脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

今では憂いばかり、懐かしき五月の風。

2016年05月03日 22時08分29秒 | 雑談
若い頃、五月の風は美しく麗しいものに感じていた。中年以後はあまり
そう感じなくなったかな。感性の鈍麻、劣化かもしれないが、気候の方
の変化のせいかもしれない。今年は四月下旬に扇風機を出し、例年五月
のGW頃、冬服を片して半袖を出したりと衣替えをしている。

五月になるとすぐ、夏めいた暑さがやってくる。梅雨前に小さな夏が季
節に差し込んでくる。私は今日も、半袖Tシャツに膝丈のジャージ姿で
家では過ごしている。こうして一年の半分以上は、半袖シャツとか夏モ
ードでいるようになってしまった。

自分の中高生時代、10代の頃を思い出しても、半袖のシャツは7月~
8月にしか着なかった。まだ一般家庭では冷房普及率も低い時代である。
夏が暑くなかった訳ではない。今より我慢強かったり若かったせいもあ
ろうが、夏の暑さは7・8月に集中していたのだと思う。6月は梅雨の
季節、9月には秋風が立つとか、季節は定まり区切りが明瞭だった。

日本の四季は変化がはっきりしていると言われてきたが、今では春と秋
が短くなり、1年の半分は夏になってしまった。また東京では、冬に木
枯しが強く吹いたものだが、冬に凍てつく強い風が吹かなくなった気も
する。その一方で、台風の時のような強風が、季節を問わず吹いたり
ゲリラ豪雨が発生したりする。そんな身近な気候変容は、大災害へのプ
レ・ヒストリーなのか。

     *      *      *      *

昨日、大学時代の友人たちと話していて、東京或いは首都圏で大震災が
起きたら、被災人口が多すぎて、水も食料も回ってこないのではないか
となった。熊本のような規模の街でさえ、震災となると水・食料の供給
はうまくいかないのである。家屋が倒壊(又はその惧れ)した被災者でも、
東京では避難所の収容不足から、相当数の被災者がホームレス(野宿)状
態に据え置かれるのではなかろうか。(その場合、大規模な集団疎開等の
移動措置が必要かもしれない。)

今日、街中や駅構内等を歩いていると、スマホを見ながらの「ながら歩
行」等、携帯端末依存風情な方々を多く見かける。情報は大事であろう
し、そのツールを所持していることは有利としても、あまりに端末画面
ばかりに眼で囚われ過ぎていて、周囲の変化を肌身で感じたり、五感の
感覚で動くことに、鈍く不器用になってなければいいがと思う。

震災等の非常時に必要な能力は、的確な関係情報と判断力とかよりも、
危機や危険、不足を察知して対処できる思考や身体の能力を基本とした、
総合的な人間力みたいなものだと思う。情報の時代ではあるけど、情報
にも真贋や軽重がある。情報を偏重し過ぎて足元をすくわれないよう、
自分のマインドの定位置を決めて、しっかり守るべしと思う。

(東北大震災に次いで熊本地震、では次は10年後に小田原地震か、とか。
17世紀に発生した地震災害に順序が似ているので、憶測を呼んでいるそ
うだが、では首都圏大震災は30年後当たりか? 30年もってくれれば
一先ず安心だけど。でも持病持ちな私は、その前に死んでそぉー。。)




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