初めて、レッド・ツェペリンを聴いたのは、中三の時だから、かなり古い話だ。
(田中角栄が総理大臣で、グアム島から「横井さん」が現れた頃と言って、知っている人は40代だろう。)
同じ頃にディープ・パープルを聴き、YESやEL&P、ピンク・フロイドなども知った。でもやはり、ツェペリンⅡのジミーペイジのリフ、それに合わせて自在に歌うロバート・プラントのカッコ良さに魅かれた。
BBA時代のジェフ・ベック、クリームのクラプトンも良かった。
デュアン・オールマンとかディッキー・ベッツのギターには深い感動を覚えた。
ロイ・ブギャナン、ヤン・アッカーマン、ポール・コゾフ、アルビン・リー、ミック・ボックス、テリー・カス…、思い付くままにギタリストを並べてみたが、どれも懐かしい名前である。
10代の自分にとって、ロックって何だったのだろう。
突詰めれば、ファズやワウの効いたエレキ・ギターの音と
巧みなアドリブ・ワークだったと思う。
ベースやドラムについては、
ジャック・ブルースやジンジャー・ベイカーみたいな例外を除けば、
あまり印象に残るプレーヤーがいないのは、私の耳の幼さに依るのかもしれない。
エレキ・ギターの炸裂するプレーには、当時の日常性、日常性を支えている大人たち、大人たちが押し付ける規範、そんなものに亀裂を走らせ、破り捨てていくような否定形の迫力と響きがあったのだと思う。
そのような音響に酔うこと、ロック体験とはそれのことだった。
LPに針を落とせば、繰り広げられる私のお祭りだった。
だが今日、ロックのもつ非日常性や祝祭性は、既成化したということか、
すっかり色褪せてしまってみえるのは、私自身の年齢のせいだけではないと思う。
現実の日常の側、体制の側にロック的なものが吸収され、
時に、商業ベースのご都合主義等で使い回され、消費し尽くされた結果であろう。
では、世の人々は、
新たなるロック(的なるもの)をさらに求め続けているのか、と言えば、
意外にも、そうではなさそうに見える。
もはや、ロックというような非日常も祝祭も、人々は求めずとも、
どこかでバランスよく自足しつつあるように、私には見えるのだ。
全てが日常のあるがままに流れていて事足りるような、そんな時代が現代である。
(逆にモノを言えば、この情報時代の現代の「日常性」とは、それに抗うとか、打破するとかし得ぬくらい堅牢なのだ。)
ロックが死んだのではない。
人々がことさらに、
ロック(的なるもの)を自然な欲求として欲しなくなったのである。
ロックが文化として全盛であった頃、ある人々はロックを愛し、ある人々はロックを激しく嫌った。
でも、どっちの人々も、生きるということは、何かを強く求めて、体を張って生き続けることであると思っていたもんだ。
ロックとは、そんな世代的な価値観の軋轢の中で、擦火された炎だったのだ。
今このようにロックを回顧し思考を巡らせてみると、
ロックを取り巻く状況の変化を最も象徴的に示していたのは、
日本では、故・尾崎豊ではないかと、ふとそんな気がした。
私は、尾崎は、デビューから2,3枚目のアルバムをリアル・タイムで聴いていた。
尾崎の登場には、「遅れて来たロックンローラー」という
やや冷ややかな眼差しで迎えられていたような印象が、当時の私にはあった。
つまり、既に、彼のように叫んでも、空を切るだけではないかと、
彼のような反抗やいら立ちを歌う魂を、受け入れてくれる時代が過ぎてしまったのではないか、ということだった。
(わざわざ、ここで尾崎豊を引き合いに出す話でもなかったのかもしれない…。)
だが、マニュアルとテンプレートで出来て流れていくような今の社会で、
彼ほど、人は魂で生きていくのだ、とでもいうメッセージを発して、
のたうち廻った若いロックンローラーを私は知らないのである。
はからずも、たいしたファンでもなかったのに、尾崎を語ってしまったのは、尾崎という存在に、最後のロック魂のありかを感じる思いが、私にあるからだ。
尾崎は、人間が魂を求めずとも生きられる時代に苛立ったのだ。
そのような時代には、ロックは死ぬからだ。
もちろん、今でも様々なロックはあるし、それを否定する意図はありません。
ここに言う「ロックの死」とは、ある時代の終焉を語る言葉なのであり、人間や人生の意味の死についてを語ることなのです。
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(田中角栄が総理大臣で、グアム島から「横井さん」が現れた頃と言って、知っている人は40代だろう。)
同じ頃にディープ・パープルを聴き、YESやEL&P、ピンク・フロイドなども知った。でもやはり、ツェペリンⅡのジミーペイジのリフ、それに合わせて自在に歌うロバート・プラントのカッコ良さに魅かれた。
BBA時代のジェフ・ベック、クリームのクラプトンも良かった。
デュアン・オールマンとかディッキー・ベッツのギターには深い感動を覚えた。
ロイ・ブギャナン、ヤン・アッカーマン、ポール・コゾフ、アルビン・リー、ミック・ボックス、テリー・カス…、思い付くままにギタリストを並べてみたが、どれも懐かしい名前である。
10代の自分にとって、ロックって何だったのだろう。
突詰めれば、ファズやワウの効いたエレキ・ギターの音と
巧みなアドリブ・ワークだったと思う。
ベースやドラムについては、
ジャック・ブルースやジンジャー・ベイカーみたいな例外を除けば、
あまり印象に残るプレーヤーがいないのは、私の耳の幼さに依るのかもしれない。
エレキ・ギターの炸裂するプレーには、当時の日常性、日常性を支えている大人たち、大人たちが押し付ける規範、そんなものに亀裂を走らせ、破り捨てていくような否定形の迫力と響きがあったのだと思う。
そのような音響に酔うこと、ロック体験とはそれのことだった。
LPに針を落とせば、繰り広げられる私のお祭りだった。
だが今日、ロックのもつ非日常性や祝祭性は、既成化したということか、
すっかり色褪せてしまってみえるのは、私自身の年齢のせいだけではないと思う。
現実の日常の側、体制の側にロック的なものが吸収され、
時に、商業ベースのご都合主義等で使い回され、消費し尽くされた結果であろう。
では、世の人々は、
新たなるロック(的なるもの)をさらに求め続けているのか、と言えば、
意外にも、そうではなさそうに見える。
もはや、ロックというような非日常も祝祭も、人々は求めずとも、
どこかでバランスよく自足しつつあるように、私には見えるのだ。
全てが日常のあるがままに流れていて事足りるような、そんな時代が現代である。
(逆にモノを言えば、この情報時代の現代の「日常性」とは、それに抗うとか、打破するとかし得ぬくらい堅牢なのだ。)
ロックが死んだのではない。
人々がことさらに、
ロック(的なるもの)を自然な欲求として欲しなくなったのである。
ロックが文化として全盛であった頃、ある人々はロックを愛し、ある人々はロックを激しく嫌った。
でも、どっちの人々も、生きるということは、何かを強く求めて、体を張って生き続けることであると思っていたもんだ。
ロックとは、そんな世代的な価値観の軋轢の中で、擦火された炎だったのだ。
今このようにロックを回顧し思考を巡らせてみると、
ロックを取り巻く状況の変化を最も象徴的に示していたのは、
日本では、故・尾崎豊ではないかと、ふとそんな気がした。
私は、尾崎は、デビューから2,3枚目のアルバムをリアル・タイムで聴いていた。
尾崎の登場には、「遅れて来たロックンローラー」という
やや冷ややかな眼差しで迎えられていたような印象が、当時の私にはあった。
つまり、既に、彼のように叫んでも、空を切るだけではないかと、
彼のような反抗やいら立ちを歌う魂を、受け入れてくれる時代が過ぎてしまったのではないか、ということだった。
(わざわざ、ここで尾崎豊を引き合いに出す話でもなかったのかもしれない…。)
だが、マニュアルとテンプレートで出来て流れていくような今の社会で、
彼ほど、人は魂で生きていくのだ、とでもいうメッセージを発して、
のたうち廻った若いロックンローラーを私は知らないのである。
はからずも、たいしたファンでもなかったのに、尾崎を語ってしまったのは、尾崎という存在に、最後のロック魂のありかを感じる思いが、私にあるからだ。
尾崎は、人間が魂を求めずとも生きられる時代に苛立ったのだ。
そのような時代には、ロックは死ぬからだ。
もちろん、今でも様々なロックはあるし、それを否定する意図はありません。
ここに言う「ロックの死」とは、ある時代の終焉を語る言葉なのであり、人間や人生の意味の死についてを語ることなのです。
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