27年前の早朝、いつもジュリーを聴いていた愛用のCDダブルラジカセは、激震にぶっ飛んで穴が開きました。
震災から半年後くらいのある夜、ミルクティーを飲みながら。それでも動いているラジカセで、カセットテープでジュリーの話し声を聞いていたら、歌う声よりも幾分低い声は落ち着いた中にも甘い優しい響きがあって、心の中に染み渡りました。何と素敵な声と陶然としました✨ 歌わなくても顔が見えなくても、ジュリーの声には心を掴まれてしまう。
震災のせいで落ち着かない、先のわからない日々が続く中で、ジュリーの柔らかい声を聴きながらお茶を飲む時間は、心底幸せでした。ジュリーの声に包まれる幸福感、今でも忘れられない ある夜のひとときでした。
そのラジカセは数年前からCDが動かなくなり、それでもラジ関の「ジュリーにチェックイン!」等を録音していたけど、次第に音がヘロヘロになってゆき、カセットが動かなくなりました。震災前から持っているので、もう30年以上になるのだろうか。ついに寿命がつきたのか、処分することにしました。
ジュリーの声を届け続けてくれて有難う。
毎年、出来る限り、震災の当日は慰霊祭に手を合わせに行くのですが、今年は行く時間がなくて。新型コロナのせいで、身内に陽性者が出た人や、お子さんが熱を出した人など、休む人が相次いでいるせいです。毎年、仕事中に黙祷していたのに、コロナでそれもなくなりました。TVで中継されていた、神戸の東公園の慰霊祭を見ながら、参加者と一緒に手を合わせました。
当時住んでいた、近所の画像。志岐さんは潰れた六甲道駅を復旧させた人です。
その後に越してきた東灘区も被害は大きく、空き地だらけでした。その空き地にも次々家が建ち、ついに最後まで残っていた空き地にも家が建ちました。震災の目に見える残っていた影は、27年で跡形もなく消えたような気になりましたが、記憶は消し去ることは出来ません。