こういう文章を読むと、とても嬉しくなります。三田医師との広島講演は、次の日曜日、7/19(日)に開催ですが、その主催メンバーからのお便りです。
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3.11の翌日12日、私は当時3歳の息子を連れて東京都調布市から実家のある広島県へ避難しました。
あの日、原発事故が起こった時、私の頭に一番に浮かんだのは、実家の仏壇のあどけない子供の遺影でした。真新しい制服にキラキラした瞳をした遺影の中のおじの姿が思い浮かびました。彼は小学校に上がる歳に白血病で短い生涯を遂げました。
私の祖母は原爆被爆者です。私は被爆3世として生まれました。小さいころから寝物語に原爆や戦争の恐ろしさ、おじの闘病生活のことを聞かされて育ちました。しかしながら、原発と原爆が同じものだと知ったのは、息子が生まれる少し前でした。広島に生まれたのに、まんまと核の平和利用に騙され、核兵器は反対しても、原発には関心のなかった自分が今となっては恥ずかしいです。
広島に避難してからは、広島のお母さんや避難者たちで「poco a pocoあったか未来をつくる会from Hiroshima」という会を作り、子供たちが安心して暮らせる未来をつくっていこうとパレードや講演会など、4年間目まぐるしく活動してきました。
個人的には、市役所で定住促進などの関係の仕事につき、公を巻き込んで移住希望者の移住相談にも乗ったりしてきました。そして、やっと昨年、東日本の子供たちを迎えて保養を行うことができました。私はこれまで、息子を守るためとはいえ、大切な友人家族を置いて、自分だけ逃げてしまったという自責の念に駆られ、避難者として、本当は一番気になっていた保養をできずにいました。どの面下げて受け入れるのかと。でも、子供たちの甲状腺がんの異常な数字を見て、そんなちっぽけなことを気にしている場合ではないと目が覚めました。
更に今年からは震災前にやりたかった畑などもできるようになり、4年経ってやっと臨戦態勢から暮らしの再建と活動が両立できるようになりました。自分の食べる作物を少しでも自分で作ること、エネルギーの自給、何があっても振り回されないように、大企業などの大きな力に頼らない生活を目指して暮らし直し始めました。
私は被爆3世として、放射能に負けるわけにはいかないのです。大きな力に負けるわけにいかないのです。私の役割は、つないでもらった命をつなぐことだと思っています。これからも広島で命をつなぐ生き方やお手伝いができればと思っています。
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こうしたメンバーが主催して開催します、次の日曜日に、是非おいで下さい。
【7/19(日)三田医師&木下黄太講演会IN広島】
12:30開場 13:00開演
広島市まちづくり市民交流プラザ北棟5F 研修室ABC (広島市中区袋町6-36)
申込み&詳細⇒http://kokucheese.com/event/index/295718/
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