先日ラジオで放送された「あの名曲に秘められた物語 SONG STORY」
眠れない貴女(あなた)へ【ゲスト】後藤次利
2020年7月12日(日) 午後11:30~午前1:00(90分)
村山由佳,【ゲスト】後藤次利
TOKIOで編曲を担当した後藤次利さんでした。興味深い内容がこのまま消え去らないように、簡単に要約しました。難しい音楽的な事などは、私自身がよくわからないので、簡単にすっ飛ばしてます(^^ゞ
あの名曲に秘められた物語 SONG STORY
名曲にスポットを当て、その製作に関わった作詞・作曲家にお話を伺います。
今夜は沢田研二さんの代表曲「TOKIO」です。
後藤次利さんは1952年生れ、サディスティックスを結成、TOKIOで編曲賞受賞。以来作曲編曲、多くのアーティストを手掛け、現役のベースプレイヤーでもあります。
(村山)「TOKIO」は加瀬邦彦さん作曲、作詞は糸井重里さん。当時はシンセサイザーのYMOのテクノなんかももう有ったんですけど、なんとまあ、新しいものを見ているんだ自分は、衣裳も奇抜で歌詞も意味があるような、不思議な感じでインパクトが強かった。若い後藤さんが、どんなご縁で沢田さんと?
(後藤)沢田研二さんはタイガースが解散して、メンバーが3つのユニットに分かれた、沢田さんはPYG、僕はシローとブレッド&バターというユニットのベースを弾くことになった。
ツアーに出るのにベースがいないから、弾いてくれる?と言われて、ギターより弦が少ないから簡単だろう、持ってないから、ベースが用意されていた。それは一徳さんので翌々日には本番のステージに立っていた。ツアーもPYGと何か所回る事になった、僕はまだ学生気分で、沢田さんとは当然会話なんかできなかった。それは僕が19歳のことだった。
(村山)ベースなんか弾いた事ないのに、雲の上のジュリーとツアー、どれだけの度胸と運の強さびっくりします。加瀬さんの出会いもキャリアに大きな影響があったそうです。
(後藤)TOKIOの前に、ロンリーウルフにアレンジで携わることができた。それは渋い大人のロックという感じで、引き続き、次のシングルを依頼された。
加瀬さんは、中二の時アストロノーツのコンサートで、共演バンドがブルージーンズで、サイドギターを加瀬さんを弾いていた。
ステージで見てカッコイイ! それからギターを始めた。ギターを持つキッカケになった加瀬さんと、ベースを持つきっかけの沢田さんとPYGのツアー、ご縁ですね。
(村山)これは運命みたいなもんじゃないでしょうか。ブルージーンズ、タイガースは今聴いても、カッコイイですよね!
ロンリーウルフはロックバラード調ですが、全く違うテイストのTOKIOは、どのようにして製作されたのですか?
(後藤)打ち合わせは加瀬さんの自宅にお邪魔して、加瀬さんはお優しい人で柔らかい表情で、緊張して伺ったのですが、自由にアレンジしてくださいという感じ。
プロデューサーの木崎さんを交え、当時 YMOに代表するテクノミュージック、ニューウェーブという音楽ムーブメントがありました。シンセサイザーを大目に使おうか、みたいなことはあったと思います。テンポをコンピュータで管理して、一定のテンポで曲の最後まで維持する、そのやり方を導入した、僕にとって初めての曲だったかもしれない。沢田研二さんのシングル曲をアレンジするのは、とても名誉で、こちらも力が入っている。
自分のアレンジの最大の武器は何だろう、やっぱりロックテイストをベースにしていこうというのが、最初の判断でした。器はベースだろう、ベースのフレーズで何か考えられないか、というのが僕の目論見でした。
(村山)この時、後藤さん27歳、音楽に関わるきっかけをくれた、加瀬さん沢田さんとの仕事で、自分の爪痕を残したいと思いますよね。後藤さんが解説に当り、音源をご用意してくださいました。お聴きください。
(後藤)簡単な音源を作ったんで聴いて下さい。♪♪ この中に曲のエッセンスが入っている。
ベースがけっこう、動いてますね。特徴的なイントロにはいっているフレーズ、・・・
これはたぶん、打ち合わせの段階で、加瀬さんの音源にテキタコとかが入ってたような記憶があるんですけれどもね。・・・東洋的な不思議な感じで、これが、すごくスパイスになってると思います。ガーっとロックテイストで盛り上がって、間奏はギターソロが碇石ですが、詞の世界から俯瞰で東京の夜の風景を上空から眺めているような、そんな景色が間奏で描けないか。
シングル曲で間奏はとても大事で、盛り上がらなくてはいけないという強迫観念にかられるんですが、この曲は全くない。和音と雰囲気って、感じですかね。
途中で、ピュンピュンピュンピュンっていう電子ドラム、そういう楽器が出現して、これにはその音を使用してます。確か間奏は、僕の記憶では、加瀬さんが叩いてたような気がしますね。おもしろい、おもしろいって笑顔で。そういう気がします。
それでは聞いてください。
♪『TOKIO』が流れる
(村山)沢田研二で『TOKIO』お送りしました。
あの時代の空気が、ぶあーっとよみがえりますね。ある意味日本が今より、うんと元気だった時代・・。こうしてお話を伺っても、それまで当り前とされていた常識から、どこまでも自由っていう感じがします。
この曲は1980年の1月1日に発表、その年の日本レコード大賞編曲賞を受賞しました。当時、受賞された反響について伺いました。
(後藤)アレンジは、僕はスタジオミュージシャンの頃に経験してますが、大先生が来て譜面が配られて、オーケストレーションがあって、そんなのがアレンジだと思うんですが、いきなりリズム、ベース、ドラム、ギター、ピアノ、シンセサイザー、そういう楽曲だけで、アレンジ、編曲賞なんていう名前をいただいていいのか・・。
でも、そういう時代のスタートになったかもしれない、80年代の。当時まだ僕も20代で若手だった。おかげで、その後はアレンジの仕事や作曲に広がって、今日までやっています。
そして「TOKIO」の次の「恋のバットチューニング」「麗人」沢田研二さんのシングル曲は、何曲かアレンジをさせていただきました。1993年に久々に声をかけていただき、全国ツアーをベーシストとして一緒にまわり、翌1994年には『HELLO』というアルバムのプロデュースもやることに。
それから途絶えてるのが残念、また沢田さんとできたら、ものすごく嬉しいです。
(村山)オーケストラも何にも使ってないのに、あれでアレンジ賞なんていただいちゃって良いのかとおっしゃいますけど、あのアレンジ、あの編曲があってこその楽曲、新しい時代の幕開けを象徴する一曲です。
『TOKIO』は近年も、桑田さん山崎育三郎さんなどがカバーし、CMソングなどで使用され、幅広い世代から愛されています。その理由を後藤さんはどのように思われていますか?
(後藤)メロディーがとてもコードを含めてシンプル、でも構成がすごく面白い曲です。
Aメロが出てすぐサビが出て、TOKIOってとこが。それからBメロ行ってまたサビが出る。
シンプルなメロディーだけど、構成がすごく面白い曲。作詞の糸井さんの、この東京の姿を切り取った斬新な手法の内容。これもとても大きいと思います。
あの頃シングル曲が出るたびに、どんな衣装で臨むんだろというう楽しみがありましたが「TOKIO」の沢田研二さんも、やっぱりコスチュームすごかった、パラシュートで。
やっぱり沢田さんの声の強さ、艶っぽさを兼ね備えた、無敵ですね。スタッフも含め全員が若かった、そんなエネルギーが詰まっていた。久々に僕も聞きましたが懐かしく、なんかいいなあっていう感慨にふけってます。
(村山)確かにあの時は、沢田さんの舞台って言ってもいいくらい、インパクトありました。
衣装も電飾がピカピカしてて、ご本人も空飛んだり、メイクしたり、あの頃すべてが斬新で新鮮で、いったい何が始まったんだろうって、ワクワクしました。TOKIOが空を飛ぶって、何なんだTOKIOって?と思いました。
時代の変わり目を、肌で、耳と目からはっきり感じた一曲です。最後に後藤さんにとって「TOKIO」はどんな存在の楽曲ですか?
(後藤)「TOKIO」は、僕にとって・・その後の仕事をしていく上でも大きな力になったし、背中を押してくれた楽曲です。僕自身の音楽の、アマチュアだけどギターを始めるきっかけ、プロとしてベースを始めるきっかけの、その周辺にいてくれた方々。そういう人たちと一緒に仕事ができて、自分もプロミュージシャンとして、やっていくことができた、大きな財産になった曲です。
(村山)ジュリーなればこそのスター性に、この楽曲の新しさが合わさって「TOKIO」という名曲になったと思うんですけど、日本全国の人が知ってると言っても過言じゃないような曲です。そういうヒット曲が昔は有ったと思いました。
出会いが人の人生を作るというのが良くわかる、ほんとにドラマチックなお話でした。
「A SONG STORY」 沢田研二の『TOKIO』を編曲された後藤次利さんにお話を伺いました。後藤さんにはステイホーム期間中に、ご自宅で録音していただきました。
後藤さんは、ご自宅で録音されたのですね。不思議なご縁で繋がっていたジュリー、加瀬さん、後藤さん。その才能のどれか一つが欠けても、TOKIOという名曲は創造されませんでした。ジュリーの東京の空気を切り裂くような歌声は、間違いなく後世にも伝わる名曲です。
後藤さんの「また沢田さんとできたら、ものすごく嬉しいです。」には、私も実現したらいいのにな!と思います。
MCの村山さんは、猫のエッセイや何冊か執筆された恋愛小説を読みましたが、甘く柔らかい美声の持ち主で、こんな才能も持ち合わされていたのかと知りました。
※毎日、チビチビとラジコ音源を聴きながら書いていました。後藤さんが語った音楽的な事は、よく理解が出来ず、ごく簡単に書いています。音源の公開が終わる、20日の1時までにようやく間に合いました(^^ゞ