正月三が日、東京は好い天気だった。私は正月の儀礼が好きではない。
新年の挨拶だのと面倒臭いという意味だが、正月の静けさは好きである。
私は生来、世間の喧騒が嫌いで、一人居の静寂が好きなのである。
今年の正月は、母親が重度の精神病状態なため、例年の親族の集まりが自
粛され、我が家は何十年ぶりかで、静かな正月を迎えられた。父は、人が
集まらない正月が淋しいらしく不満のようだが、私は親戚のいない正月に、
心底から休まる思いである。
今日は、近所にあるご先祖の墓に詣で線香をあげてきた。
墓地は誰もいず、ひっそりとしていて、ここも静寂に満ちていた。
墓なんて要らないと思っているが、墓の佇まいが放つ無言の静けさは、
人間の精神や心にとって、大きな意味があるような気がする。
先祖の墓前で手を合わせると、迷ったときに心の在り様を教えられる。
私は全く宗教とは無縁な人間であるが、
故人(死者)とは、それと対面することで、自分の心の在様を逆照されるも
のである。そして「生きること」とは、それが済んでしまえば、いかに夢
幻で儚いものか、喧騒を離脱した静寂に、彼岸を垣間見るとき、いつもそ
う教えてくれる存在でもある。
静寂さらに空虚、それの深い意味に触れ、そのことを毎度思い出させてく
れる季節の仕組みが、日本人の智慧?が、お盆と正月なのかな。
正月がパーティ・タイムであってはならないとか言っている訳ではない。
正月は新生でありお祝いであるから、ヒトが集い喧騒が沸き起こる。
だが喧騒とは、一度は裏返されるべきものなのだ。
裏面にある静寂に触れてみるとき、気持ちがリセットされる。
浮き立ち過ぎた心に、落ち着きの場所を見出すことが出来るから。
また一年、何があろうとも、
落ち着いた心持ちで、自分らしく生きられますように‥。
新年の挨拶だのと面倒臭いという意味だが、正月の静けさは好きである。
私は生来、世間の喧騒が嫌いで、一人居の静寂が好きなのである。
今年の正月は、母親が重度の精神病状態なため、例年の親族の集まりが自
粛され、我が家は何十年ぶりかで、静かな正月を迎えられた。父は、人が
集まらない正月が淋しいらしく不満のようだが、私は親戚のいない正月に、
心底から休まる思いである。
今日は、近所にあるご先祖の墓に詣で線香をあげてきた。
墓地は誰もいず、ひっそりとしていて、ここも静寂に満ちていた。
墓なんて要らないと思っているが、墓の佇まいが放つ無言の静けさは、
人間の精神や心にとって、大きな意味があるような気がする。
先祖の墓前で手を合わせると、迷ったときに心の在り様を教えられる。
私は全く宗教とは無縁な人間であるが、
故人(死者)とは、それと対面することで、自分の心の在様を逆照されるも
のである。そして「生きること」とは、それが済んでしまえば、いかに夢
幻で儚いものか、喧騒を離脱した静寂に、彼岸を垣間見るとき、いつもそ
う教えてくれる存在でもある。
静寂さらに空虚、それの深い意味に触れ、そのことを毎度思い出させてく
れる季節の仕組みが、日本人の智慧?が、お盆と正月なのかな。
正月がパーティ・タイムであってはならないとか言っている訳ではない。
正月は新生でありお祝いであるから、ヒトが集い喧騒が沸き起こる。
だが喧騒とは、一度は裏返されるべきものなのだ。
裏面にある静寂に触れてみるとき、気持ちがリセットされる。
浮き立ち過ぎた心に、落ち着きの場所を見出すことが出来るから。
また一年、何があろうとも、
落ち着いた心持ちで、自分らしく生きられますように‥。