夏場の睡眠不足のせいか、目がしょぼつくので、外出時には帽子の他、
サングラスが欠かせなくなった。サングラスを掛けると、強い陽射しに
も目が楽で、風景も翳って涼しげな気分になれる。
スーパーで買物客をみると、30・40代位の女性にサングラス姿を見かけ
る。男はあまり掛けていない。紫外線対策であり、女性の夏場のファッ
ションなのだろう。また今夏の東京では、暑かろうにマスク顔の小学生
も目に付く。
放射線対策だろうが、マスクはちゃんと洗っているのだろうか?
放射性セシウム・ヨウ素は目からでも体内に入り込むだろう。大きめの
伊達メガネもしたらどうか。帽子も被った方が良いだろう。
どうも気休めと漠たる不安から、とりあえずマスクをしているような風
潮にも見える。
かつて日本では、60~70年代に公害問題が厳しく指弾され問われた。
GNPや経済の至上主義が批判され「人間復位」が主唱されたものであ
る。今回の東電の原発事故を思うと、その反省や教訓は何処に行ってし
まったのだろうか?原発事故は未必の故意か不作為による企業犯罪であ
り、公害企業問題と通底する本質がある。過去の経験が何も活かされて
おらず、継承されていないのである。
季節は移ろい夏の陽射しはやがて終わる。
陽射しは季節の自然である。
だが、水・空気・土を穢した放射線の悪影響は永続性のある、人為の
不始末である。それとどのように我々は、折り合って暮らせば良いのか。
日本人の伝統的な生活心情に「成るようになる」という感覚がある。
それは生きるうえでの深い諦念と叡智でもあるが、その不全な心情に
政治までが乗っかり、甘えて貰っては困るのである。
やがて、真夏の陽射しを仕方がないものと処するように、我々は放射線
も日常に取り込んでしまい、我々は仕方がないものとして消化してしま
うだろう。「成るようになる」しかないのだ、とでも言うように。
それは、だからこそ「救い」があるとも、だからこそ「救い」ようがな
いとも言える事柄である。
今、為政者には求められていることは、「在るべきに為す」ことである。
政治が、決定権のない一般大衆と同レベルの「成るようになる」の気分
や誤魔化しで流れて、問題の尻を追っかけてばかりで、前に出られない
頼りのなさこそ、当今政治・政権の最大の欠陥である。
サングラスが欠かせなくなった。サングラスを掛けると、強い陽射しに
も目が楽で、風景も翳って涼しげな気分になれる。
スーパーで買物客をみると、30・40代位の女性にサングラス姿を見かけ
る。男はあまり掛けていない。紫外線対策であり、女性の夏場のファッ
ションなのだろう。また今夏の東京では、暑かろうにマスク顔の小学生
も目に付く。
放射線対策だろうが、マスクはちゃんと洗っているのだろうか?
放射性セシウム・ヨウ素は目からでも体内に入り込むだろう。大きめの
伊達メガネもしたらどうか。帽子も被った方が良いだろう。
どうも気休めと漠たる不安から、とりあえずマスクをしているような風
潮にも見える。
かつて日本では、60~70年代に公害問題が厳しく指弾され問われた。
GNPや経済の至上主義が批判され「人間復位」が主唱されたものであ
る。今回の東電の原発事故を思うと、その反省や教訓は何処に行ってし
まったのだろうか?原発事故は未必の故意か不作為による企業犯罪であ
り、公害企業問題と通底する本質がある。過去の経験が何も活かされて
おらず、継承されていないのである。
季節は移ろい夏の陽射しはやがて終わる。
陽射しは季節の自然である。
だが、水・空気・土を穢した放射線の悪影響は永続性のある、人為の
不始末である。それとどのように我々は、折り合って暮らせば良いのか。
日本人の伝統的な生活心情に「成るようになる」という感覚がある。
それは生きるうえでの深い諦念と叡智でもあるが、その不全な心情に
政治までが乗っかり、甘えて貰っては困るのである。
やがて、真夏の陽射しを仕方がないものと処するように、我々は放射線
も日常に取り込んでしまい、我々は仕方がないものとして消化してしま
うだろう。「成るようになる」しかないのだ、とでも言うように。
それは、だからこそ「救い」があるとも、だからこそ「救い」ようがな
いとも言える事柄である。
今、為政者には求められていることは、「在るべきに為す」ことである。
政治が、決定権のない一般大衆と同レベルの「成るようになる」の気分
や誤魔化しで流れて、問題の尻を追っかけてばかりで、前に出られない
頼りのなさこそ、当今政治・政権の最大の欠陥である。