俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

現実的

2013-04-01 09:36:50 | Weblog
 理想と現実を対立するものと捉えることは悪しき二分割法だ。理想と現実の間には無数の中間がある。
 それどころか、理想は現実的でなければならない、とさえ私は考えている。現実を無視した理想は狂人の妄想でありドン・キホーテの見果てぬ夢にも等しい。
 実現することを目標とするなら現時点での理想とは最も現実を踏まえたものであらざるを得ない。現実を無視した理想は実現のための障害にさえなる。
 自他共に認める「愚かな総理」がバラ色の幻想をバラ撒いて政治を混乱させたことがあった。沖縄の米軍基地を「最低でも県外」と言うなら県外に移設先を見付けねばならない。子ども手当を支給するためには財源を捻出せねばならない。現実的な手立ての無いままに「理想」を説くことは狂人の妄想に等しい。
 非現実的な理想は最悪の選択を招く。不良品をゼロにするためには製造をやめる以外に方法は無かろう。毎回100点を取ろうとすれば多分健康を損なう。最低でも県外というスローガンは普天間基地の固定化に繋がるし、0増5減を抜本的改革ではないと否定すれば違憲状態が改まらない。
 次善の策どころか非常に悪い策であろうとも最悪の現状よりはマシだ。心掛けるべきなのは、それが非常に悪い策であることを共通認識とした上でとりあえず最悪の状態から離脱することと、それが暫定策に過ぎないことを忘れずに早急により良いものへと改善することだろう。

廃仏毀釈

2013-04-01 09:08:13 | Weblog
 日本には恥ずかしい歴史がある。明治元年の神仏分離令が招いた廃仏毀釈だ。この時、仏教美術や経典などの多くが廃棄された。一部の美術品は欧米に流出することによって難を逃れた。流出した仏像には貴重な作品が少なくないだけに勿体ない話だが消失を免れたのだから不幸中の幸いと言えよう。これは日本の文化史・美術史の一大汚点だ。
 実は海外に前例がある。14世紀末に建国した李氏朝鮮は仏教を弾圧して仏教関連の施設や美術品が破壊された。現存する仏像には傷や焼け跡のある物が多いそうだ。この時に難を逃れた仏像などが日本へと流出した。
 昨年、対馬の観音寺から盗まれた観世音菩薩坐像もこの時に日本に流入したものらしい。この仏像の内部には1330年頃に高麗の浮石(プソク)寺で造られたと記されている。
 しかしこの記述を根拠にしてこの仏像の所有権が浮石寺にあるとする韓国側の主張は理解不可能だ。「倭寇によって略奪された可能性がある」と主張するが、昨年10月に盗まれたことが明らかな仏像を600年前に盗まれたものだと主張したいのなら明らかな証拠を示すべきだろう。
 これはとんでもない言い掛かりだ。もし盗んだものなら朝鮮から至近距離の対馬ではなくもっと遠くに保管する筈だ。もしかしたらこの仏像は日本人による心配りに基いて浮石寺に向かって鎮座していたかも知れない。こんな至近距離で仏像が600年間も無事に公開されていたのは譲り受けたか流入したからであり、盗品ということはあり得ない。
 韓国は反日史を捏造するよりも先に自国の恥ずかしい文化史を直視する必要がある。