2014年・大晦日。昼は墓掃除と家の風呂場掃除その他。
夜、ソバを茹でて食い、洗濯機を廻す。父は居間で寝そべっている。
紅白の歌声が聞こえる。洗濯物を干しに外に出ると、風がやや暖か
い。私の知る大晦日の夜風は、凍てついて冷たいものなのだけど。
毎年思うことだけど、今日が大晦日という実感がない。いつもの、
繰り返される、人生の一日と何処が違うのかと思う。人生をただ「通
勤」でもしているだけのような、行き先もなく延々と通勤しているだ
けの、そんな気分がしている。
人生、ただ電車に乗っているだけ。自動的に何処かに運ばれるだけ。
いくらかは、自分で乗る電車も、座る座席も選んではいるものの、仕
方なく吊り革にぶら下がって立っていたりもあるけど、基本、来た電
車に乗って、移ろう景色を眺めてるだけか。
それは、生き方が受動的だからそう感じるんだろ、とか反論は予想さ
れるが、一面ではそうなのかもしれないが、そうじゃなくて、全てが
仕組まれてでもいるかのように、人生って、自分が選ぶ以前から決ま
っているように感じられてしまう。
このセンスは今に始まったことではなく、私の場合は昔っからそんな
感覚が強かった。自分の感受性のせいもあるが、それとはまた別に、
時代がどんどんヒトを受身に生きるように仕向けている、ただ流れに
任せて生きるよう強制している感じさえあって、この状況は今後も抗
いようもなく強まる気がする。
コンピュータによる管理社会化とか、そんな話とも少しは関係あるけ
ど、ヒトから生の実感がどんどん奪われ続けていて、実感がとっくに
虚感に置き換わっているのに、誰もそれに気づかないような、それは
2015年になりつつある今に始まった事態でもないのだけれども‥。
今、あまり頭が冴えてない‥。
また来年も多分、こんな調子で自分の、世相や時代への違和感とか、
身辺雑記など勝手に書きますので、
気の合いそうな方は、当ブログへどうぞ、お越し下さい。
夜、ソバを茹でて食い、洗濯機を廻す。父は居間で寝そべっている。
紅白の歌声が聞こえる。洗濯物を干しに外に出ると、風がやや暖か
い。私の知る大晦日の夜風は、凍てついて冷たいものなのだけど。
毎年思うことだけど、今日が大晦日という実感がない。いつもの、
繰り返される、人生の一日と何処が違うのかと思う。人生をただ「通
勤」でもしているだけのような、行き先もなく延々と通勤しているだ
けの、そんな気分がしている。
人生、ただ電車に乗っているだけ。自動的に何処かに運ばれるだけ。
いくらかは、自分で乗る電車も、座る座席も選んではいるものの、仕
方なく吊り革にぶら下がって立っていたりもあるけど、基本、来た電
車に乗って、移ろう景色を眺めてるだけか。
それは、生き方が受動的だからそう感じるんだろ、とか反論は予想さ
れるが、一面ではそうなのかもしれないが、そうじゃなくて、全てが
仕組まれてでもいるかのように、人生って、自分が選ぶ以前から決ま
っているように感じられてしまう。
このセンスは今に始まったことではなく、私の場合は昔っからそんな
感覚が強かった。自分の感受性のせいもあるが、それとはまた別に、
時代がどんどんヒトを受身に生きるように仕向けている、ただ流れに
任せて生きるよう強制している感じさえあって、この状況は今後も抗
いようもなく強まる気がする。
コンピュータによる管理社会化とか、そんな話とも少しは関係あるけ
ど、ヒトから生の実感がどんどん奪われ続けていて、実感がとっくに
虚感に置き換わっているのに、誰もそれに気づかないような、それは
2015年になりつつある今に始まった事態でもないのだけれども‥。
今、あまり頭が冴えてない‥。
また来年も多分、こんな調子で自分の、世相や時代への違和感とか、
身辺雑記など勝手に書きますので、
気の合いそうな方は、当ブログへどうぞ、お越し下さい。