脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

正月の静寂に‥。

2015年01月03日 22時17分20秒 | 近況
正月三が日、東京は好い天気だった。私は正月の儀礼が好きではない。
新年の挨拶だのと面倒臭いという意味だが、正月の静けさは好きである。
私は生来、世間の喧騒が嫌いで、一人居の静寂が好きなのである。

今年の正月は、母親が重度の精神病状態なため、例年の親族の集まりが自
粛され、我が家は何十年ぶりかで、静かな正月を迎えられた。父は、人が
集まらない正月が淋しいらしく不満のようだが、私は親戚のいない正月に、
心底から休まる思いである。

今日は、近所にあるご先祖の墓に詣で線香をあげてきた。
墓地は誰もいず、ひっそりとしていて、ここも静寂に満ちていた。
墓なんて要らないと思っているが、墓の佇まいが放つ無言の静けさは、
人間の精神や心にとって、大きな意味があるような気がする。
先祖の墓前で手を合わせると、迷ったときに心の在り様を教えられる。

私は全く宗教とは無縁な人間であるが、
故人(死者)とは、それと対面することで、自分の心の在様を逆照されるも
のである。そして「生きること」とは、それが済んでしまえば、いかに夢
幻で儚いものか、喧騒を離脱した静寂に、彼岸を垣間見るとき、いつもそ
う教えてくれる存在でもある。

静寂さらに空虚、それの深い意味に触れ、そのことを毎度思い出させてく
れる季節の仕組みが、日本人の智慧?が、お盆と正月なのかな。

正月がパーティ・タイムであってはならないとか言っている訳ではない。
正月は新生でありお祝いであるから、ヒトが集い喧騒が沸き起こる。
だが喧騒とは、一度は裏返されるべきものなのだ。
裏面にある静寂に触れてみるとき、気持ちがリセットされる。
浮き立ち過ぎた心に、落ち着きの場所を見出すことが出来るから。

また一年、何があろうとも、
落ち着いた心持ちで、自分らしく生きられますように‥。







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