過日、大学時代の友人たちと集い、教養時代の大学キャンパスを訪れた。
大学まで5分程の京王線の駅前は、道幅が拡張され、往時とは様変わり
しており、キャンパスも、校舎はモダンな装いに建て替えられていた。
ここに足を運ぶのも30数年ぶりなのだから、昔と同じ訳もないのだが、
自分が二十歳前ここに通っていたことを思うと、時が経過するスピード
に我を忘れる想いがした。が、あまり懐かしいとも思わなかった。
大学の敷地内を散策してみると、昔日の名残りもあちこちにあって、な
んだ昔のままかと妙にガックリしたり、少し嬉しかったり‥。同行の友
人がふと漏らした一言「夕陽は、昔と同じだね」にハッとした。私は、
このキャンパスの夕陽を覚えていなかったから。それはどうしてだろう
かと、少し心に引っ掛かった。
二十歳前の大学生だった頃。ジーンズに長髪で、学費を払うに育英会か
らの奨学金とアルバイトで凌ぐ貧乏学生だった。どうしてだか分からな
いが、気分的にも辛い時期だった。今はもう、あの頃に戻りたいとは思
わない。今のままの自分のままで戻してくれるのなら、戻ってやり直し
てみたいとは思うけど‥。
キャンパスを出てから、同窓の友人5人で駅前の飲み屋で忘年会をした。
誰も昔を懐かしがる者はいなかった。それは、今も昔と連続している相
変わらずだからではなく、単に懐かしくないからだと思う。どうして懐
かしくないのか、とうに済んでしまった過去だからなのか、30年以上
経過しても、未だ懐かしむという年齢には、こちらが達していないから
なのだろうか‥。
私自身を想ってみると、高校から大学卒業までの時期はあまり感興が沸
かないようである。中学以前なら懐かしいのだが、高校・大学時代は、
自分の思い入れが乏しい時期である。自分が自分でなかった自失してい
た時代かのようにも思える。寧ろその後、初就職して赴任した地方都市
時代の頃の方が、ずっと愛おしく懐かしい。
「懐かしさ」とは、経過した時の長さでも昔のままの空間でもないのだ
ろう。自分が生きて在った過去について、それを愛おしく思えるか否か
でこの情趣は、軽重を変えるものなのだろう。
或いは、人間にとって「自分」というものは、一貫した実体ではなく、
切れ切れで飛び飛びなモノなのであり、その都度の喜怒哀楽その他の感
情を引きずっては現象したり消えたりする、そんな夢幻に過ぎないとも
思うと、そう、つまり「人生」とはそのことの別名なのか、とも思えた。
大学まで5分程の京王線の駅前は、道幅が拡張され、往時とは様変わり
しており、キャンパスも、校舎はモダンな装いに建て替えられていた。
ここに足を運ぶのも30数年ぶりなのだから、昔と同じ訳もないのだが、
自分が二十歳前ここに通っていたことを思うと、時が経過するスピード
に我を忘れる想いがした。が、あまり懐かしいとも思わなかった。
大学の敷地内を散策してみると、昔日の名残りもあちこちにあって、な
んだ昔のままかと妙にガックリしたり、少し嬉しかったり‥。同行の友
人がふと漏らした一言「夕陽は、昔と同じだね」にハッとした。私は、
このキャンパスの夕陽を覚えていなかったから。それはどうしてだろう
かと、少し心に引っ掛かった。
二十歳前の大学生だった頃。ジーンズに長髪で、学費を払うに育英会か
らの奨学金とアルバイトで凌ぐ貧乏学生だった。どうしてだか分からな
いが、気分的にも辛い時期だった。今はもう、あの頃に戻りたいとは思
わない。今のままの自分のままで戻してくれるのなら、戻ってやり直し
てみたいとは思うけど‥。
キャンパスを出てから、同窓の友人5人で駅前の飲み屋で忘年会をした。
誰も昔を懐かしがる者はいなかった。それは、今も昔と連続している相
変わらずだからではなく、単に懐かしくないからだと思う。どうして懐
かしくないのか、とうに済んでしまった過去だからなのか、30年以上
経過しても、未だ懐かしむという年齢には、こちらが達していないから
なのだろうか‥。
私自身を想ってみると、高校から大学卒業までの時期はあまり感興が沸
かないようである。中学以前なら懐かしいのだが、高校・大学時代は、
自分の思い入れが乏しい時期である。自分が自分でなかった自失してい
た時代かのようにも思える。寧ろその後、初就職して赴任した地方都市
時代の頃の方が、ずっと愛おしく懐かしい。
「懐かしさ」とは、経過した時の長さでも昔のままの空間でもないのだ
ろう。自分が生きて在った過去について、それを愛おしく思えるか否か
でこの情趣は、軽重を変えるものなのだろう。
或いは、人間にとって「自分」というものは、一貫した実体ではなく、
切れ切れで飛び飛びなモノなのであり、その都度の喜怒哀楽その他の感
情を引きずっては現象したり消えたりする、そんな夢幻に過ぎないとも
思うと、そう、つまり「人生」とはそのことの別名なのか、とも思えた。
お元気でしたか? 会社生活いかがですか?
コメントをありがとうございました。コメント・チェックを怠っていたので公開が遅れてしまいました。
とちの木さんの年齢で60・70年代が懐かしいというの、分かるような気がします。私も、自分が産まれる以前である50年代の映画やジャズの演奏を観聴きしてると、自然と「懐かしさ」が込み上げてくるのです。こういう気分の現象って、何なんでしょうね?
確かに日本語の「懐かしい」は、英語で翻訳出来ない気がします。old& my dear、beloved とか言っても情趣が違う気がしますね。私にはうまい訳語が浮かびませんが。
また、ひとつ年が終わり、またひとつ、誰もが平等に、それが嫌でも、今の若さから遠ざかります。私は50代ですので、若い頃は昔話で、あとは老いるだけですが、若さをことさら求めたり、それを取り戻そうとあがくよりも、自分らしい老いのあり方とはどうあるべきか、それを探求することが重要な課題だと思っています。
ではまた、来年も、どうぞ宜しくお願い致します。
PS: 私への連絡目的だけで、コメントは非公開にしたい場合は、その旨記して頂ければそのようにしますので。
メリークリスマス!ですね~、私はクリスチャンではありませんが、時候の挨拶という感じです。
私は精神障害になる以前のことが、何だか霞がかかっているようで、曖昧模糊としています。
小学生時代……何をして過ごしていたのか、自分でも謎です。中学生時代……成績も良く、友達もまあまあいて、楽しかった、かな?そして、悪夢の高校時代……友達もできず、成績も常に下位。もうこの頃から精神疾患が始まっていたのかもしれません。母親は弁護士も立てずに離婚の裁判をおこして、あえなく敗訴。
何か悪夢を見ていたようです。「懐かしい」という感慨はないですね。
私が懐かしい、と感じるのは、60年代、70年代の映像ですね。自分は直接体験していないのですけど、「架空の元風景」というのでしょうか、当時の映像をyoutubeでよく観ています。
あと、何故か二十歳前後のお正月に聴いていたCDを懐かしく思い出します。イエスとか、デイヴィッド・シルヴィアンとか……
他の季節に聴いていたCDはさほど懐かしい感慨はないですけど、お正月に聴いていたCDは懐かしいですね。自分でもよく分かりませんが。
英語で「懐かしい」に当たる言葉はないのでしょうか?「懐かしい」という感慨に浸るのは日本的な感興なのでしょうかね……
さて!全世界的に年の瀬です。明日はクリスマス、そしてもうすぐ新しい年を迎えます。
私達が年老いた時、この日々を懐かしく思い出すか、あるいは過去を振り返る余裕もない生活を送っているか……どんな未来が待っているのか分かりませんが、なんにせよ!
今年もお疲れ様でした。来年は(も?)よい年になりますように。では、またコメント致します。
よいお年をお迎え下さい!