コメ欄で島崎今日子さんが、生島ヒロシさんの番組に出演と教えて頂きました。ネットニュースに上がっているそうです。朝5時からの番組です(^^;
中日ドラゴンズの川越選手は、今日の阪神戦にも登場して、今日はハッキリと登場曲の「勝手にしやがれ」を聴けました。肝心の川越選手の成績は・・知らない。(^^; 阪神タイガースは首位をキープ!!
(8月1日)ジュリーにチェックイン!続きです。パーソナリティは田名部真理さん。
この番組でもご紹介しました
今回ね 最後の方でパーンと、銀テープ
ちょうどアリーナの辺りに届くように銀テープが撒かれる
パフォーマンスがあったんですけれども
やっぱり一部の人の手にしか届かなかったんで
もちろん私は、隣の方がねお友達がお席まで持ってきて
下さったのを見せていただいて、写メ撮らせて下さいと
スマホで撮らせていただいたんですけど
もちろん、私の手元にはなくて
あなた、手にすることが出来たの?
そんなことないですと答えると、その中のご婦人の
1人が私の持ってるテープがちょっと長めなので
半分に切ってあげるわ、と言って
もうそんな、昨日 あったばかりのこんな若輩者に
このように、半分に切って下さったんですよ!
素敵!!もう これを家宝に・・
もうなんか涙が出そうな感じにだったんですけど
今回のライブは、本当に余韻が凄くって、
会いたかったんですけど、さいたまスーパーアリーナの
広さを舐めていて、なんとこの一ヶ月の間に
オフ会というか、二度ほどジュリーファンと
別途、お会いしてるんですよね。
お1人の方は、私が京都のお仕事の前に
ちょっと一緒にランチしましょ、ということで
お話をさせていただいたんですけど
母くらいの年齢の方なんですけど
その方も、ジュリーのチケットが取れたら
取れたお友達とそこから旅の予定を立てて
だからスカイツリーに行ったり、上野のパンダを見たり
港ミライに行ったり、若い時はジュリーのおうちにまで
皆で行ったりしたとかあるのよと、そういう楽しい話を
聞いたりもしましたし
あと別のオフ会では、ジュリーのDVDを皆で
見るっていう、4人で集まったんですけれども
その時、誰かグッズを作ってきて下さって
それを振り回しながら、皆で見る
あ~ 推し活ってこんな楽しいもんなんだな
私は一人っ子の人見知りなので、淋しい老後が
待っているんだろうな、くらいに思っていたんですけど
私はジュリ活のお陰で
寂しい老後から解放されそうな気が、なんとなく
している、勇気を頂いているんですけど
オフ会であったご婦人は、皆さん けっこう神席を経験されていて
さいたまスーパーアリーナは今回、1列目だったと
いう方がいらして、その方はもちろん、ジュリーだけじゃなくて
サリータローピーが感極まっているのも間近で目視できたし、
それ以外にバンドを支える依知川さんであったり
柴山さんが、ちょっと感情を昂らせているような
モニターには映らない部分も、見てとることが出来て
私はジュリーのファンの皆さんの観察力が素晴らしいな、皆さんのレポートを聞いているのが
本当に楽しいなと、今回の皆さんと
作り上げて来た、メールメッセージのやりとり
本当に宝物だなと思って、一ヶ月 ご紹介させていただきました。
まだまだ いっぱい聞いたお話は有るんですけど
お時間が来ているんで、私の方から
ちょっとしたサプライズをご用意というか
おかけしたいと思います。
今日かけないと、いつかけるんだろう
ということで、このライブ、2017年の音楽劇の
メンバーが登場して皆で河内音頭を歌ったとお伝えしたと
思うんですけど、
というわけで 今日おかけするのは
買ってたんですよ私はライブ会場で、エライでしょ。
2017年音楽劇、大悪名、この中に収録されている
場内アナウンスのところは割愛して
2分くらいのところかな、この中で歌われている
ジュリーお河内音頭、お届けしたいと
思います。
一部抜粋してお届けしました。
沢田研二50周年記念、特別公演
音楽劇、大悪名より ジュリーの河内音頭
お届けしました。
音頭を歌わせても歌が上手い、さすがジュリー
ということで、ここまでお付合い
有難うございます。
来週からも、このコーナーでジュリーについて
語り合っていきたいと思います。
以上、ジュリーにチェックイン!のコーナーでした。
(以上 )
河内音頭と言えば、関西では河内屋菊水丸さん。たまたま検索していたら、その菊水丸さんのブログに行きあたりました。やっぱりジュリーのファンですか。
>『私も『いだてん』はもっと評価されるべきだと強く思います!』
そう言って下さる方は少ないので、とても嬉しいです~!!
>『ジュリーがいた』早速ネットで注文しました!』
早く届きますように。ショコラさんのご感想が楽しみです(^-^)
拓郎さんとジュリーはメル友だそうですが、また新たにファンの目にも見える接点があれば嬉しいのですけど。
こちらこそ、有難うございました。
11月までお元気で
お過ごし下さい。
リンクありがとうございます!
近年購読紙を変えたため読む機会がなく、どれも納得で痛快なコラムでした。私も『いだてん』はもっと評価されるべきだと強く思います!
画面の中だけに留まらず社会世相をも分析し明確に端的に書かれる所も魅力です。『ジュリーがいた』早速ネットで注文しました!
吉田拓郎さんとの番組、YouTubeで観ることができました!拓郎さんがジュリー様を憧れる存在として敬意を持って話され、ジュリー様の内面を紐解かれて色々なエピソードが聞けて嬉しかったです!
私の中ではsao様も島崎さんと並ぶノンフィクションライターです!
saoさんと会話出来てよかったです。
いろいろありがとうございます。
11月に🤭
また来ます。
お陰様で、フォーラムのチケットは
ジュリ友さんから
譲ってもらえることに
なりました。感謝感謝です。
では11月に、さようなら。
saoさん
すべてが好きです。
伊藤日出代さん。
話しは変わりますが。
プレーリザーブチケットが当選した人が
チケットを高値で販売していましたよ。
>『島崎さん、朝日新聞のコラムで毎回私達がTVを見ていて思っている事を的確に言語化して唸らせて下さる方ですよね。』
そうです、お読みになっていたのですね。島崎さんのTV番組に対して、多角的な面から見たするどいTV批評は文化的な批評にもなっていて、頷かされることばかりでした。もう20年くらい続いていたと思いますが、この春で終了してしまい、とても残念でした。
私も島崎さんのラジオを聞くことができました。決して軽々とではないとは思うのですが、ジュリーの捨てていく力が驚きです。そこに我々が想像しえない、どれだけの葛藤があったのかと思います。
「ジュリーがいた」は、ジュリーがすすめていないので読まない、と言われる方もありますが、ジュリーを巡る方たちの貴重な証言の数々は、読むに値します。きっと、ショコラさんの中に、ジュリーの姿がもっと鮮明に見えてくることでしょう✨
よかったら、こちらをご覧ください。島崎さんのコラムをまとめています。
https://blog.goo.ne.jp/nagatasatoko/d/20210410
こんにちは!本日も暑くなりそうですね☀️
生島さん島崎さんのラジオ聴きました。
島崎さん、朝日新聞のコラムで毎回私達がTVを見ていて思っている事を的確に言語化して唸らせて下さる方ですよね。
昔在阪TV局の番組レポートを書くアルバイトをしていたのですが、今思えば私の頭の中にあったお手本は島崎さんだったように思います。
10分間という短い時間でも
なぜ皆がジュリーに惹きつけられるのかをご自身の一回のインタビューを紹介しながら話されていました。
普通は成功したイメージは捨てられないものだけれど
ジュリーは黄金時代を軽々と捨てていく。
たった一つの欲望に忠実である。
『1番大切な事はステージで歌う事』
・・だからこんなにもジュリー様の歌う姿に惹きつけられるのですね。勿論私たちは捨ててはいません!少年時代から今現在までどの時代であってもまるごと素敵💓
私もこの本、買いに行かなくては(๑˃̵ᴗ˂̵)
今の沢田研二さんの嫁
妻は田中裕子さんです。
それは間違い有りません。
>『不倫はあかんね。
説得力があるのかないのか。どの口が言うのか。
でもそれで莫大な代償を払った事だけは確かでした。』
本当ですね、離婚再婚で多くのファンが離れていきましたが、あの対応では当然だと思います。今の方が、そういうことには甘くは無いので、もっと厳しい状況になったと思います。
吉川さんの存在は、そういう時期にやることなすこと、全部がジュリーへの嫌味に思えてきてしまい、好感を持てませんでした(^^; いまは少し考えは改めましたが。
離婚と再婚は、もっとうまく立ち回ることは出来たのでは?と思わないでもありませんが、とにかくファンの存在は無視されている気はしました。それでもジュリーは環境を変えたかったのかな、と今は思います。
>『ターニングポイントは離婚と再婚。』
ジュリーの年齢的なこと、音楽的な潮目の変わり目、他にも色々あると思います。そこで音楽をやめて他の選択肢、俳優になる人もいたでしょうが、地道にコンサートをやってきたことが今に繋がっていると思います。
お陰でチケット取りに四苦八苦しています。
沢田研二さんの嫁は。
伊藤日出代さんです。
それは変わりません。
説得力があるのかないのか。どの口が言うのか。
でもそれで莫大な代償を払った事だけは確かでした。あの時代はキツかった。あれからかな。トシちゃんのバッシングの比ではなかった。人としてどうなんだとか。反論出来ないから黙っているしかなかった。歌も売れないし。ニッチもサッチも行かなかった。見ていて辛かったです。ニュースターの台頭もあって。吉川晃司はベストテンでサヨナラは8月のララバイを歌った時に万歩計を付けて何歩歩くかやって、ジュリーのおまえにチェックインで同じ企画があった時の歩数を超えたと
。もうベストテンにも出られなくなった頃で、これ見よがしにそれをやるかよ!とテレビ画面を睨みつけていた84年の夏でした。
沢田研二最後のヒット曲となった6番目のユ・ウ・ウ・ツ。夜ヒットのリハーサルを見ていた松田聖子がたった一言。美と感嘆したと。果てしない夢を追いかけてゆきたい。今よりもきっとましさ。今思えば本当にもう最後だという覚悟があったのかと深読み出来るような歌詞でした。凄く好きなジュリーの矜持を思わせるフレーズです。そして現在までトップテンに入る事は無かった。
1年後のきめてやる今夜。悪くは無かったけど、もう神通力は失っていました。現人神から人間に戻られたんだなと思います。本当に重い重い荷物を15年も背負い続けて疲れてしまった。投げ出したくなったのだと今になれば分かります。捨てていく勇気。少しずつ暖簾を小さくして行っていつか閉まる時が来ると。数年前のMCを思い出します。
比叡山フリーコンサート。CD化予定されるも流れた名盤です。LPは中古レコード屋で購入しました。伊藤エミさんを結婚相手としてファンに紹介した。絶頂期のジュリーがいました。恐らくそこがお蔵入りになった根源だったと思います。残念だけど仕方がないです。
ターニングポイントは離婚と再婚。本当にその通りでした。離婚するまでが沢田研二の全盛期だった。伊藤エミさんが傍らにいる時が一番輝いていた。私はジュリーも伊藤エミさんも大好きでした。