脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

真夏のマスクとサングラス。

2011年08月14日 19時53分46秒 | 社会時評
夏場の睡眠不足のせいか、目がしょぼつくので、外出時には帽子の他、
サングラスが欠かせなくなった。サングラスを掛けると、強い陽射しに
も目が楽で、風景も翳って涼しげな気分になれる。

スーパーで買物客をみると、30・40代位の女性にサングラス姿を見かけ
る。男はあまり掛けていない。紫外線対策であり、女性の夏場のファッ
ションなのだろう。また今夏の東京では、暑かろうにマスク顔の小学生
も目に付く。

放射線対策だろうが、マスクはちゃんと洗っているのだろうか?
放射性セシウム・ヨウ素は目からでも体内に入り込むだろう。大きめの
伊達メガネもしたらどうか。帽子も被った方が良いだろう。
どうも気休めと漠たる不安から、とりあえずマスクをしているような風
潮にも見える。

かつて日本では、60~70年代に公害問題が厳しく指弾され問われた。
GNPや経済の至上主義が批判され「人間復位」が主唱されたものであ
る。今回の東電の原発事故を思うと、その反省や教訓は何処に行ってし
まったのだろうか?原発事故は未必の故意か不作為による企業犯罪であ
り、公害企業問題と通底する本質がある。過去の経験が何も活かされて
おらず、継承されていないのである。


季節は移ろい夏の陽射しはやがて終わる。
陽射しは季節の自然である。
だが、水・空気・土を穢した放射線の悪影響は永続性のある、人為の
不始末である。それとどのように我々は、折り合って暮らせば良いのか。

日本人の伝統的な生活心情に「成るようになる」という感覚がある。
それは生きるうえでの深い諦念と叡智でもあるが、その不全な心情に
政治までが乗っかり、甘えて貰っては困るのである。

やがて、真夏の陽射しを仕方がないものと処するように、我々は放射線
も日常に取り込んでしまい、我々は仕方がないものとして消化してしま
うだろう。「成るようになる」しかないのだ、とでも言うように。
それは、だからこそ「救い」があるとも、だからこそ「救い」ようがな
いとも言える事柄である。

今、為政者には求められていることは、「在るべきに為す」ことである。
政治が、決定権のない一般大衆と同レベルの「成るようになる」の気分
や誤魔化しで流れて、問題の尻を追っかけてばかりで、前に出られない
頼りのなさこそ、当今政治・政権の最大の欠陥である。


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