京都のジュリ友様から、熊本に旅行中に画像を送っていただいて、アップが後になりました。 大変気になる話です。
卒業はしていないとはいえ、ジュリーの入学した高校だから・・・、ではなくて 古く美しい建築物好きの私としては、とってもショック!!(ーー゛) 耐震は確かに必要だけど、なんで昔からの歴史ある美しい建築を いとも簡単に壊してしまうんでしょうか?日本という国は・・・・ どこそこで、歴史ある建築物が壊された、焼失したという話を聞くたびに、とても心が痛みます。哀しいです。 是非とも考え直していただきたいです。
少しわかりにくいので、ネットで記事を見つけました。 いかにも京都らしい風情のある校舎でしょう! こんな素敵な校舎でジュリーは勉強・・・・は、殆どしていないかな(ノ∀`) 卒業していたら、新聞に名前も出たろうにね、同じく森光子も中退でしたね。 でも卒業していたら、今のジュリーはないでしょうね。
この正門は残される予定ですが、せめて、校舎の玄関先だけでもなんとか・・
昭和モダニズム象徴 鴨沂高 学びや惜別 建て替えへ
アーチ型の小窓などモダニズムが取り入れられた和洋折衷の鴨沂高校舎(京都市上京区) 京都府教育委員会は、モダニズム(近代主義)を取り入れたアーチ型小窓などで親しまれている京都市上京区の鴨沂高の校舎(1935年完成)の建て替え方針を決めた。かつて宮家の生徒を迎え、多くの学識者や芸能関係者を輩出した学びやだけに、名残を惜しむ声が上がっている。
■ヘレン・ケラー来訪 3階大講堂も
建て替えは老朽化が理由で、「壁や柱が少なく、補修で耐震強度を上げるのは難しい」(管理課)という。来年度予算案に新校舎の基本設計費を要求する方針。
校舎は鉄筋コンクリート3階建てで和洋折衷のデザイン。全国初の公立女学校の流れをくむ京都第一高等女学校として建てられた。段差の小さい木製階段は女学校時代の名残で、着物でも上り下りしやすい。37年にはヘレン・ケラーが訪れ、校舎3階の大講堂で「各自なすべき事に尽くすこそ最高の業」と生徒たちに訴えた。48年の学制改革で男女共学の鴨沂高となり、現在に至る。
京都御苑から近く、香淳皇后のいとこの久邇宮恭仁子女王(故人)も学んだ。暖炉跡のある定時制職員室は宮家のお付きの控室だったらしい。旧九条邸から移築された木造の正門と茶室もあり、正門は保存する予定。
女優の山本富士子さん、俳優の故田宮二郎さんらも、この学びやから巣立った。日本画家の上村淳之さん(79)は52年卒業で、1学年上に琵琶湖博物館初代館長の川那部浩哉・京都大名誉教授、同級生に劇作家の山崎正和・大阪大名誉教授がいた。上村さんは「きれいな校舎で女子生徒が椿油で磨き、床がいつもぴかぴか光っていた。ぼくらには『わたしたちがするから』と言って、率先して掃除をしていたことを覚えている」と懐かしんだ。
地図→ http://map.bblog.biglobe.ne.jp/ap/maps/pl/35.0207439/135.7680709/16/
- 2012年10月30日