神奈川テレビ、17日の名曲アイランドのゲストはトッポ、加橋かつみさんでした。
名曲アイランド - 番組表.Gガイド[放送局公式情報満載]
私は見られませんが、J友さんからレポをいただきました。有難うございます。
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(J友さんからです。有難うございます。)
『名曲アイランド
今回はヒューマンルネッサンスについて、
タイガース時代はナベプロの言うがままで不満
メルヘンチックな、歌に嫌気
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メッセージ性のあるアルバムを目指して
ヒューマンルネッサンスを発売
廃墟の鳩は、広島の原爆をイメージ
タイガース最大の力作✌
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緑の丘をバックに
(以下は字幕)
大阪から京都に移り、山城高校に通っていた頃
友達のいない僕は毎日オートバイに乗っていた。
ある日、平安神宮の境内を歩いていると
故障したオートバイの前で
思案している、同年代の高校生に出会った。
どないしたん?と声をかけ
オートバイの修理を手伝った。
数少ない僕の友達になった、それが
瞳みのるとの出会いだった。
そしてサリー、タローとも出会う。
4人でサリーとプレイボーイズ結成
初めてのステージはサリーの兄の結婚披露宴。
ボーカルは僕とサリー。
しかし、何かもう一つ足りないな、という感じを
メンバー皆が持っていた。
そんな時、行きつけの田園で、長い背広を着て
先のとがった靴をはいて、「ビーバップルーラ」を
歌っていた男がいた。
こいつがメンバーになってくれたら
最高のグループになるんだけど。
と皆で話し合った。
田園の専属BAND、サンダースの沢田研二だった。
長い説得のあと、5人でファニーズになり
京都や大阪のディスコティックで演奏するように。
やがて大阪のナンバ一番で演奏するように。
5人で一ヶ月10万円の出演料、これで
全員が生活しなければならない。
西成に3畳の部屋を三つ借りた。
やがて、裕也さん誘われて上京。
ナベプロと契約し、ジャズ喫茶に出演。
僕の名前は、高橋克己は平凡だからと
強制的に加橋かつみに。
この名前になってから、波乱万丈。
色々なことがあったが、僕はこの名前が大好きである。
この名前の中に、青春のすべてが
盛り込まれているのかもしれない。
新宿ACBは全国のGSの憧れの地だった。
ここで認められれば、前途洋々だった。
その当時は内田裕也とタイガースとして出演していた。
共演BANDは、同じナベプロのワイルドワンズだった。
5人は『もうお前らとは話はできん、俺はやめたる』
『勝手にせい』と、いい争いから乱闘になる。
僕は合宿場を飛び出し、朝には帰る。
こんなことを3回は繰り返した。
タイガースの5人は、それぞれが個性の違う
者の集まりだった。
お互いが反発しあいながらも、不思議な
バランスを保っていた。
同じ楽屋に居ても、お互いがてんでバラバラながら
ステージに上がると、皆のバランスがピタっと合う。
ビートルズの舞台を見た時に感じた
あの不思議なバランスを僕は感じていた。
グループサウンズの熱狂的な若い女の子のファンの
渦の中に飛び込んだ僕らは「僕のマリー」1曲で
スターダムへの階段の一歩を掴んだ。
日劇のウエスタンカーニバル、TVの歌番組
ヒットパレードへの出演と、目まぐるしく
動く自分の周りを呆然と眺めている間に
何か目に見えない力僕たちをグングン
押し上げていった。
日に日にファンが増えていき
ファンとの追いかけっこが始まった。
(トッポの語り)
3時間しか寝られ無くて食欲も湧かず働かせられた!
売れてる内に売っちゃえと
(文句たらたら いいながら)
嫌われるから言わないと!
今は ワンズや三原綱木バンドとやっています。
ステージも客席も
じいさん、ばあさんばかりです』
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(J友さんのご感想)
ラストまでトッポ流でした。
これではタイガースのメンバーと上手く行きませんよね。
詳しくどうも有難うございます(^^;
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