正月中、乙一の文庫本を読んでいた。
内容は著者あとがきにいうように、「警察に追われている男
(アキヒロ)が目の見えない女性(ミチル)の家にだまって勝手に隠れ
潜んでしまう」というストーリーである。
乙一の作品の孤独な薄暗さみたいな処が好きであるが、この本は「人
に優しい」作品という感じだった。殺人容疑者アキヒロと全盲で一人
暮らしをするミチルが出会う。いやミチルは目が見えず、アキヒロも
隠れて潜むので、「出会う」までに淡いのような奇妙な時間が過ぎる。
作者はこの作品のテーマに、人はどうやって人と出会い、人と繋がり
そして世界に受け容れられていくのか、とでもいうような人と人との
原初のふれあいを、特殊な状況を設定することで描いている。
以前に「居場所のなさ」についてブログに半端に綴ったことがあった
が、本書の最後の方にアキヒロのこんな独白が記されている。
「かつて自分は、制服を着て勉強をしていた学校でも、作業着で仕事
をする会社でも、いつも居心地の悪さを感じていた。
どこに身を置いていても、手のひらに汗のにじむ緊張は消えなかっ
た。
はたして自分のいていい場所はどこなのだろうかと、考えたことも
あった。
しかし必要だったのは場所ではなかった。
必要だったのは、自分の存在を許す人間だったのだと思う。」
(『暗いところで待ち合わせ』(乙一)幻冬舎文庫版から引用。)
アキヒロはミチルに「許され」て、初めてお互いが「出会う」ので
ある。互いの出会いは、それ以前に既に始まっていたわけだが、全盲
のミチルも「誰かが部屋に居る」空気を感じながらも、互いが手探り
で、かつ必然的に「出会い」へと導かれていくようである。
何が「出会い」へと両者を導いたか、それは相互の「気遣い」とでも
いうような心の持ちようであるように思える。相互の警戒心や猜疑心
から気遣いに変化し始めたとき、「出会うこと」は必然なのである。
この小説はそんな男女の、色恋への結びつきに筆を進めるような野暮
は描いていない。相互に気遣い合い、さらに裸形の自分を無防備に差
し出し「許されること」を乞うことを通じなければ、人と人とはまだ
出会ってはいないのである。
ケータイやメールその他、安易な出会いが日常化している今日に、
「出会い」、「出会う」ということがどういうことだったのか、
人と人が本当に結びつくには、相手に遜り「許し」を乞う瞬間を通ら
ねばならないということを思い出させてくれる、優れて文学性の高い
作品に思えた。
内容は著者あとがきにいうように、「警察に追われている男
(アキヒロ)が目の見えない女性(ミチル)の家にだまって勝手に隠れ
潜んでしまう」というストーリーである。
乙一の作品の孤独な薄暗さみたいな処が好きであるが、この本は「人
に優しい」作品という感じだった。殺人容疑者アキヒロと全盲で一人
暮らしをするミチルが出会う。いやミチルは目が見えず、アキヒロも
隠れて潜むので、「出会う」までに淡いのような奇妙な時間が過ぎる。
作者はこの作品のテーマに、人はどうやって人と出会い、人と繋がり
そして世界に受け容れられていくのか、とでもいうような人と人との
原初のふれあいを、特殊な状況を設定することで描いている。
以前に「居場所のなさ」についてブログに半端に綴ったことがあった
が、本書の最後の方にアキヒロのこんな独白が記されている。
「かつて自分は、制服を着て勉強をしていた学校でも、作業着で仕事
をする会社でも、いつも居心地の悪さを感じていた。
どこに身を置いていても、手のひらに汗のにじむ緊張は消えなかっ
た。
はたして自分のいていい場所はどこなのだろうかと、考えたことも
あった。
しかし必要だったのは場所ではなかった。
必要だったのは、自分の存在を許す人間だったのだと思う。」
(『暗いところで待ち合わせ』(乙一)幻冬舎文庫版から引用。)
アキヒロはミチルに「許され」て、初めてお互いが「出会う」ので
ある。互いの出会いは、それ以前に既に始まっていたわけだが、全盲
のミチルも「誰かが部屋に居る」空気を感じながらも、互いが手探り
で、かつ必然的に「出会い」へと導かれていくようである。
何が「出会い」へと両者を導いたか、それは相互の「気遣い」とでも
いうような心の持ちようであるように思える。相互の警戒心や猜疑心
から気遣いに変化し始めたとき、「出会うこと」は必然なのである。
この小説はそんな男女の、色恋への結びつきに筆を進めるような野暮
は描いていない。相互に気遣い合い、さらに裸形の自分を無防備に差
し出し「許されること」を乞うことを通じなければ、人と人とはまだ
出会ってはいないのである。
ケータイやメールその他、安易な出会いが日常化している今日に、
「出会い」、「出会う」ということがどういうことだったのか、
人と人が本当に結びつくには、相手に遜り「許し」を乞う瞬間を通ら
ねばならないということを思い出させてくれる、優れて文学性の高い
作品に思えた。