9月19日の西成区民会館のピー・バースデイライブの後、インタビューされたそうです。
⇒「もっともっと」74歳のザ・タイガース、瞳みのるさんが現役であり続けらのれる秘訣とは?
インタビューで盟友・岸部四郎さんへの想いも語る
ピーのインタビューで『ナンバ一番』「やっぱり駄目なんじゃないかな」という不安は常にありましたね。「1年やって駄目なら辞めて京都に帰ろうかな」とも考えていました。』
その先の成功は約束されてはいない、という不安は若いとはいえ、やはり常にあったのですね。傍目にはとんとん拍子に見えるタイガースの成功。しかし、いつも不安の中にあったのだろうかと、まだ若いメンバー達の当時の揺れ動く気持ちを思い、胸がキュッとなりました。
ピーはインタビューで亡くなったシローのことも語っていましたが、西成区民会館でシローへの思いに涙声になるピーには、こちらもウルッと・・
J友さんからタイガース時代の記事のコピーを頂きました。1968年7月。「しっかり勉強してこいよ」
実際は勉強というよりも、女のこを追いかけて渡米したと、サリーが語っていました。
もうかなり前になりますが、まだ元気だった頃のシローが、当時の留学のようすを語っていました。多分、TVの「波乱万丈 」だったように思います。『留学先では付き合うのは同じ日本人ばかりなので、いつまでたっても日本語しか話せない。それでいいのかと、知人から叱られた。.』