2008年、88歳の森光子さんの演じる「放浪記」を観た。日本演劇界の金字塔である舞台を一度は観たいと思っていた。
その翌年には2000回を数えたが、88歳の森光子さんが演じる芙美子は、視線が虚空をさまよい、手がブルブルと震えていた。台詞は少し遅れて出てきて、弱々しく聞き取りにくいものだった。正直、この芝居を無事に終える事ができるのか?とかなり危惧した。それでも台詞はちゃんと最後まで言えてなんとか公演は終了した。
この時は女優の「引き際」というものを考えてしまった。全盛期の森さんで「放浪記」が見たかったと思っていた。
その国民的大女優森さんが演じた林芙美子を、人気美人女優の仲間由紀恵さんが演じると聞いたとき「似合わない!」と思った。まるで地べたを這うような、男に蔑まれる惨めな貧しい女給役である。それを華やかな美女である仲間さんに演じられるのか。
「花子とアン」の華族の臈たけた蓮子さん役は、これ以上ないほど似合っていたけど、「放浪記」は、誰がキャスティングしているんだろう?と不信に思ったほど。年齢や人気などで、仲間さんに決まったのだろうか。
それでもやはり、気になる舞台なので安い席で見ることにした。
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席は一番安い3階席の1列目のセンターで、悪くはない。3階でも新歌舞伎座はこじんまりしていて、充分ここで見えます。(森さんの時は大きな大阪フェス、あそこは演劇向きの空間じゃないと思う)登場した仲間さんは、遠目で見てもやはり紛れもない明るい美女。赤い着物に白いエプロンの女給姿は、どうみても可愛い。
なのに、この紛れのない美女に向かって、登場する男たちの浴びせる言葉の冷たさと言ったら、まるきり石ころ扱いか。
「山だしの猿のような女」「あのご面相じゃね・・」と馬鹿にしきった散々の言い草。仲間由紀恵のどこが山出しや!やっぱり、仲間さんはこの役には美人すぎる!と私は違和感がありありだった。芙美子は、美女過ぎない、女の哀しみを表現できる、森光子さんならではの役だったのだ。
そう思いながらも、舞台では快調にテンポよく話が進んでゆく・・・
カフェの場面では、芙美子に浴びせかけられる男たちの容赦のない罵倒が、同じ女の私の胸にもグッサグサと突き刺さる。美女にはわからないだろうな、あの行き場のない悔しさ。負けるな芙美子、男の冷たい理不尽な言葉には正論で見返してやれ。と応援してしまう。
そして個性豊かで、自己主張の激しい自分勝手な文士や、芸術家肌の面々が次々登場して、芙美子とやりあう。蔑まれ、馬鹿にされ、ていよく男に捨てられ、それでも詩を書くことを止めない芙美子。
モノローグで芙美子の詩が読まれる。暗い、深い穴に落ち込むような ひたすら暗い陰陰滅滅とした言葉の数々。しかし、それを読む仲間さんの声に、この詩の希望のない世界観が感じられない。1本調子で情感が足りない。ここはやはり森さんの翳りのある声で聞きたいと思う。
血反吐を吐くような、惨めな生活の中でも 男にすがりつくようにして、詩を書く芙美子だが、決して弱い女ではない。巡ってきたチャンスを、友人を出し抜いてでも 自分が取ろうとするのだった。
ついに本が出版されることになって、歓喜の芙美子。ここで仲間さんの若さが発揮された。森さん版では「でんぐり返り」(私がいった2008年はドクターストップで万歳三唱に、レベルダウン・・)だったこの場面が、なんと鮮やかに仲間さんは舞台を縦横に側転をしてみせた。これ以上ないと思える大きな喜びの表現で、誠に面白かった。ここで仲間さんを一気に見直しました。(舞台写真) http://www.sankei.com/entertainments/news/151015/ent1510150002-n1.html
そして、芙美子は人気作家になり大家となって歳を取った。意外に違和感のない老け方に、ここでも仲間さんを見直した。前半の惨めな姿から一転、大家に上り詰めたというのに書く事を止められない、流行作家という地位に疲れきったような芙美子の姿。
最期にその疲れた姿を見た、かつてのライバルが言う「ちっとも幸せそうじゃないわね」そこには哀れみと同情がない交ぜになっていて、勝ち誇ったようにも見えた。夢を叶えたはずの芙美子は幸せではないのだろうか?
成功したはずなのに、物語にカタルシスは無かった。机に突っ伏したまま動かない芙美子の姿で幕は降りたのだった。
キャスティングに不満を感じながらも行った「放浪記」だが、さすがに何度も再演される価値のある舞台だった。森さん版とは脚本が少し違っていたようだが、芙美子の過酷な境遇や芙美子の詩、台詞の一つ一つに突き刺さるような重みや痛みがあって、思わず泣けた。
芙美子役の仲間さんは美女すぎるが、もう少し年齢を重ねて もっと練り上げられたら、さらに良くなるだろう。芙美子の夫役の面々も其々が役柄にピッタリで好演だった。
「満員御礼」ですが、3階席は半分位の入りでした。私のお隣のビシっとしたダークスーツを着た、一流企業の雰囲気の男性サラリーマンの団体さんは、ご招待ではないのかな。あの男性たちにこそ、この芝居の感想が聴きたい。私の横の席の若い20代の男性は、途中で居眠りしていたけど退屈だったのだろうか。絶対に自ら見たくて来ているようには、思えない。
これからまだ名古屋、福岡での公演があります。
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