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⑪比叡山への道(朝日新聞夕刊 読者のツボ「ジュリー来た!」)

2019年01月03日 | 比叡山フリーコンサート

1975年の比叡山フリーコンサートでの、ご自身の体験や思い出は、ずーっとコメント欄で受け付けています。「比叡山フリーコンサート」のカテゴリーに、コメントを下さった方々の思い出がまとめてあります。


4月に前から参拝に行きたいと思っていた比叡山延暦寺に、バスで行きました。バス道の途中では、車窓から目を凝らしても フリーコンサートの行われた蛇が原スキー場跡がどこだったのかわかりませんでした。京都駅前からバスで約1時間ほど、延暦寺の敷地に着いた頃には、車酔いで気分が・・ワルイ・・

山中の道はクネクネ曲がりくねり、日頃から車酔いしやすい私が、よくぞ75年のフリーコンサートに向かうバス中で、気分が悪くならなかったものだと思います。

ジュリーがステージに登場するまでの一番の想い出は、真夏の山道を何台も続くバスの大行列と、着いた途端に青い顔で倒れる若い女の子たち。救護所で寝ていた彼女たちが、ジュリーが来た~の声でムックリ起き上がって、そのまま救護所から飛び出していった姿です。

2017年の朝日新聞大阪版夕刊、金曜日のコラム「読者のツボ」で「あなたの思い出に残っているコンサートは?」というテーマで募集がありました。誰のどんなコンサートだったか、理由も添えて投稿してください。と書かれていたので、私にとって比叡山の思い出深い光景を投稿してみました。2017年7月7日→朝日新聞大阪版夕刊、金曜日に「読者のツボ」  目に焼き付いて離れないステージ外の光景から

1975年当時の新聞記事には『救護された女の子の人数は80人。いい席を取るために、早くから並んだ人が疲労と暑さの為に倒れた・・・。』と有りました、私の見た車酔いの人も多数いたと思います。

先日、ヤマトさんから比叡山フリーコンサートに特別な想い出がお有りと伺い、コメントを頂きました。ヤマトさんは、あの暑い中 日射病のようになり救護所で倒れていた女の子のお1人でした。

頂いたコメントは「比叡山フリーコンサート」のカテゴリー内に追記させていただきました。ヤマトさん、どうも貴重なお話を有難うございましたm(__)m


 

忘れられない思い出 (ヤマトさん)
2018-12-18 16:29:31
あの時、私は高校生で姉や姉の友人たちと 前日から京都のホテルに泊まり、3時半起床でバスの列に並びました。

着いたのは8時過ぎで、真ん中より少し前くらいの芝生に陣取りましたが、夏の炎天下で太陽を遮る場所もなく、飲み物の1つも持たず、日射病のようにフラフラになり、私はコンサートの始まる直前まで救護所で寝ていました。涼しい場所で寝かせてもらったお陰で、そのあとは一番元気に弾けていました。

「僕の妻です」と言われ、ファンの拍手と歓声に包まれて、鉄砲ユリを抱えたエミさんはつつましく涙を流し、きれいでした。悲しかったけど「おめでとう!」を心から言えました。行けてよかった!その瞬間に立ち会えて幸せでした。

何もかも全部姉や、姉の友人に甘えて、ただ連れて行ってもらいましたが、今思えば本当にありがたいことでした。半年ほど前にこのコンサートのLPのジャケットに 14年前に亡くなった姉が若い姿で写っているのを発見し、思わず涙でした。

姉がいなければ、ジュリーのファンになっていたかどうか わかりません。姉のすることは全部真似したかった私。姉がどこにでも私を連れて行ってくれて 私は何もせず、全部おぜん立てしてもらってついていっただけ。生きていたらきっと一緒にLIVEを見に行ったに違いありません。

ジュリーのファンに数十年ぶりに戻り、今はあのころとは違う意識で、参加していますが、あのコンサートに行けたことは、今でも特別な思い出です。

いつか姉ともうまた会う時、今のジュリーのことを話したいです。今の私より若くして逝った姉ですから、会う時には私が年上?と複雑ですが。
ジュリーには元気で長生き、幸せに暮らしてもらい、いつまでも艶めかしい人でいてほしいです。 

 

 

コメント (6)