昨日までの順番を無視してすっ飛ばし、本日39回の松浪先生のお言葉。
「愛は妬まず ほこらず たかぶらず」松浪先生のお言葉の中で、今でも記憶に残っている放送回です。
本日の放送で、おりんちゃんに勉強する気はあるのかと、般若のような形相の松浪先生、コワ~
思わず、今までコンサート会場でジュリーに怒られた怒鳴られた、近年のあんな事こんな事、40数年前の大阪フェスまで思い出しましたがな。・・いや、それはまた次回に。
今日の放送で、松浪先生とおりんちゃんの語る「コリント13章」を聴いていて、今年17回忌を迎えた亡父との記憶が突然頭の上から降ってきたのです。
亡き父は、昔の亭主関白の頑固おやじそのままの人でした。すぐに怒るのも怖くて、家に父がいると家族は静かに沈黙していました。家では父が絶対で、話も物事の価値観も合わないので、じっくり話あったことはありません。
亡父は高校の世界史の教師でしたが、特に勉強を教えてもらった記憶もなく、そんな父が少しだけ世界史を教えてくれたことがありました。キリスト教の教義について「キリスト教は愛の宗教です。」
「愛の宗教」その時、それは意外に聞こえました。「愛」という言葉、日本人は恋愛とかそういう風にとらえてしまいがちです。今では「キリスト教は愛の宗教」の意味も少しわかるようになりましたが、今日の放送の「コリント13章」は、まさにそれを語る章でした。
松浪先生の世話を焼く梅沢先生など、笑いの要素もありますが、ここではカット。
団扇で風を送るも「風はいりません」とキッパリ言われてしまう。
必至で予習したのに暗唱をつまる、おりんちゃん予習しました、覚えられなくて・・💦」
松浪「初めからそういう心構えではダメだ!一生懸命やっているなど、自分の口で言ってはいけない。自分で言うと言い訳になるんだ。」「この13章を全部暗唱するのは無理のようだな。」「無理だな。」
「なして無理だと決めつけるんですか!先生私を見話しているんですか?私やります、全部英語で覚えて全部暗唱します。」
翌日、先生の前でつまるおりん。「どうして 出来ないの」
怖い顔の先生に「先生・・」
部屋を飛び出し、教会の中へ。「神様、わだす 本当にダメなんですか?神様」
松浪先生が教会の中に入って来る。
「もし愛なくば、我に益なし。愛はしのぶことなし・・・愛は妬まず、愛はほこらず、たかぶらず・・、己の利を求めず、軽々しく怒らず・・ 人の悪しきを思わず、不義を喜ばず、誠を喜び・・」
松浪先生の言葉に続いて、コリン13章全てを暗唱したおりんちゃん。
松浪先生「よく勉強したね、きっとやれると思っていたよ。君ならきっとやれると。」
先生に抱きつくおりんちゃん
コリント第13章⇒13章は「愛の讃歌」とも呼ばれています。キリスト教は「愛の宗教」と言われるわけで、聖書において愛は最も大事なテーマですが、その聖書の中でも、愛について集中して語っている代表的な箇所がここなのです。この箇所を読むことによって、聖書が愛について何を語っているのかを知ることができるのです。
おりんちゃんの暗唱するコリント13章を聞いていて、父が「キリスト教は愛の宗教」と教えてくれたことが、天から急に降ってくるように思い出したけど、それはいつの頃のことだったのか?
私もおりんちゃんのように英語が苦手だったので、父が同僚の英語教師に頼んでくれて、高3の夏休みの間、特別に英語を教えてもらいました。松浪先生と違って優しくて、まだ若い女性で、おっとりと上品な先生でした。
一人では心細かろうと、幼馴染と二人で先生のお宅に夏の間に通い、二人とも受験に合格できたのも、今から思うと父の心配りのお蔭でした。若い頃は、埋まらない価値観の違いなどから、異星人のように思えた父だったけど、ガーデニングが好きな事や、この年齢で白髪が少ないのは父の遺伝子のお蔭だと今は感謝しています。
とても向田邦子の世界とはほど遠いですが、向田邦子の父親も頑固ものだったそうですね。
大正、昭和の日本の男たちは誰もそんな人が多かったのだと思います。
夏休に英語を教えてもらっていたのは、私も同じだと思いだしました。
でも、いかにハンサムな松浪先生でも、私ならあまりに厳しすぎて逃げ出しそうです(^^ゞ
すてきなお話しでした。
ジュリーの厳しいお目々は、私もコンサート会場でのジュリーを思い出してしまいました。🤭ウムとにらみをきかし!などなど。