが、楽しみは近くの山のそぞろ歩き。暇を見つけては近くの福知山、風師山、皿倉山や足立山などトレッキングした。九州の最高峰久住山にはじめて登ったのは17歳の時だった。 

 日田英彦山線の始発駅東小倉から日田彦山線で約時間、日田の夜明駅で久大線に乗り換え豊後中村駅で下車する。登山口の長者原までバスで約1時間。雨ヶ池を抜け、法華院温泉に着いたのは夜暗くなってから、温泉で汗を流し明日の登山に備えたたものだ。澄み切った夜空の星のきれいだったこと、寒の地獄の冷泉のしびれるように冷たいこと、昨日のことのように思い出した。

 人吉では何度も市房山に登った。険しい山だった。登りだけで約4時間近くかかって急坂を上らなければならない。頂上についたとき、山の神様が1回目は”よく来たね”といい、2回めは”またきたか”となり、3回めは”お前バカか”というと、土地の人は言っている。あけぼのつつじやみつばつつじが、山全体を紫色に染める幻の世界でもあった。馬鹿といわれてからも息を切らせながら何回か登った。また週に1度は必ずといってよいほど、韓国岳から高千穂河原まで縦走した。

 九州最南端の開聞岳も忘れられない山だ。開聞だけは富士山と見間違うほどの独立峰、錦江湾の入り口にそそり立っている。さざえのように渦巻いた登山道も頂上での景色も抜群だ。東の佐多半島から種子島・屋久島、西の太平洋まで一大パノラマが広がっている。

 退職後は、熊本市の西にある標高666㍍の金峰山に毎日のように登った。頂上からは雲仙岳や平成新山が手に取るように見える。1000回登山を志したが、その途中で体を壊し320回ほどで計画は挫折した。

 傘寿を過ぎてからは、体力的にも高い山に登ることはできない。夢ではあるが、生あるうちにもう1回、みやまきりしまの咲きみだれる久住に登ってみたい。法華院からみたあの美しい星空を眺めてみたい。